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21世紀にUWFにこだわる男、中村大介が
北千住に格闘技ジム「夕月堂」をオープンした(入会金無料キャンペーン中!)。中村大介といえば、一本勝ちを追求し、常に動き続ける回転体で数多くの名勝負を生んできた。しかし、現代MMAにおいてUスタイルは勝つためにには不必要なもの、非常に効率の悪いものとして“絶滅危惧種”と化している。そんな時代にいまでも中村大介がUスピリットを持ち続けられる理由とは?

 

7月度更新インタビュー&コラム一覧


part4
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ちょっと前にオープンした中村大介選手のジム『夕月堂』ですが、名前のイメージどおり内部はちょっと和風な作りなんですね。

中村 はい(笑)。そこは狙ってやってるんですけど。ちゃぶ台のあるスペースではくつろいだり、練習が終わったらビールを飲んだり。

――すぐにピンとこなかったですけど、夕月堂の「夕」はUWFのUなんですね。「月」は……。

中村 「Uが好き」っていうダジャレです。それで夕月堂です(笑)。

――あ! 言われて気が付きました(笑)。

中村 ハハハハハハ。

――「月」はどういう意味なんだろうっていろいろと考えちゃったんですよね。中村選手の師匠・田村(潔司)さんがパトリック・スミス戦直前に「月になる男」というコピーで『週プロ』の表紙を飾ったことがあったから、それも関係してるのかなとか。

中村 ああ、それもあるんです(笑)。いろんな意味があって。

――中村選手はここ北千住にお住いなんですか?

中村 この付近ではないんですけど。北千住で育ったんです。なのでジムをやるなら地元でやりたいと思ってて。

――いま都内は“格闘技ジム戦争”ですよね。

中村 北千住駅の反対側には宮田(和幸)選手のジムがあるんですけど。まだ宮田さんにご挨拶をしていなくて(笑)。ジムに入会してくれた方は地元の方が多いですよね。

――ジム経営の基本は地元密着ですね。

中村 いまだとわざわざ電車に乗って通うのは難しいですよねぇ。ボクが北千住に住んでいたときに神奈川のU-FILE CAMPまで週3回通ってましたけど。あの頃は都内にそんなに格闘技ジムはありませんでしたし。

――ジム経営はいつ頃から考えていたんですか?

中村 引退後にはやりたいなって思ってたんですけど。実際に選手としてやってるときに出すことになったのは、以前U-FILEの赤羽ジムを任されてたんですけど、そこを閉めることになったんですよ。そこからバイトを始めたんですけど。

――それまでジム指導員として生活されてたんですね。

中村 はい。ちょうどその頃に子どもが生まれまして。働きながら現役を続けていこうと思ってたんですけど、そうすると仕事が忙しくてだいぶ格闘技から離れちゃったんですよね。

――築地市場で働いてたんですよね?

中村 あ、そうです。朝の仕事なら昼間に練習ができるかなっていう考えで。朝は築地、昼は出稽古に行ったりしてたんですけど、かなりシンドくて。甘い考えでした(笑)。

――どんなスケジュールだったんですか?

中村 仕事は築地場内の配達なんですけど。小型トラックで場内を行き来して。早朝4時から11時くらいまで働いて。そのまま練習して家に帰って寝たりしてました。

――どれくらいの期間そんな生活スタイルだったんですか?

中村 それは1年半くらいですね。時期でいうとDEEPで岸本(泰昭)選手や北岡(悟)選手と試合をしていた時期で。実際あのときは格闘技で結果は出せなかったですし、格闘技と生活をうまく両立させるには、ジム経営がいちばんいいんじゃないかって。

――人生の転機って就職、結婚、出産になりますね。

中村 ボクもそんなに深くは考えてないんですけど、子供が生まれて変わったと思います。そのためのジム設立だったりしますし。ボクら世代で結婚や出産を経験してる選手もいたり、上の選手だと引退する方も多くなってるじゃないですか。ただ、ボクは選手同士のつながりがほぼないので、そういった話はまったくできてないんですけど(苦笑)。

――Uはやっぱり孤高なんですかね(笑)。

中村 U-FILEの中にもほかの選手と交流してる人はちゃんといたんですけど、孤高のイメージはありますよね。そんなかでもボクは引きこもってたんで(笑)。あと「周りは敵だ!」という意識も強くて。いずれは試合をするかもしれないのであんまり仲良くできないという気持ちがあったんです。みんな敵というかライバルというか。それで外部と交流しなかったら、こんなにつながりのない人間になっちゃって。

――反面やりやすさはあったんじゃないですか?

中村 そうですね。それはあったと思います。もともと性格的にうまく人間関係を広げられるタイプじゃないし。一時期言っていたのは「U-FILEの練習だけで世界に勝ちたい」と。そこの意地があったからここまでやってこれたところはありましたし。

――中村選手はUWFの初期衝動を持ったままMMAで闘ってる選手のひとりですよね。90年代プロ格直撃世代の代表というか。

中村 ああ、ありがとうございます。光栄です(笑)。

――でも、いまの時代だとUは完全に傍流だからこその意地もあるんですか?

中村 それはありますよね。いまの流れに染まりたくないという思いは強いです。でも、ここ最近は結果は出ていないので悩んでるところであるんですけど。このまま行くのか、それとも……。ただ、いま変えるなら10年前からそうしていればよかったんでしょうし。

――Uにこだわったからきたからいまの中村選手があるわけですよね。

中村 ホームランか三振かみたいなほうが面白いですね。まだまだ理想は遠いですんですけど。

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――
そんな中村選手がUにハマったきっかけはなんですか。

中村 UWFインターナショナルですね。その前は新日本プロレスが好きだったりして、プロレスは物心がつく頃から見てたんです。それで高田(延彦)さんのことは知ってたんですけど。ある日、テレビを見ていたらUインターで高田さんが北尾(光司)さんが試合をしてて。「あの高田選手がいまはこんなものをやってるんだ」ってそこからです。

――あの試合はいままでのプロレスとはまたカラーが違いましたよね。

中村 あの試合はラウンド制でしたし。それにあの北尾さんの巨体をハイキック一発でなぎ倒して。あれは衝撃というか、誰でもUインターのファンになると思うんですよ。

――通常のプロレスではありえない特殊な結末で。

中村 そこからUインターのファンになったんですけど。某新聞で毎大会10組20名のチケットプレゼントをやっていて、応募すると毎回当たるんですよ(笑)。いちばん多いときで友達8人で行きました。のちのち聞いたら応募してる人には全員に送ってたらしいですね。

――そのおかげでいまの中村選手がある感じで(笑)。

中村 毎月武道館に行ってましたね(笑)。その頃は中学生でしたし、Uインターのやることって中学生の心を鷲掴みにするんですよね。賞金1億円を積んだりとか(笑)。

――ベイダーを呼んできたりUらしからぬ面白さもありましたね。

中村 田村さんの試合で好きなのはベイダー戦なんですよ。いちばん興奮した試合ですね。どう見てもベイダーはデカくて怪物じゃないですか。それを田村さんがキックで追い詰めていって。Uインターが好きになったきっかけは高田さんだったんですけど、すぐに田村潔司ファンになってしまって。当時若手の成長株と言われて、なんかもう存在感が違いましたね。

――ストロングスタイルの見地からすると田村さんって理想のプロレスラーですよね。強くて試合も面白くて。

中村 そうなんですよね。とにかくカッコいい。U-FILEに入会してから10年以上いさせていただきましたけど、いまだに田村潔司ファンです。最近はお会いできていないですけど、お会いすると「お、田村潔司だ! カッコいいなあ!!」ってウットリしちゃいますよね(笑)。

――ハハハハハハ! 田村さんってフォルムが変わってないですよね。

中村 ああ、変わってないんですよねえ(しみじみと)。いまだに若いですし、ああいう大人になりたいですよね。いま田村さんは45歳でボクとは10歳くらい違うんですけど。ボクが10年後あんなふうに身体をキープできてるかどうかはわからないですよね。