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【愛と苦しみのPRIDE物語】大山峻護、引退――「ハイアン戦の恐怖はしばらく消えませんでした」
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【愛と苦しみのPRIDE物語】大山峻護、引退――「ハイアン戦の恐怖はしばらく消えませんでした」

2014-09-11 18:31

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    PRIDE、HERO’S、パンクラスなどで活躍した大山峻護が引退表明――。13年間のMMAファイター人生にピリオドを打つことになった。大山といえば
    “平成のエスペランサ”というキャッチフレーズ付きでヴァンダレイ・シウバ戦でPRIDEデビュー。大抜擢後も大物ファイターとの試合が次々に組まれた。だが、インタビュー中でも触れられているヘンゾ・グレイシー戦のバッシングから始まり、戦績も振るわなかったことから、PRIDEでは鮮烈な印象を残せなかった。しかし! 大山は我々と同じく“90年代プロ格直撃世代”の一員であり、狂ったゼロゼロ年代MMAバブルを真摯に生き抜いてきたことがわかる取材となった。PRIDEが青春だった方にぜひ読んでもらいたい大山峻護の青春インタビュー! 


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    ■元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩
    「ジャイアント馬場vs天龍源一郎」とは何だったのか

    ■衝撃告白! 船木誠勝が語る90年代プロ格の時代「俺は真剣勝負をやるつもりはなかったんですよ」
    ■格闘家・桜井隆多は神様の弟子だった!「ゴッチさんがハーモニカを吹いて待ってたんです」
    ■UWFと修斗の鬼っ子!キングダム入江秀忠が見た「総合格闘技が生まれた時代」
    ■ベラトール参戦!所英男「もう一度、人生を変えられる試合がしたいです」

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    ――
    8月10日パンクラスの試合後に引退表明をされた大山さんですが、引退を決意されてから生活のリズムはやっぱり違いますか? 

    大山 そうですね………やっぱり自由な時間が増えたぶん、いろいろと考えちゃいますよね。たとえば、自分の中でラストマッチをけじめとしてやったほうがいいのかなって考えたりしてるんですけど。なにより応援してくださっている方々のために。

    ――大山さんを応援してる方たちは“ラストマッチ”だと思って見てなかったわけですもんね。

    大山 ボクは5歳の頃から柔道を始めて、高校、大学、実業団までやって。そこから総合格闘技の世界に入ったので、格闘技から離れるのは初めての体験なんですよね。そんな生活がなんだか消化しきれなくて。

    ――戦わない自分の人生とはなんなんだろう?という。

    大山 そういうことも考えちゃいますよねぇ。何をやっていいかわからないから、とりあえず走りこみをしたりして(笑)。「これじゃ現役時代と同じだろ!?」と思いながら。

    ――ハハハハハハ! 柔道を始めたのは自分の意思なんですか?

    大山 ウルトラマンを見て「強くなりたい」と思って空手をやろうとしたんです。でも、お母さんに連れて行かれたのが柔道だったという。

    ――実業団までやられていたということは柔道ではエリートだったんですかね?

    大山 いやいや、ボクなんか全然エリートじゃないですよ。エリートというのは、吉田(秀彦)先輩や滝本(誠)のことで。やっぱりオリンピックや世界選手権に出場できるレベルがエリート。それ以外の選手はそう言っちゃいけない感覚が柔道界にはありますね。

    ――講道学舎に入られたのはそれなりの選手だったからじゃないんですか?

    大山 いや、講道学舎の入門試験があったんですけど、試合形式でボクは全敗して。でも、理事長が「受け身がうまい」ということで合格にしてもらったんです。そこは運が良かったんですよね。ボクの投げられっぷりに何かを感じてくれたのかもしれないですけど。

    ――普通だったら不合格ですか?

    大山 そうでしょうね。やっぱり強くなるような可能性がないと。全国トップレベルの人間が集まる場所ですから。

    ――何人くらい合格するもんなんですか?

    大山 1学年に10人くらいですかね。講道学舎は中高一貫なんでけど、ボクの同級生には滝本誠や吉田善行、小斎武志がいて。同学年ではボクが一番弱かったんです(苦笑)。

    ――講道学舎の1日はどんなスケジュールなんですか?

    大山 まず早朝5時に太鼓の音で起こされて朝練です。

    ――太鼓の音!(笑)。

    大山 「ドーン!ドーン!!」という大きな音が鳴るんですよ(笑)。練習が終わったら講道学舎の近くにある中学や高校に通って。授業が終わったら帰ってきてまた練習ですね。あと先輩の洗濯物を洗ったり。

    ――中高一貫だと60人くらいの人間と共同生活。後輩は大変そうですね。

    大山 みんな個性的でしたから、まあ揉まれましたよねぇ……(しみじみと)。

    ――柔道はぶっ飛んだ方が多いイメージですけど。

    大山 ぶっ飛んだ人が多いんですよねぇ。ボクはもともと協調性がないし、友達がすぐにできる性格ではなかったので、途中で人間関係で悩みましたし。練習もキツイし、人間関係もうまくいかないし、どちらかというと“使えない奴”でしたね。先輩から「大山は使えねえな!」ってよく言われました。

    ――たとえばどんな失敗をしたんですか?

    大山 先輩に買い物を頼まれたけど、違うものを買ってきたりとか。

    ――典型的なダメパターンですね(笑)。

    大山 結局、講道学舎には中2から高2までいて大学でも柔道はやったんですけど。中学、高校と結果が出なかったんで、そのぶん大学で取り戻したいという思いでやってましたね。それと同時にパンクラスにも入りたい気持ちがあって。

    ――当時から総合格闘技に興味はあったんですか。

    大山 もともとプロレス少年ではあったんですけど。新日、全日、UWFからリングス、パンクラス、Uインターまで。『週プロ』なんかで網羅してて。パンクラスに入門したいなとボンヤリ思ってたくらい好きだったんですよ。

    ――U系からの総合格闘技って“90年代プロ格直撃世代”ですね(笑)。

    大山 UWFはホント大好きでしたもん。リングスでサンボの存在を知って、それがきっかけで大学の頃からサンボもやり始めて。でも、大学4年のときに柔道で結果が出たので実業団に入って柔道を続けることになったんです。

    ――実業団時代もアマチュアで総合はやられてたんですよね?

    大山 はい。桜庭(和志)さんの活躍に憧れて、自分もアマチュアの大会に出たりしました。初めて出たのがコンプリートファイティングですね。

    ――PRIDEの元レフェリーだった塩崎啓二さんがやっていたイベントですね。

    大山 たしか町田の体育館でやったのかなあ。1回戦で空手家のローキックを食らって「これが打撃なんだ……!?」とビックリしましたね。そのときはなんとか優勝したんですけど、「やっぱり打撃をおぼえないいとダメだな」って。

    ――そのときは打撃の練習はまったくせずに?

    大山 柔道家として出てました。フルフェイスをつけて頭突きありなんですけど、最後は頭突きをしまくっての判定勝ちで(笑)。ちょうど格闘技が熱くなってきた時代でしたよね。

    ――その熱に冒されるかたちで会社という安定した身分を捨て、総合格闘家に転向したんですね。

    大山 そうです。そこはやっぱり桜庭さんの存在が一番大きいですよね。桜庭さんはホント凄かったじゃないですか。東京ドームのホイス・グレイシー戦がボクの背中を押すきっかけになりました。そこからアマチュア修斗にも出るようになって優勝したことも自信になりました。

    ――周囲は反対しませんでした?

    大山 応援してくれたかなあ。両親なんかは反対するとばかり思ったんですけど。「やりたきゃやれよ!」って。親父にはぶっ飛ばされると思ってたんですけどね(笑)。あとアブダビコンバットに出たことも大きいですね。あのときの日本チームには宇野(薫)くん、マッハ、矢野卓見さん、金原弘光さん、あと(佐藤)ルミナさんもいたのかな。そこでプロの空気に触れたことも大きな刺激になりましたね。

    ――そこからPRIDEにどう繋がったんですか?

    大山 ちょうどPRIDEの関係者がアマ修の試合を見てたんですね。それで「アメリカのキング・オブ・ザ・ケージの試合に出てみないか?」という話をもらって。たぶんボクがどれくらいできるか試そうとしたと思うんです。そこでKO勝ちしたんですけど。

    ――そしてPRIDEデビュー戦の相手は、大山さんが尊敬する桜庭選手を倒したばかりのヴァンダレイ・シウバでした。

    大山 その話を聞いたのは試合の3週間前くらいだったかなあ。突然言われたんですよね。いや、PRIDEのオファーはいつも突然だったんですけど。 

    ――通常運転というか(笑)。PRIDE時代ちゃんと準備して闘った試合ってあります?

    大山 ないです、ひとつもないです(苦笑)。

    ――ハハハハハハ! 大山さんは実質階級下なのに、いつもスクランブル発進ですか!

    大山 いつも突然「準備できている?」と聞かれて「は、はい……」と答えるという(笑)。 

    ――PRIDEとは専属契約されていたんですか?

    大山 いや、何もなかったです。キング・オブ・ザ・ケージで2試合したときも、とくに先の話は決まってなかったんですよね。「俺はこの先どうなるんだろう……?」という感じで。

    ――生活費はどうされてたんですか?

    大山 最初の頃は貯金を切り崩しながらでしたね。でも、憧れの舞台に出れるわけですし、ヴァンダレイ戦も「やってやる!」という気持ちが強かったです。デビュー当時は経験がないから“怖いもの知らず”じゃないですか。何も知らないから怖さがないんですよね。

    ――シウバは大スターだった桜庭選手に勝った直後だったじゃないですか。当時桜庭さんが所属していた高田道場からすると、高田道場以外の日本人がシウバと闘うことに不快感を示していたようで。要は“いいところ取り”されるんじゃないか、と。

    大山 うーん、ボクは何も考えてなかったので……。それに周りのことを考えてる余裕もなかったですよね。あの試合は前田憲作さんがセコンドについていてくれて。前田さんの作戦は「とにかく距離を取って様子を見ろ」というものだったんですけど、いきなり殴り合いに行っちゃったから、前田さんの「行くなーーーーーっ!!」という声が聞こえたのがいまでもおぼえてますね(笑)。

    ――PRIDEだと実績が上の相手ばかりでしたけど、そんなマッチメイクはどう思われたんですか?

    大山 当時は「そういうものなのかな」って思ってたんですよね。そういう相手と戦って、結果を出していかないと生き残れない世界なんだろうな、と。いま思えばホントとんでもない相手ばっかりで、よく戦ってきたなと思いますよね(笑)。2戦目がイズマイウで、3戦目がヘンゾ(・グレイシー)じゃないですか。

    ――デビューしたばかりの選手が戦う相手じゃないですね(笑)。

    大山峻護 PRIDE1勝5敗
    PRIDE.14 ヴァンダレイ・シウバ    ● 1R TKO
    PRIDE.15 ヴァリッジ・イズマイウ   ●   2R 肩固め
    PRIDE.21 ヘンゾ・グレイシー           ○ 3R判定
    PRIDE.22 ハイアン・グレイシー    ●1R 腕十字
    PRIDE.25 ダン・ヘンダーソン     ●   1R KO
    武士道 四 ミルコ・クロコップ    ●   1R KO
    ☆適正階級後の大山は最終的に14勝18敗まで戦績を戻している。


    大山 あのときイズマイウが試合前のインタビューで「大山とは殴り合いをする!」と言ってたんですけど、いきなりタックルしてきましたからね(笑)。「これがプロなんだ」と思いましたね。

    ――まあ、イズマイウはそういう男ですから(笑)。PRIDE初勝利がヘンゾ戦でしたね。

    大山 (曇った表情で)…………いま振り返れば経験が浅いわりには頑張ったと思えるんですけど、当時は大バッシングを受けましたから。

    ――大山さんのファイトスタイルが消極的だということで、ヘンゾが試合中に唾を吐きかけたりして。

    大山 「あのヘンゾが唾を吐いた大山は何をやってるんだ!?」とバッシングをされて………………………………………………………いやあ、あのときはホント、ホントにつらかったですねぇ。この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます

     
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