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大ヒットマンガ『風雲児たち』などでお馴染みのマンガ家・みなもと太郎先生は、他方では「マンガ研究家」としても知られています。先生のご自宅の書斎には地下室があるのですが、そこはこれまで収集された膨大な数の資料性の高いマンガで溢れています。あるいは先生のパソコンの外付けハードディスクにはマンガに関する膨大な映像資料が保管されてもいます。

そんなみなもと太郎先生がこの度、先生にとって初めてとなる本格的な「マンガ史」をご執筆なさいました。その名もずばり「マンガの歴史 1」(岩崎書店・1000円+税)。

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みなもと先生は団塊の世代であるため、手塚治虫先生によって隆盛した日本マンガを読者としてリアルタイムで体験されました。また長じてマンガ家になられたため、そのお立場を利用されマンガ界のさまざまな一時情報にも接してこられました。さまざまな先生や編集者の方々から、直にお話しを伺ってきたのです。

そんなみなもと先生がマンガ史を書かれるのは、これはもう一つの事件ともいえるでしょう!
マンガ史はこれまでにもいくつか書かれてきましたが、みなもと先生によるマンガ史はそこに新たな情報や歴史観またサジェスチョンを投じることになるのではないでしょうか。ちなみに、今回のご本は全4巻のうちの第1巻で、続刊も順次刊行予定です。

そんな待望のマンガ史を執筆されたみなもと先生が、今、最もお話を伺いたいマンガ家の一人が、ちばてつや先生です。
ちばてつや先生は、言わずと知れた『あしたのジョー』の作者(作画を担当、原作は高森朝雄〈梶原一騎〉先生)です。それ以外にも、『おれは鉄兵』『のたり松太郎』といった数々のヒット作を、これまで生み出してこられました。

そんな「生きるマンガ史」ともいえるようなちば先生に、マンガ研究家のみなもと先生がお話を伺いたいというのはある意味当然といえるかもしれないですが、それ以上にそこには大きく三つの理由が存在します。

■会いたい理由その1「憧れの存在」

まずみなもと先生にとってちば先生は「憧れの存在」です。
というのも、ちば先生は『あしたのジョー』をはじめとする「少年マンガ」の作者として有名なのですが、実はデビューは「貸本マンガ」でありその後しばらくは「少女マンガ」を描いておられました。そしてみなもと先生は子どもの頃にお姉さまが少女マンガを購読されていた関係で、少女マンガにも慣れ親しんでこられたのです。

おかげで、デビュー間もないちば先生のマンガをリアルタイムで読まれていました。そこで幼きみなもと先生は度肝を抜かれたのだそうです。
なぜかといえばちば先生のマンガの描き方がこれまでのマンガ家とは大きく異なっていたからです。具体的にはそこで細かい生活描写をしたり、時間の経過を丁寧に描いたりされていました。
実はそれはちば先生の個性であるのですが、一つの発明でもありました。ちば先生は当時、編集者に反対されながらそれを描かれていたのだそうで、つまりそれほど革新的な表現だったのです。

みなもと先生はそれをご覧になって度肝を抜かれました。「これはすごいマンガ家が現れた」と当時から注目されていたそうです。

そのこともあってみなもと先生はちば先生にお聞きになりたいことがたくさんおありになるのです。ちなみにちば先生の当時のエピソードはこのご本に詳しいです。

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■会いたい理由その2「マンガ史における重要性」

『マンガの歴史 1』では戦前から1967年くらいまで――つまり『巨人の星』がヒットした辺りまでについて述べられております。
そこに登場するマンガ家の中で最も回数が多いのはもちろん手塚治虫先生なのですが、それに続く第二グループにちば先生も位置していらっしゃいます。

ちば先生は、マンガ史における重要なキーマンのお一人です。それは、少女マンガ時代に前述した新たな技法を確立したという意味でもそうなのですが、1960年代当時まだ創刊間もない「週刊少年マガジン」誌で後の『巨人の星』にも影響を与える重要な作品をお描きになられたからでもあります。

その作品とは『ちかいの魔球』です。実は、マンガ史を大きく転換させる『巨人の星』という作品は、『ちかいの魔球』の影響下で描かれたのです。『ちかいの魔球』でちば先生が開発されたさまざまな技法や表現が、そのまま『巨人の星』にも継承されました。

そのため『巨人の星』は、『ちかいの魔球』がなければ生まれなかったとも考えられます。『マンガの歴史 1』にも、この『ちかいの魔球』について詳しく言及されています。
ですからみなもと先生は、そこのところを当事者であるちば先生がどのようにお考えなのか、ぜひとも伺ってみたいと思われています。

■会いたい理由その3「ルーツの謎」

ちばてつや先生は『あしたのジョー』など超有名作品を描きながらが、そのルーツが独特です。というのも、ちば先生と同世代のマンガ家はそのほとんどが手塚治虫先生の薫陶を受けて育ちました。特に『新宝島』という作品に衝撃を受けた方々が多く、彼らはやがて大人になると一方はトキワ荘グループを形成し、もう一方は劇画グループを形成されました。つまりこの両者は、絵柄こそ大きく異なるもののルーツはいずれも手塚マンガで「同根」なのです。

しかしちば先生の場合は、ちば先生のお母様がマンガにあまり良い印象を抱かれておられなかった関係で、幼い頃に手塚マンガを読めない環境にいらっしゃいました。そのため、トキワ荘グループともまた劇画グループとも違って、独自のルートでマンガの能力を開花されたのです。

おかげでちば先生は「手塚治虫の影響を最も受けていないマンガ家」と呼ばれたりもしています。マンガ史を研究されているみなもと先生は、そんなちば先生が子どもの頃(あるいは大人になってからも)、どんなマンガを読みどんなマンガ家に影響を受けたかということに、大いに興味があるのです。そのことについて伺いたいというお気持ちがお強いです。

そんなふうに、みなもと先生とちば先生は、お話しをされたらマンガ史上の興味深い事実が続々と出てくるであろうことは、想像に難くありません。
そんなお二人のトークショーが、この度実現することとなりました!

日時は、2017年9月8日(金曜日)、時刻は18:30からで、場所は東京・飯田橋駅近くにある「日本出版クラブ」です。そこにおいて、みなもと先生の『マンガの歴史 1』の発売を記念し、お二人のトークショーを開催いたします。

このトークショーの詳細については、以下のページをご覧ください。

そして、このトークショーの観覧者を募集いたします!
定員は240名で、定員に達し次第、締切らせていただきます。

あなたもぜひ、ちば先生・みなもと先生という二大巨匠の歴史的邂逅を目撃されませんか?
みなさまのお越しをお待ちしております!