ネットマガジン『ASREAD』様でちょっと書かせていただきました。
『シン・ゴジラ』は『ゴジラ対フェミニスト』である。
 タイトル通りの『シン・ゴジラ』論ですが、ちょっと取りこぼしたことをここに書いておくと、本作においてはまたしても兵頭新児の予言が当たってしまいました。
 本作制作途中、誰かが『日本の一番長い日』を持ち出していたのを見てぼくはむしろ「マットアロー1号発信命令」なのでは……と言っていたのですが、見事的中です。まあ、『ゴジラ』なんだからその辺を出せば当たるのは順当ではあるのですが。
 もう一つ、誰も言わないのだけれども、あれって他のネタ元をもう一つ出すと「決戦!怪獣対マット」だよな、と。
 後は「シミュレーションであるがため、石原さとみ以外は“キャラ”ではなかった」というのが上の記事におけるぼくの作品評なのですが、実はゴジラもその例外ではなく、「キャラ」足り得てなかった。
 だからこそいいとの評もあるようですが、ぼく個人としてはあのゴジラそのものはちょっとなあ……というのが感想でした(あの顎が割れるところとか)。
 更にもう一つ。タイトルから何とはなしにおわかりになるかと思いますが、ぼくの記事では巨対災の尾頭ヒロミについて「正直、無愛想で見ていてあまり好感を感じない」人物として、捉えられています。
 しかし公開から日数を経るにつれ、ネットでは無視できないほどに尾頭ヒロミ人気が膨れ上がって来ていることも、ご存知の方が多いかも知れません。
 正直これについては随分意外でありました(いえ、一般のドラマをよく見ていれば驚くほどのことではなかったのかも知れませんが)。
 が、そのことが先の記事の価値を損じるものではないようにも思えます。もし本作に石原さとみが出なかった(或いは石原さとみの役割を男性に置き換えられていた)としたら、作品としてはそれでも充分成り立つけれども、「でもさすがにそうはしなかった」理由を考えた時、それは理解できるのではないでしょうか。