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【90年代インディの夢と地獄】レッスル夢ファクトリーとは何だったのか?髙田龍インタビュー
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【90年代インディの夢と地獄】レッスル夢ファクトリーとは何だったのか?髙田龍インタビュー

2015-12-16 08:54
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90年代中盤から00年代初頭まで、北関東を中心に活動していたプロレス団体「レッスル夢ファクトリー」。代表の髙田龍氏は、谷津嘉章が主宰した社会人プロレスSPWFの旗揚げから関わり、のちには伝説のプロレス団体WJにも深く関与。SPWF、夢ファクという多団体時代や地方プロレスの先駆けから、プロレス界のど真ん中を歩みそこねたWJの混乱に身を置くなど、メジャーとインディの夢と地獄をそれぞれ目撃したわけである。前編となる今回はレッスル夢ファクトリーについて。夢はマグマに連鎖する!




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髙田 レッスル夢ファクトリーのことはじつはしゃべったことないんですよね。

――高田さんがのちに深く関わったWJもブログ(http://blog.livedoor.jp/dreamdragon716/)に書く程度ですよね。あちらも凄く興味深い内容ですけど(髙田氏の現在のブログはコチラ→http://ameblo.jp/ryu716/)。

髙田 ただ、夢ファクトリーのほうは……私は団体の代表だったんですけど、もう思い出したくもないというか。前に夢ファクトリーの同窓会みたいな興行があったそうなんですけど、私も呼ばれたんですよ。行かなかったんですけどね。夢ファクトリーであんなにつらい思いをして、あげくのはてに犯罪者のレッテルを貼られそうになったから。

――そのへんのお話はおいおい伺いますが、高田さんがプロレス界に関わることになったのは、谷津嘉章さんの社会人プロレスSPWFなんですよね。

髙田 私は昔、群馬の会社で働きながら舞台演出の仕事もしていたんですよ。私の人となりを説明してもつまらないかもしれないけど、本当は舞台仕事に専念したかったんだ、食わせていかなきゃいけない家族もいたから勇気がなくて。ほかで勤めながらやろうと。そうこうしてるうちにSWS末期の谷津嘉章が群馬で中古車販売業をやっていた関係で知り合うようになって。そのとき彼が群馬を中心としたプロレスの団体を興すという話になったんです。

――それがSPWFなんですね。

髙田 1993年の話ですね。そのとき仲野信市も連れられてきてたんですけど。谷津に旗揚げ前の準備を頼まれて手伝ったんだよね。SPWFのロゴマークの「人」という字、あれは私の字ですから(笑)。

――へえー!高田さんは達筆なんですね(笑)。

髙田 旗揚げ記者会見はプリンスホテルでやったんだけど、横幕も作りましたし。旗揚げ記者会見までは手伝おうと思ったけど。そのうち「高田さんも一緒にやってくれないことには……」みたいな話になっちゃって。結局、事務局長という立場になったんです。いざ始まってみると営業もやんなきゃいけないですし、団体のコンセプトも私が書いたんですよ。

――社会人プロレスという構想も高田さんの発案なんですか?

髙田 あれは谷津嘉章。私としては「社会人プロレス?なんだ、それ?」とは思っていたんです。力道山時代からプロレスを見てたけど、やっぱりプロレスラーは特別な人間がやるもんだと思ってたから。

――いまは誰でもリングに上がれる時代ですけど、当時は違和感がある試みでしたよね。

髙田 でも、手伝う以上は社会人プロレスを正当化しないといけない。しっかりとした原稿を書きましたよ(笑)。素人にもチャンスを与えたことで結果的にいまのプロレス界の流れを作っちゃったところはありますよね。あるレスラーに言われたことがありますよ。「こんなに団体が増えたのは高田さんの責任だ」って(笑)。

――多団体時代の先駆けですもんね。

髙田 SPWFは1部リーグ、2部リーグ、3部リーグまであって。入門テストもいちおうあったんですけど、基本的に「会員」という扱いで。

――会費を払わせるんですか?

髙田 払ってましたね、いくらでもないけど。そのかわり葛飾橋の精神病院が所有している体育館を開放してたんです。

――それも凄いネットワークですね(笑)。

髙田 谷津の人脈は凄いですよ。レスリング界の先輩が警察方面や実業界にいましたし。SPWFの会員は、みんなお金目当てでやってるわけじゃないし、試合に出られるだけで嬉しいですから。小遣い程度のギャラは渡してましたけど、切符は家族や知り合いに売るんですね。

――いまの格闘技界も同じようなシステムを導入してますね。

髙田 ただ、旗揚げ前に強化合宿もやったんですけど、当時43歳の私に1500メートル走で私に勝てる人間がいなかったですからね(笑)。「こんなんでプロレスができるのかなあ?」って不安はあったんですけど。

――ホントに素人の集まりだったという(笑)。SPWFには大きなスポンサーがついてたんですよね。

髙田 のちに夢ファクトリーのスポンサーになるところがついてましたね。

――飲食業などを展開していた北関東グループですね。

髙田 ちゃんと知ってますね(笑)。店舗数は40店舗くらいあったんじゃないですかねえ。北関東がついていなかったらSPWFも続いてなかったですよ。たとえばチケットが1500枚あったとする。半分くらいは谷津が担当するんですけど、そんなに売れるわけないんです。最後の最後まで残った700枚くらいを北関東の会長に引き取ってもらう。その役目を仰せつかってたんです。

――イヤな役目ですねぇ(笑)。

髙田 北関東の会長は「わかりました」って何も言わず余った切符を毎回全部引き取ってくれるんですよ。

――毎回全部!

髙田 2〜3ヵ月かけて売れなかったチケットを「大会1週間前にどうやってさばくの? いいのかな?」って申し訳ない気持ちになってたんですけど。私も谷津に頼まれた以上は仕事としてやらなきゃいけないから。

――北関東はそれほど太かったんですねぇ。

髙田 谷津の新日本参戦が決まったときにグアムで合宿するとなったら「美味しいもんでも食べて英気を養ってください」って100万円をポンと渡してくれるし。

――バブルですねぇ。

髙田 北関東グループのほかにも、もうひとりスポンサーがいたんですよ。船橋に水道工事さんをやりながら、外車屋、不動産もやってる社長さん。

――それって太刀光さんが働いていた水道工事会社ですか?

髙田 よく知ってますねぇ(笑)。私はいまでも付き合いがあるんですけど、谷津は学生の頃からその社長に面倒を見てもらってて。

――谷津さんが学生の頃から!(笑)。

髙田 北関東グループは足利や群馬で切符がさばけるんですけど、東京ではできないじゃないですか。船橋の社長が銀座でどんちゃん騒ぎをして一生懸命切符を売るわけですよ。だけど、一晩で50万円分の切符が売れたけど、飲み代は100万かかってる(笑)。

――ハハハハハハハハハハ!

髙田 「飲みに行かないで社長がそのぶん切符を買ったほうがいいんじゃないですか?」って言ったことがあるけど(笑)。

――90年代って太いスポンサーがゴロゴロしてましたよね。

髙田 あの頃は金持ちがいっぱいいましたよ。プロレスに金を出すという金持ちはいた。

――北関東グループはどれくらい出してたんですか?

髙田 谷津が直接もらっていたのがいくらあったのかは知らないけど、チケットだけのやりとりだけで……軽く4桁はいってるんじゃないですか。

――はっはー(笑)。

髙田 だって300万円分くらいをまとめて買ってもらったことが2〜3回はありましたしね。あんまり急にお願いしたもんだから1000円札や5000円札がごちゃ混ぜになって渡されたときもありましたよ。北関東の会長は本当は大変だったと思います。

――ところで高田さんから見て谷津さんはどんな方でした?

髙田 谷津は「私は強いんだ」って胸を張らないんですよ。レスリングでは連戦連勝、日本では敵がいなかったし、日本がモスクワ五輪を棄権しなければ、間違いなくメダルを獲れたと言われてましたけど、谷津本人は「いやあ、やってみないとわからないですよ。巡りが良かっただけだ」って強がらない。ただ、社会人としての感性が一般人と違うから(笑)。

――社会人プロレスをやってるのに(笑)。

髙田 金銭感覚も違うというか。よく打ち合わせでメシを食いにいったんですけど。谷津は支払いをまったく気にとめない人でしたね。

――清々しいごっつあん体質というか(笑)。

髙田 当時の谷津嘉章のイメージって、SWSの一流レスラーですよ。いくらやめたとはいえお金を持ってると思ってたんだけど……余談だけど、WJのときに仲良くなった長州力はそういうことが1回もなかったですよ。リキちゃんは他人にご馳走になるのが嫌いだから。しがらみで飲ませ食わせしてもらって義理を作るのがイヤだったんじゃないのかなあ。リキちゃんは自分の金で自分の行きたい場所で自分のペースで飲みたい人間。

――そうやってだんだん谷津さんと溝ができてきたんですね。

髙田 そもそも私はだSPWFからは給料をもらってなかったんですから

――え? そうだったんですか。

髙田 でも、事務局長という立場をしっかりやるために勤め先をやめたんです。そうしたら谷津は「働きながらやるのが社会人プロレスなのに勝手に会社をやめちゃって」とか文句を言っていたみたいで。

――ちょっと酷いですね(笑)。

髙田 朝9時にタイムカードを押して夜6時まで働いて、それからどうやって営業をやるの?っていう話なんですけど。

――それで髙田さんはSPWFをやめるんですね。

髙田 というか、谷津自身がSPWFと距離を取り始めましたからね。社会人プロレスという新しいシステムの団体をやり始めたのに、自分は新日本に出ることになったでしょ。そうなると、やる気のある人間からすれば、続ける意味がない。選手たちもやめだしたんです。

――谷津さんは新日本の平成維震軍vs昭和維新軍の対抗戦に駆りだされましたね。

髙田 そのときの細かい話は私が新日本と交渉したんだけど。倍賞鉄男さんと永島(勝司)と会ったんだけど、永島の態度がでかくてね。

――偉そうな永島さんの姿が目の浮かびますね(笑)。

髙田 永島は「社会人プロレスなんてややこしい物をつくりやがって。働きながらプロレスなんかできるか」とか言うんだよね。私もカチンときちゃって「働きながらとおっしゃいますけど、みんな働きながらやりたいわけじゃないんです。ボクシングだって日本チャンピオンクラスでも仕事を持ってます。仕事を一生懸命しながらプロレスをやってることは大したもんです」って言ってやったんだよね。永島は黙っちゃった。

――押し黙っちゃう姿も目に浮かびますね(笑)。

髙田 「ウチの団体じゃないけど、アマレス出身で茂木正淑という男がW☆INGにいるんですが、彼はサンヨー電機の管理職です。有休をうまくつかって巡業に参加して月曜日には何事もなかったように出勤するんです。そこまで自分をマネジメントしてできる選手はメジャーにはいるんですか?」と。永島は茂木という名前にピンときたのかな。当時ライガーがジュニアのベルトを持ってる選手を集めてトーナメントをやろうとしてたでしょ。

――「J−cap」ですね。

髙田 茂木もチャンピオンだったんですけど、新日本はW☆INGとは絡まないという決まりがあったらしくて。そこで私は「茂木がW☆INGをやめたら新日本で使ってもらえるんですか?」と聞いたらOKだと。それでW☆ING代表の茨木さんに会って「はなはだ失礼な話だけど、茂木という選手の将来を考えたらW☆INGを退団させて……」という話をしたんです。当然「ふざけんな、バカヤロー!」と怒鳴られる覚悟だったんだけど、茨木さんはあっさりと「はい、わかりました」と言ってくれてね。それで茂木はSPに移籍して新日本に出ることになったんです。だから茂木は「私を新日本に上げてくれたのは谷津さんじゃなくて高田さん」という気持ちが強かったみたいで。私に続いて茂木もSPもやめちゃったんだよね。それで「ほかのみんなもSPをやめたがってる。高田さん、ちょっと苦労してくださいよ」と。

――新しい団体をやってくれ、と。

髙田 でも、お金もかかるし、無理だって話じゃないですか。それでSPをやめるにあたって挨拶しないといけない人もいますよね。一番知らんぷりしちゃまずいのは北関東グループの会長。私はいつもお金をもらいに行ってから「やめることになりました」って電話したんです。会いに行けば私も人間だから「谷津のやり方が……」とか口にしちゃいそうだからさ。そうしたら「いったいどうしたんですか?電話はなんだから一度出てきてください」と。そう言われたら断れないですよね。いつもお金を引っ張ってるのは私だから(笑)。

――会いに行くしかないと。

髙田 団体の内部事情はグジュグジュ言わなかったんだけど、いろんな話をしたときに会長はこう言ったんですよ。「高田さん、やり残した夢はないんですか」と。最初は谷津に言われてSPに関わったけど、2部リーグ、3部リーグのみんなに夢を与えてしまったのは私だし。やり残したことがあるかと言われればありますよ、と。会長は「私は事業家の端くれとして、高田さんのような右腕がやめるというのは大抵トップに問題があるんですよ。私は谷津さんと高田さんだったら高田さんのほうが好きなんですよ。高田さんは団体を作ることはできないんですか?いくらかかるんですか?」と聞くから、道場やリングの初期経費、月々のランニングコストをざっと伝えたら「私、出しますよ」と。

――凄いなあ。

髙田 ハンパな金額じゃないよ。家賃、電気ガス水道、ちゃんこ代、これだけで月100万。北関東グループには不動産部もあるから、数日後には熊谷で物件を見つけてきてくれたんです。80坪の道場。


――のちにWJにも関わりますし、こまでお金を出すって会長はプロレスが大好きだったんですかね。

髙田 
好きだった。でも、口出しはしなかったです。ニコニコしながら試合を見て、選手たちにメシを食わせて。会長は「夢にかける」ことが好きなんですよ。

――だから団体名にも夢が入ってるんですか?
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