そんな矢先、ある人から「ゆとり教育は、実は成功だった」という話を聞いた。それで、初めは訝しさ半分に聞いていたのだけれど、そこで展開されたのは驚くべき論理だった。
そこで今回は、その人の考え方を紹介することで、「ゆとり世代」のこれからというものについて考えてみたい。
ゆとり教育がいつから始まったのかというのは、段階的に進んだので議論の分かれるところなのだが、ここでは便宜的に土曜日が休みになった頃合いの1995年とする。そして終
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
遠い、遠い、未来の話ですね。それまで日本がもつ保障はないでしょうけど。
ああもしドラの作者さんね、納得
なんだかゆとり世代全員が競争心という名の牙が抜かれてるみたいな書き方に感じられるんで記事読んでうーんって思いましたが...
別に徴兵その他で戦争行って穴ができた世代に戦後活躍した人が皆無ってことはないわけで、死屍累々にはなれどゆとり世代にも活躍した人は穴ができた世代ほどの人数ぐらいは出てくるんじゃないかなあと。
競争力がない……というのはどうなのか。
学校受験、就職活動、別に、ゆとり世代でもこういったものにさらされて、若いうちから徹底して競争させられて
きた人もたくさんいるというのに。ただ、世代だとかそういう理由で失敗例にされ、プロトタイプ的な扱いをされるのも
かなりゆとり側としては腹立たしい話だろう。
実際、この世代である私は腹立たしい。
環境的差異も多大にあるというのに、その年代の人間だからと言う理由で失敗者とみなすのはどう考えてもおかしい。
仕事ができない、というのも、要は教育や経験の差で決まると、この記事の中で語られている。
それと、現在の教育、つまり脱ゆとりにもさまざまな問題があって、(例えばハッピーマンデー制度における
月曜授業に当てられがちな芸術科目の希薄化等)すべて丸く収まっていくわけではない。
結局のところ、脱ゆとりで日本が復興すると考えるのも、かなり短絡的発想である。
何を持って復興となすか、まずはそれを指針として定めないうちには、
バブル世代はダメだ、ゆとり世代はダメだ、などと言う押し付け論的な話で片づけられて終わりであると、
私は考える。
ハッキリ言って実はゆとりと脱ゆとりで記事にあるほど大した差はない
能力的に両極端の人が増えたと思います。はっきりとした根拠はないけど。
多分分かりやすい区分だからそういう言い方をしているのだとは思うが、
世代の問題をゆとり教育だけに押し付けるのはどうかと思う
大体、脱ゆとり教育になっても世間の風潮が変わらない以上対して変わらないと思う
客を呼び込むための無料記事がこういったお粗末な内容であるという事で、絶対にこの人には月額840円などというお金を落とさないでおこう、と決意できました。ありがとうございます
この指摘はおおむね正しい、ゆとり世代の自分が言うんだから間違いない。でもってゆとり世代は自分たちのゆとり具合に自覚的だから下の世代を妨害することはないのでこの通りになる可能性はかなり高い。
ゆとり世代はさとり世代になって仙人になる未来。
ちなみに、会員数は増えましたか
是非、会員数の発表をお願いします
昔みたいに