来週の火曜日に、新宿のロフトプラスワンで行われる、こちらのイベントに登壇します。

2017年のマンガの語り方 ~兎来栄寿が迫る、みなもと太郎はHUNTER×HUNTERをどう読むか?〜

ところでみなさん、本の売上げって全盛期の半分くらいになったのをご存知ですか? ピークは1996年だったのですが、そこから20年かけて半分になりました。2兆6千億が、1兆3千億になったくらいの規模感です。

そういう状況ですから、出版社の経営はなかなか厳しい。しかしそれ以上に、本屋さんの方が大変でしょう。本屋さんの数も今は最盛期の半分になってしまいました。そのため、人が本と出会える場所はますます少なくなり、今後のさらなる規模縮小が予測されています。

本が売れなくなった一番の理由は、やはりインターネットの登場でしょう。インターネットが特に「情報の流通」を担うようになったおかげで、それまで「情報の流通」を担っていた雑誌は全く売れなくなりました。前年比はここ15年くらい続けてマイナスですが、今年の落ち込みは特にひどくて、前年比でマイナス15%くらいです。

では、「情報の流通」ではない「エンターテインメント」はどうなのか?
これもやっぱり、売上が大きく下がっています。中でも、マンガが子どもたちに読まれなくなったといいます。子ども自体も少なくなっているのですが、それ以上に子どもたちがマンガを読まない割合が増えた。これは、にわかには信じがたいことなのですが、しかし本当らしいのです。

今は、大学にマンガ学科というのがあって、それはだいたい15年くらい前にできました。そこにお勤めの方から面白い話を聞いたのですが、15年前のできたばかりの頃には、先生が生徒に「マンガばっかり読んでちゃダメだよ。視野が狭くなるんで、小説とか映画とか、あるいはリアルな恋愛とか、さまざまなことに取り組みなさい」と説諭していたそうです。

しかし今は、こう言っているのだそう。
「きみたちマンガ学科の学生なんだから、少しくらいマンガを読んだらどうだい?」
それくらい、今の子どもたちはマンガを読まないらしいのです。

なぜなのか?
最も大きいのは、「他にすることができた」からでしょう。マンガを読むよりしたいことができたのです。それは、アニメ観覧だったり、ゲームプレーだったり、あるいは友だちとラインでおしゃべりだったりします。

いずれにしろ、マンガがそれほど子どもたちを夢中にできなくなったのは確かです。アニメやゲームやおしゃべりの魅力に抗えないから、そういう事態が引き起こされる。
誤解を恐れずにいえば、マンガは面白さでそれらのものに勝てなくなった。それはなぜなのか?

40年前は、マンガが子どもたちを夢中にしていた時代が確かにありました。その時代は、ゲームはありませんでしたがアニメはありました。カラーテレビはありましたがビデオがなかった。もちろんスマホやパソコンもありません。

その時代に、子どもたちは砂に水が染み込むようにマンガを読んでいました。特に際立っていたのが「少年チャンピオン」です。『ドカベン』がその筆頭ですが、『ブラック・ジャック』や『ガキでか』『マカロニほうれん荘』など、歴史的名作が目白押しだった。

ぼくをはじめとして多くの子どもたちは、文字通り夢中になってそれらを読んでいました。誰かが声をかけても返事ができないくらい、マンガに魅入られていたのです。

そういう奇跡のような活況が、40年前にありました。
こういうと、「そういう面白いマンガは今でもあるよ」という声も聞こえてきそうです。確かに、あの頃と同等か、もしかしたらそれ以上に面白いマンガもあるでしょう。

しかしながら、あの頃の「熱狂」が失われたのは確かです。以前は、誰か特定の人というよりは、ほとんどの子どもがそんなふうにマンガに対する熱狂の渦の中にありました。またその矛先も、特定の作品というよりは、ジャンルそのものに向かっていた。

ぼくは、そのことの理由が知りたい。そしてできうるならば、その熱狂をもう一度取り戻したい。子どもたちが夢中になることの秘密を知って、それを現代において再現したいと考えているのです。

その、「子どもたちが熱狂していたマンガ」というものの構造を解き明かそうとしたのが、今回のイベントです。思えば、ぼくの人生の中でも最も熱狂したのが40年前のマンガです。とにかく、マンガに対する飢えと乾きがひどくて、一日4、5時間は必ずマンガを読んでいました。

しかし今は、ほとんど読みません。読んでも、あの頃のような熱狂は味わえない。
それはなぜか?
あの熱狂の正体は何だったのか?
そしてそれは、再び取り戻すことができるのか?

そういったことを、このイベントでは漫画家のみなもと太郎さんと、マンガ評論家の兎来栄寿さんとともに、じっくり掘り下げていきたいと考えています。