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礼讃・第42回「事件」①
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礼讃・第42回「事件」①

2014-10-30 13:00

      一九九三(平成五)年の一月は、私の人生にとっての転轍機が用意されていた。

    鉄道の車両を他の路線に移す分かれ目に備えられた装置のようなものが切り換わるのを、他人事のように感じていたのを覚えている。

    それは音も立てずに切り替わり、進路を変えた。

    私の志望する大学の出願期間はどこも一月だった。受付開始の初日に郵便局で受験料を払い込み、予定通り三校へ出願書類を発送した。試験日は二月で、どこも一週間から十日後に合格発表という予定になっている。大学入試の準備は万全だった。三年生の三学期は、登校日がほとんどないので、私は元旦から勉強部屋に籠もり、ひたすら勉強を続けていた。

     二日に書道教室の書き初め会に出席し、実家に寄り、新年の挨拶をしてから、祖母が作ったおせちを病院にいる母に届けると、大きな個室が花で埋め尽くされていた。

     暖房が効いた病室は、さながら熱帯植物を栽培する温室のようで、蝶が飛んでいないことが不思議な位だった。

    母はお見舞いに来た人のリストを見せてくれた。父がパソコンで見舞いに訪れた月日と時間、持参した品物や金額を一覧にしているという。花の種類や大きさまで記載されていた。母が手書きしたものを父が表にしているらしい。

     入院が長期になるのがわかっているせいか、鉢植えも多く贈られていた。水やりする為のじょうろまで床に置かれている。

    花の匂いがもわんと満ちた暖かい病室で、おせちを食べながら見舞い客の話を延々とする母に、私はただ相槌を打って聞いていた。本家の祖父母も来たという。

    「花菜は本家にお年賀に伺ったの?」

     と、母は尋ね、私が答える前に、

    「今年は受験があるし、お母さんはこんなことになって大変だと思ってるでしょうし、それにあそこはいろんな方を集めて宴会をするから、ごたごたしているんじゃないかしらね。今年は入試が終わったら報告するのでいいと思うわ」と、言った。

    「今年はアメリカから坂下さんも来ているんですって。祥子さんはまだ、子供ができないようだけど、幸せなんでしょうね」

     父の妹のことを話す母の言葉には、いくつかの悪意が込められている。今まで私は、こんな風に皮肉めいたことを言う母を軽蔑していた。しかし、今は違う。健常者ではない母を哀れみの目で見ている自分がいた。

     
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