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【伝説のUWF戦士】中野巽耀1万字インタビュー「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」
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【伝説のUWF戦士】中野巽耀1万字インタビュー「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」

2014-10-12 18:44
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    「練習も率先してやって後輩の見本になってたから。すげえ練習するよ、高田さんは。◯◯さんとは違う。これは書いてもいいけど」


    伝説のプロレス団体「第2次UWF」旗揚げメンバーのひとり、
    中野巽耀(旧リングネーム中野龍雄)。強烈なインパクトを与えた「しゃちほこ固め」(変形片エビ固め)、博多スターレーンでの異常な人気ぶりで「博多男」と呼ばれ、白熱する好試合に必ずついてまわる鼻血姿……UWFでも唯一無二の個性は熱狂的なマニアを生んでいた。そんな中野巽耀が激走したUWFという名の格闘ロードとはなんだったのか? 現在は茨城を拠点とする中野選手に話を聞いた。「ラッシャー木村との出会い」「前田日明vs佐山サトル」「約束を破った佐々木健介」「新生UWF崩壊に黒幕がいた?」……大ボリュームの12000字インタビュー!!



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    ――中野さんの身体つきは昔と変わりないですね!

    中野 じゃないと、みっともなくてリングに上がれないからね。うん。

    ――いまでもトレーニングは欠かしてないんですね。

    中野 もちろん! 毎日やってるよ。

    ――毎日!

    中野 俺の弟子があちこちにいて道場をやってるのでね。そこで指導したりして生計を立てているから、トレーニングをすることが生活の一部になってるんだよ。まだまだ引き込んでらんないよ!

    ――中野さんは東京から茨城に引っ越してからだいぶ経ちますね。

    中野 正確に言うと10年くらいになるかもしれない。

    ――試合があるたびに上京されてるわけですね。

    中野 こっちに俺のことをサポートしてくれる人たちがいるので、試合で東京に行くときは車を運転してもらってるんだよ。やっぱり試合で何が起きるかわからないから自分で運転しない。試合に集中したいからさ。

    ――そこは徹底してるんですね。 

    中野 もちろん。プロというのはそういうもんだと思ってるから。

    ――中野さんはもともとは国際プロレスに入団しようとしてたんですよね。

    中野 話すと長くなるかもしれないけど、中学のときからプロレスラーになりたいと思ってて。でも、プロレス界のことをよく知らないから、どうやって入ったらいいかもわからない。そのときに国際プロレスが地元で興行をやって。その興行をいろいろと世話した市議会員の方が知り合いにいてね。その人にいろいろと頼んで国際に口を利いてもらったんだよ。その市議会員は若いときに三菱電機にいたのかな。

    ――三菱電機は日本プロレス中継の番組スポンサーでしたね。試合の合間にリング上で三菱電気の掃除機をかけたり。

    中野 そうそう(笑)。よくおぼえてるなあ。

    ――いや、伝聞だけでボクも実際に見たわけではないんですけど(笑)。

    中野 それでその市議会員に連れられて、中学3年のときに後楽園ホールに国際プロレスを観に行ったんだ。控室でラッシャー木村さんに会って、市議会員と一緒に入門をお願いしたんだけど。当時の俺は身長170センチなくて体重は58キロ。いま考えたらその身体で入門は無理なんだけど(苦笑)。

    ――たしかにその体格だと厳しいですねぇ。

    中野 まあ何日か経って断りの連絡があったんだけど、どうしてもプロレスラーになりたかった。地元に残っていたら高校に通わなきゃいけないし、プロレスの道が遠くなるんじゃないかなって思って、卒業したら東京に行くことに決めてね。

    ――それで上京されたんですか。ガッツありますねぇ。

    中野 俺は3人兄弟の次男なんだよね。子供の頃からお袋に「次男なんだから家から出なきゃいけないんだよ」って言われて。だから家を出ることしか考えてなかった。あと藤波辰爾さんが中学卒業したらすぐにプロレスラーになったでしょ。「それなら俺も!」ってね。それでさっきの市議会議員の紹介で東向島にあった婦人靴関係の製造会社に就職したんだ。そこの社長が国際プロレスの後援をやっていたりしてね。昼間はそこで働いて、夜は錦糸町にあった遠藤光男トレーニングセンターに通って。そこにはアニマル浜口さんも練習に来てたよ。プロレスラーってデカイなあと思ったよね。ラッシャー木村さんに初めて会ったときもビックリしたもん。「なんだ、この身体は!?」って。

    ――そうやってプロレス入りをうかがってたんですね。

    中野 3年くらい働いていたかな。国際も潰れちゃったんだけど、ユニバーサル・プロレス(旧UWF)ができたでしょ。そこにラッシャー木村さんも参加されていて、新弟子を募集していると。国際に入門をお願いした当時のことを履歴書に書いたら木村さんがおぼえていてくれて、入門テストを受けさせてくれて。それがプロレス界に入るきっかけ。

    ――入門テストはどんな内容だったんですか?

    中野 俺のほかに全部15人くらい受けていたのかな。試験官が藤原(喜明)さん。新宿にあったユニバーサルの事務所に集まって、そこからバスに乗って場所は忘れちゃったんだけど、合気道の道場に連れられていったんだよね。

    ――合気道の道場で入門テスト!

    中野 そこで藤原さんが「みんなヒンズースクワットを知ってるだろ? やるぞ!!」って号令をかけて、藤原さんもスクワットをやり出すんだよね。

    ――試験官の藤原さんも一緒に(笑)。

    中野 またひとり、またひとり脱落していって。最終的には600回くらいやったのかな。残ったのは俺と5人くらい。藤原さんからその場で「おまえ合格な」って言われて、会社からも合宿所に入るように連絡があって。俺が合宿所に入ったのは7月1日の夏の日だったよ。

    ――同期はどなたになるんですか?

    中野 同期はいないよ。みんな途中でやめていった。安生(洋二)や宮戸(優光)はだいぶ後輩になるからね。

    ――合宿所に先輩レスラーは誰も住んでいなかったんですか?

    中野 いない。同期の連中だけ。俺が入門した当時は道場がなくて、あちこちのジムに出かけて練習してたんだよ。合宿所に前田(日明)さんや高田(延彦)さんから「明日◯◯に何時」って電話があって。たとえば新宿のスポーツ会館や湘南ジムを指定される。でも、前田さんと高田さんはたいてい約束の時間に遅れてくるんだけど(笑)。

    ――そこは“プロレスラー時間”なんですね(笑)。

    中野 前田さんらが到着したらスクワット500〜1000回やって、腕立て、腹筋、ブリッジをひと通りやって、タックルの打ち込みもやらされて。ヨソのジムだから、あまりでかい声は出せなんだけど。小さい声で怒られながら竹刀で叩かれたりしてたから。

    ――異様な光景ですね(笑)。

    中野 ジムの人間から前田さん言われてたもん。「すいませんが静かにお願いします」って。

    ――では、従来の新弟子生活とはちょっと違ったわけですね。

    中野 うん。毎日どこに呼ばれるのか不安だった。世田谷・大蔵の道場に落ち着くまでは1ヵ月くらいかかったのかな。

    ――そのうちプロレス入りのきっかけを作ってくれた木村さんもをやめちゃいましたよね。

    中野 会社の人や議員さんに言われたよね。「木村さんは出て行っちゃったけど、残って頑張らないといけない」って。言われなくても出て行くつもりはなかったんだけどね。ほかの団体に入るあてもなかったし。

    ――念願の道場もできましたし。

    中野 そうだね。合宿所が渋谷にあったら毎日電車で通ってたけど。ちゃんとした練習場所があったのはよかったよね。藤原さんは足立区から通ってたよ。木戸(修)さんは神奈川からかな。木戸さんはほかの先輩よりも早く来て自分のメニューをやって、日焼けして帰る。

    ――あの褐色の肌はそうやって維持されてたんですね(笑)。

    中野 佐山(サトル)さんは三軒茶屋でスーパータイガージムをやってたから、大蔵には取材のときくらいしか来なかったよね。

    ――佐山さんの加入後の旧UWFは格闘技色が徐々に濃くなっていきましたよね。

    中野 俺はこういうもんだとしか思わなかったから。それはいまでも変わらないし。それが良かったのかどうかはわからないけど、べつに悔いはないよ。

    ――旧UWFの客入りはどうでしたか?

    中野 たとえば東京、大阪や福岡はけっこう入ってた。青森とかの田舎は酷かった。2階席なんてお客さんを数えられたから。地方の人間なんてアントニオ猪木とジャイアント馬場しか知らないからね。「ユニバーサル・プロレス」なんて言ったってわからないでしょ。

    ――史上最大の悪徳商法詐欺事件で世間を震撼させた豊田商事がスポンサーだった時期もありますよね。それで一時期「海外UWF」を名乗って。

    中野 あったあった。潰れるちょっと前にね。殺されっちゃったんだよね。

    ――永野会長刺殺事件ですね。殺害の様子がテレビで生中継されたという……。

    中野 いろいろ景気のいい話を聞いていたよ。プール付きの合宿所ができるとか、年に何回かは海外旅行に行けるとか、中国で試合をするとか。豊田商事だけじゃなくて、変な話がいっぱい舞い込んできてたんだよ。占い師が怪しい話を持ってきたりね。

    ――若手の中野さんでも経営的の厳しさは感じましたか?

    中野 うーん、そうねえ。先輩たちが気まずくなっていった当時は大変かなあとは思ったよね。

    ――旧UWFは方向性を巡って、佐山さんと前田さんら他のレスラーたちが対立していきましたよね。

    中野 性格の問題だね、単純な話。合う・合わないだったと思う。最初はそうじゃなかったよ、俺が入門した当時はね。途中で佐山さんがいろいろとやりだしたじゃない。ルールがどうのこうのとか面倒くさいことになって。そのへんからおかしくなった。

    ――佐山さんは競技路線を推し進めましたよね。

    中野 その前は客が入らなくても「どうにでもなんだろ」と思ってた。選手がみんなまとまってる雰囲気があったんでね。若い連中のあいだでも「前田さんと佐山さん、もし別れたらどっちにつく」なんて話もなくはなかった。冗談半分でそういう話をしたことがある。

    ――それが現実になってしまったち。中野さんはどっち派だったんですか?

    中野 それは言えない。ワハハハハハハ!

    ――あ、20年以上経ってもダメですか(笑)。その溝が深まっていった結果、前田さんと佐山さんが不穏試合をやったじゃないですか。あの大阪府立臨海スポーツセンターの現場にはいらしたんですか?

    中野 うん。俺もいた。

    ――どういう状況だったんですか?

    中野 どういう状況って前田さんが最初から試合をする気がなかったんだよね。まともな試合をするつもりがなかった。佐山さんを潰してやるみたいなところがあって。それは前田さん個人の考えではなかったと思うんだよね。前田さんを炊きつけた人間がいる。誰とは言わないけどさ。

    ――黒幕がいると?

    中野 前田さんは他人の意見に左右されちゃうところがあるんだよね。それくらい純粋な人なんだけど。前田さんの個人的な考えだけでああいうことはやらないと思う。なんか裏であったんだと思う。

    ――そして旧UWFは経営破綻します。潰れたときはどういう報告があったんですか?

    中野 俺はテレビ番組の取材でカール・ゴッチさんのところに修行に行っていて。日本に帰ってきたら潰れてたんだよ(笑)。

    ――いないあいだに(笑)。

    中野 神(新二)さんが空港に迎えに来てくれて、帰りの車の中でボソボソ伝えてくるんだよ。

    ――旧UWFの社員で新生UWFでは社長を務める神さんですね。

    中野 それだったら日本に帰ってきたくなかったなって。見通しがないのに帰ってきたってしょうがないでしょ。ゴッチさんのところにいたほうが勉強になったし。ゴッチさんのところでは、走らされて、ロープを登ったり、ブリッジをやったり、まあ基本的なことだよね。あの人は怒鳴ったり怒ったりしないから。ゴッチさんはユニバーサル時代にも来日して何回か教わったけど、どうしてもできない選手がいるわけよ。でも、怒らないでどうにかできるように指導するからね。日本の先輩はできないと怒ったり引っ叩いたりするんだけど、ゴッチさんはそういうことは一切しなかった。たしかにゴッチさんは厳しいは厳しいんだけど、やる気のある選手にはどうにかできるように教える。それが神様と呼ばれる所以なのかなって。

    ――帰国しても試合がないならそのまま残留したかったですよね。

    中野 試合もないからモチベーションがない。なんのために道場で練習をしてるか意味がわかならなかったから。そんなときに新日本との業務提携話が出てきた。でも、俺は新日本に行きたくなかったら、ハッキリ言って。

    ――それはどうしてですか?

    中野 やっぱり新日本は“違う畑”。俺は新日本で育ってきたわけじゃないしね。UWFで試合ができないんだったらどうでもいいやみたいな気持ちだったし。

    ――実際新日本のリングに上がってみていかがでした?

    中野 というか、最初は安生との試合ばっかりだったんだけど。も〜〜う何回やったかわからない。顔を見るのも嫌だったよね(笑)。

    ――最初はUWF同士の試合ばかりで、新日本側も様子見だったというか。

    中野 新日本とUWFの上の選手同士が噛みあうようになってきて、それから若手同士もやるようになって。あのときのUWFの若手は俺と安生、あと宮戸かな。

    ――新日本の若手とはかなりガンガンやってましたよね。

    中野 お互いに敵対心丸出しだった。口もきかなかった。船木誠勝、野上彰の連中とタッグで戦うようになって、そこからかな、面白くなってきたのは。

    ――船木さんは中野さんと試合をするようになって「打撃を勉強しなきゃダメだ」ってことで骨法に通うようになりましたね。

    中野 船木選手がそう言ってた? それは当時の俺もわかってたよ。一生懸命、骨法とかに通ってたもんね。だから彼らとの試合は面白かったよ。そんな中、前田さんが長州さんの顔面を蹴った事件が起きたでしょ。

    ――顔面襲撃事件ですね。「プロレス道にもとる行為」をやったとして前田さんは新日本プロレスを解雇されて。

    中野 あれがなかったらUWFは新日本に吸収されていたよ。前田さんのアレでダメになった。まあ、俺は吸収されるのはイヤだったんだけどね。そうなったらやめていたかもしれない。その前に新日本とUWFの合同合宿があったり、完璧に吸収される雰囲気だったんだよ。そんな合宿、俺は嫌だったからスッポかしたんだよ(笑)。

    ――我が道を歩いてますねぇ(笑)。

    中野 向こうの若手の佐々木健介と仲が良くてさ、「行くのやめような」という話をしていたのに、あの野郎は約束を破って行きやがって。あとから聞いたら「長州さんが行けというから」だって。それで俺だけ坂口(征二)さんに怒られて、干されてしばらく試合が組まれなかったもんな(笑)。

    ――それって新日本とUWFの親睦会で酔った選手が暴れて九州の旅館をぶっ壊した時期ですよね。

    中野 あったなあ。親睦どころかみんな酔っ払って大変だった。俺と安生は途中でスッポかして何があったかは見てないんだけど。

    ――あ、そこもスッポかしましたか(笑)。

    中野 洗濯とか雑用があったからね。みんなができあがったときにはいなかった。旅館をぶっ壊したというのはあとから聞いたけど、みんなそれくらいストレスがたまってたんだろうね。

    ――旅館を壊すほどストレスって(笑)。

    中野 だって新日本にはアントニオ猪木さんに絡むレスラーがいたくらいだから。

    ――後藤達俊さんが日本刀を振り回しながら「猪木はどこだあ!」って叫んでたんですよね(笑)。

    中野 そうしたら後ろに猪木さんがいたというね(笑)。

    ――前田さんと武藤(敬司)さんの殴り合いはどういうふうに聞いてますか? いろんな説があるんですけど。

    中野 誰かが武藤さんに命令して前田さんが殴ったら、前田さんがブチ切れて馬乗りになってボコボコにした。それで武藤さんが顔を腫らしちゃって、翌日の試合を休んだという。あと前田さんと高田さんが雨の中、素っ裸でタクシーを捕まえて乗ったとか。まあ現場にいなくて本当によかったよね(笑)。

    ――ほかのUWFのメンバーは吸収ムードをどう捉えていたんですか?

    中野 賛成・反対のふたつに分かれていたよね。前田さんは反対だった。俺と前田さんだけじゃない、反対は。

    ――高田さんは吸収歓迎派で。

    中野 高田さんはそう。藤原さんもね。安生も宮戸も新日本の道場に練習に行くようになってたから。

    ――新日本にすっかり馴染んでいたんですね。

    中野 俺はひとりで大蔵の道場で練習をしてたよ。神さんから電話で「もうちょっと待っててくれ。いいことあるからな」と言われていたんだけど。

    ――業務提携の当時から、のちの三派分裂に繋がる亀裂はあったんですかね。

    中野 あったと思う。だって我の強い人間の集まりだもん、UWFは。長く続くとは思わなかったよ。

    ――でも、前田さんの顔面蹴りはある意味で吸収ムードをぶち壊したんですね。

    中野 うーーーーーん、結果的にはね(苦笑)。だってあの試合後の何日かは前田さんと高田さんの仲はぎこちなかった。高田さんは新日本に残ってやっていくつもりだったから。でも、前田さんがやっちゃって。

    ――でも、前田さんはわざと長州さんの顔面を蹴ったわけじゃないですよね?

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