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【銃魔のレザネーション】第四章『大洪水』
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【銃魔のレザネーション】第四章『大洪水』

2016-03-17 17:00
    ニコニコゲームマガジンで配信中の
    「銃魔のレザネーション」のシナリオを担当した
    カルロ・ゼン自らがノベライズ!
    ゲームでは描ききれなかった戦争と政争の裏側が明らかに。
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    ニコニコゲームマガジンのゲームページはこちらから
    前回までのお話はこちらから

     
     第四章 『大洪水』
     
    「……モーリス、そろそろ腹を割って話しましょう。あなた、こうなることは分かっていたわね?」
    「もちろんです、殿下」
     深々と頭を垂れ、肯定して見せるモーリスのふてぶてしさ。
     とはいえ、視覚は嘘つきだ。
     ヤーナにとって、信ずべきは己の耳が捕らえたモーリスの声色。
    「で、しょうね」
     顔は口ほどに雄弁だというけれども、練達した策謀家の弁舌を二重に聞くことほど愚かしいこともなし。
     だからこそ、御意を賜れますようにと一礼して見せるモーリスからあえて視線を外す。
     そのうえで、ヤーナは鼻で笑って見せる。
    「で、それだけ?」
    「は?」
     ぽかん、とした返事。
     分からないの、とばかりにしぶしぶ視線を下せば困惑顔。
     まぁ、モーリスのことだ。
     この困り顔もどこまでが本心で、どこからが演技なのかさっぱり読めない。食えない男だ、とヤーナは苦笑していた。
    「行為には、理由がなければならない。貴方が、暴発を傍観した理由は?」
     陰謀家という人種は、種を蒔くのが大好きだ。
     蒔く動機なぞ、千差万別すぎて問うだけ無駄……という風に諦観を抱きたくなるのも道理ではある。
     セイムの貴族たちの暴発。それは、根本的には『宰相位』についているモーリスを侮ったがゆえに暴発だろう。ありていに言えば、モーリスの失態とも取れる。
     陰謀家ともなれば、宥めすかして飼いならすことも出来ただろうに、とヤーナにしてみれば傍観の理由が知りたかった。
     ほんの好奇心交じりの質問。
     なればこそ、ヤーナは臍を噛む羽目になる。
    「もとより、殿下もご存知のことかと」
    「は?」
    「『セイムの糞共に、妥協すべからず』」
     滔々と、何かを思い出すように天を見上げたモーリスの紡ぐ言葉。思わず、自制し切れずに顎を出しかけていた。モーリスの言わんとするところをすでに悟るには十二分。
     喉まで出かかった返答を辛うじてヤーナは飲み込む。
     まさか、そんな、口実で返すか。
    「僭越ながら申し上げまするに、私が、宰相位を拝命し奉りました際のことでした。当時の『摂政殿下』よりかくのごとくに承りましたと記憶しております」
     宥めすかすことも出来たであろうものを放置し、暴発させしめるに至った弁明としては異例だろう。いや、弁明ですらなく開き直りに近い暴論だ。
    「つまるところ、臣といたしましてはご指示に従ったまでのことなのです」
    「ああ、確かに、確かに。私はそういったわね」
     だけれども。
     ヤーナ・ソブェスキは知っている。知識と手持ちの判断材料を組み合わせれば、嫌でも分かってしまう。
     鼻っ面の高すぎるセイムの議員らは融通を利かせずに杓子定規な対応をされれば即座に暴発するに違いない。
     があれば、暴発は避けられただろう。
    「字句通りに妥協を拒否したが故の帰結、ね。……『本当』にそれだけ?」
     陰謀家が本心を打ち明けないにせよ、だ。
     とはいえ、逆説的ながら、種を蒔くためには大地が必要であるということぐらいは明らかだろう。
     そして、種を蒔く人間が収穫を期待しないはずもなし。
     なれば、そこには『理由』が存在しなければならない。
    「王意に従うだけの従順な機械だと? 冗談でしょう」
    「行為と結果にご注目いただけませんか?」
     哀れ気に、いっそ、誤解されているとばかりに項垂れたモーリスの悲嘆。
     此処が幕営でなく、王都ヴァヴェルの劇場でもあれば聴衆が挙ってモーリスの悲劇的立場に共感して涙の一つもこぼすに違いない。
     だが、ヤーナ自身は違う。この場において、観客なのではない。強いていうならば、騙し化かし合う演目での主役の一人。演じる側なのだ。見せかけの懇願に騙されてはいけない。
     注意深く、深呼吸の後に。
    「あのねぇ、モーリス。私を馬鹿にするのはやめなさい」
     呼吸を整え、ゆっくり、はっきり、しっかりと。
    「言われないと、認めないというならば明確に指摘しておくわよ?」
     ジッとモーリスの眼を凝視しつつ、ヤーナは言葉を紡ぐ。
    「貴方、セイムの屑共が暴発することを積極的に『望んだ』わね?」 
     望んだ収穫。
     刈り取りたいもの。
     この二つをつなげれば、単純だ。
     モーリス・オトラントという貴族は、宰相は、セイムの同僚を狩らんと欲している。彼の望む収穫は、貴族層そのもの。
     なればこそ、一時の退潮をも良しとしてみせた。
    「なんとも、恐ろしい推測にございますね。善良なる一臣下の身としては、そのような陰謀を夢に見ることすら憚られることかと」
    「あっはっはっはっ! 『善良なる一臣下』!? 最高だわ、モーリス。貴方ってば、本当に、退屈させないのね!」
     困惑顔で頷くというモーリスの所作は、なんとも演技が徹底しているということだ。
     ……面の皮が分厚い、と臆面もなくいってやるべきところなのだろうが。
     しかし、それを望むのというのであれば。
     面の皮、ひっぺはがしてやらねばなるまい。
    「ああ、善き働きには感謝を。アウグストに耳打ちしてくれたのは、ありがとう。おかげで、助かったわ」
    「臣といたしましても、陛下と殿下のご無事の報を耳にした瞬間のことは今でも思い出せます。安堵のあまり、思わず天を見上げて感謝の言葉を紡いだほどでございました」
     ご無事で、本当になによりでございました、などと嘘ぶく白々しさ。顔面に浮かんでいるのは誰が見てもあからさま過ぎるほどはっきりとした安心。
     ……人様に見せるための表情を作ることが、全く、お上手なこと。
     無意味な戯言の裏にある本質。
     この厄介で糞面倒な陰謀家の意図するところ。それは、究極的には遊んでいるように見えて無駄のない手配りが全てだ。
     ヤーナの指示を表面上にせよ遵守してみせることで、『ご指示通りにやった結果が、この惨状ですがなにか問題が?』と言わんばかりのやり口。
      同時に恩を売ってよこしてもいる。
     宮中で蜂起した貴族らによって襲撃された際、アウグストの救援が間に合ったのはモーリスの手配りと助言があればこそ。
     意図がなければ、そんなことはしない。故に、ヤーナは戯言の一切合切を聞き流して、切り込んでいく。
    「つまり、『私とフランツ』の退場までは望んでいない」
     ジッと、凝視しての糾弾。
     ふわふわと遊んでいたような口調のモーリスは、ようやく沈黙と共に私を礼節の許す範疇で典雅なままにらみ返して見せる。
     けれども、その瞳に浮かんでいるのは好奇心。
     最悪だった。
     この陰謀家め、と吐き捨てられればどれ程気楽なことだろう。
    「……あなたの意図が分かってしまうことが、全く、本当に忌々しいわ」
     この糞野郎は、自己アピールの為だけに、貴族の暴発まで傍観し、挙句に救いの手を差し伸べてまで見せている。
     分かるのだ、アウグストの近衛が間に合ったのは陰謀をかぎつけたモーリスの忠告と助言があればこそ。通常であれば、とても間に合わなかったことだろう。
     ヤーナが感情のままに喚き散らせば、御身を救援するべく手配りをしたのに、と嘯くに違いない。事実を元にしたプロパガンダなど、最悪だ。
    「売り込み上手で、羨ましい限り! ああ、本当に、本当に、もう!」
     黙って、拝聴とばかりにこちらの内面を見透かそうとするモーリスの眼差し。
     いっそストーカーかと叫びたいが、本質的にはモルモットが予想外に興味深い行動を示したと喜ぶ科学者のそれに近い。
     ……観察者きどり、ということがヤーナの癪に触って仕方がなかった。
     それでいて、こいつは『役に立つ』と示してくれやがっているのだ。
     だからこそ、忌々しい確信を抱ける。
     モーリス自身に、私やフランツを積極的に害して行こうという意図はなし。それどころか、恩すら売ってよこす始末だ。自作自演気味とはいえ、旗幟を鮮明にしていることを『信賞必罰』の観点からヤーナは認めざるを得ない。
     ああ、畜生。
     役に立つ。
     でも、使いたくない。
     だけど、役に立つ! 立つのだ! くそ忌々しいことに!
     手勢にほしい、と思うほどに。
     部下にいれば便利だろう、と思ってしまうほどに!
     私も、爺も、アウグストも、他の誰もが気づかないことを、気づいて、フォローしてみせられて、ぐうの音も出ないのだ!
    「……ヤーナ殿下?」
    「摂政位から、退位した記憶はないわよ?」
     くそっ、くそっ、くそっ。
     他の選択肢がないのか、とヤーナは懸命に頭を動かす。
     モーリス・オトラントをパーツとしてみれば、間違いない。今、一番に自分の手勢にかけている部分を埋めてくれるだろう。
     だが、埋め込んだが最後。
     絶対に、蚕食される。
     使いこなすことは出来るかもしれないが、相応に綱渡り。
     ニマニマと嗤うモーリスの動静に胃を荒らし、望まぬ策謀に足をからめとられ、猜疑から解放されないろくでもない未来しかない。
     ……結論は一つ。
     使うだけでは、だめ。
     同盟しか……まった、とヤーナはそこで気が付く。
     モーリスの望みは、『貴族どもを刈り取りつつ遊ぶ』という一点だ。
     であるならば、それが妥協点足りえる。
     妥協。
     いや、共犯というべきか?
     ろくでもない悪だくみを共に行う。
     ならば、やはり共犯だろう。
    「ああ、そうか、そうね」
     一人、得心が行ったとばかりにヤーナは大きく頷く。
    「共犯者になりましょう」
    「はて?」
     僅かに身を乗り出し、瞳に好奇心の光を携えたモーリスの反応は上々。
    「単純よ。口実と大義と正統性をあげましょう。忠臣ごっこでもして頂戴な」
     ぽかん、としているモーリスの表情。
     してやったり、とばかりにヤーナは満面の笑みで応じてやる。
    「さ、有象無象の反逆者共を地獄の釜に突き落とし、そのついでに愛するコモンウェルスの防衛もやりましょう」
    「失礼ですが、摂政殿下」
    「あら、『元』は取ってくれるのね」
     軽い嫌味も、会話のエッセンス。
    「正統な王権により任じられた摂政殿下を解任あそばすことは、王その人以外にどうしてできましょうか?」
     二コリ、とほれぼれとするような笑顔で嘯くモーリスの面の皮は、何枚あることやら。そんなに分厚いならば、二~三枚分けてくれてもいいものだ。
    「失礼ですが、摂政殿下は『コモンウェルス』の防衛をご志向なさっておいでなのですか?」
    「当たり前じゃない。ただでさえ、ガタガタの国家が内乱状態」
     コモンウェルスの現状は、内憂外患の典型例。
     シュヴァーベン革命軍とのロスバッハ会戦において、主力の大半が壊滅。
     父王ジョナス陛下がヤーナとフランツに残しやがったのは、軍事力の中核が消失してしまった騎士団と、緊張関係だらけの諸外国。
     だが、何よりも深刻なのは人材へのインパクトだ。王政府と協調しようという比較的好意的な貴族らは、愚王ジョナス諸共にロスバッハで散華。
     軍の再建には、時間を要するだろう。だが、人材の再建には世代を要しかねない。
     このような状況下で、内乱だ。
    「番犬を失った羊の群れというのは、後始末まで決まっている。だいたは、おいしいシェパードパイにされる定めよ」
     番犬を飼っていない羊の群れの運命を楽観するのは、愚者にのみ許される特権だ。
     知性があれば、わざわざ具体例を求めて歴史書を紐解くまでもない。
     分割され、残り物も分割され、最後には併合されて消え去る定め。その渦中で、自分たちを含めた誰もかれもが一つの駒として良いように弄ばれることだろう。
    「なんとも、恐ろしい話であります。それで、狼とは? ずばり、主敵はどちらをご想定されておいででしょうか?」
    「あのねぇ。私たちコモンウェルスはぼっちなの。ああ、一応、爪はじき同盟ということで、自由都市同盟は助けてくれるかもしれないけれどね?」
     辛うじて、というべきか。
     南西の自由都市同盟とは、折り合いが付けうる。自由通商貿易を国是とする連中は、商業上の利害関係さえ衝突しなければ協調すら期待できるだろう。
     逆を言えば明るい材料はその程度だけ。
     分かりやすいまでに四面楚歌だ。
    「僭越ながら、殿下。『その状況下』で『私』と『共犯者』に?」
    「試すのは、そこまで。全部理解しての提案」
    「一臣下の忠誠心にも、限度がございますことを、一般論として申し上げますが」
     シドロモドロを装ったモーリスのふざけた戯言。
     ここまで来て、何を……と勘繰りかけた私はうっかりモーリスの声色に耳を傾けてしまっていた。
     ああ、と気づくのはそこだ。
     モーリス、こいつは、楽しんでいるのだろう。
     対話こそが、こいつの遊び。いうならば、お茶のお誘いと同じような感覚なのだろう。言葉とロゴスで戯れようという、ちょっとした趣向。
     最悪に性格がいい。
     付き合うつもりはないけれども、とヤーナは顔をほころばせると、一言、申し出ていた。
    「退屈だけは、させないわよ」
     
           ◇
     
     退屈させない、という一言。その言葉を耳にした瞬間、モーリス・オトラントは我が意を得たりとばかりに頷いていた。
     賭けてみるものだ、と喜ばなかったといえばウソになる。
     期待はしていたのだ。
     ヤーナ摂政殿下であれば、多少は楽しめるのではないか、と。
     だからこそ、純然たる親切心からアウグスト将軍が救援に赴けるように手配までしていたほどだ。
     幸いにして、というべきか。
     予想以上に、というべきか。
     自分の売り込みは、適切に評価されている。
     ヤーナ殿下の声色には、苦悩が混じって入るようであるにしても……手ごたえもまた抜群だった。我ながらはしたないことに、楽しさのあまりに愉快な笑い声まで零れそうになる。
    「……そこまで、ご理解いただけるのでしたらば。何一つとて、申し上げるべきことはございません。御意を賜れますれば」
     なればこそ、自分でも予期せぬことながら。
     モーリスは心からワクワクしつつ、共犯者として輔弼を申し出る。
     もちろん、最初から輔弼の地位を得ることは考えていた。とはいえ労働意欲は、我が事ながら予想以上に高い。
     面会するなり、怒気交じりの糾弾であればセイムに鞍替えすることも視野に入れていたのだけれど。今では、すっかりそんな気もなくなっている。
     では、と定型文ながらもヤーナ殿下が口にするのは承認の言葉。
    「オトラント辺境伯、引き続き宰相として陛下の輔弼に当たることを期待しています。変わらぬ忠誠を期待しますよ」
     なればこそ、モーリスの返しも決まっている。
    「もとより、変わらぬ忠誠を。陛下の敵が、一掃されますよう、臣は犬馬の労をもおしみません」
     跪き、頭を垂れての宣誓。
     そんなモーリスの肩に剣をぽん、とヤーナ殿下が合わせて置くというオマージュの流れもよどみはなし。
     なればこそ、モーリスとしては恙なく終了しただろうと油断していた。
    「ああ、忘れていたわ。一つ、くぎを刺しておくわ」
    「なんなりと」
    「次に、フランツを囮としたら『族滅』では済まさないわよ」
     その言葉が吐かれた瞬間、肩に乗せられていた刀身が重くなっていく。
    「覚えておきなさいね?」
    「……お言葉、確かに」
     そのまま、深々と拝跪する瞬間、モーリスは確かに記憶していた。……フランツ陛下で遊ぶのは、姫獅子を怒らせることを覚悟するときにしておこう、と。
     だが、モーリスにとって予想外というべきはその程度だ。
     全く、というべきだろう。
     分かってもらえることの何と愉快なことだろうか。
     我が事ながら、ずいぶんと歪んでいるものだ。
     そんなことを考えつつも、しかし、こみ上げてくるのは心地よい感情だ。愉快そのものにして『快』とでもいうべきそれ。
     遊び相手を見つけたり。
     まさに、この一言に尽きる。
    「とはいえ、勘気を被れば厄介事も間違いなし、と」
     故に、小さく、小さく、モーリスは呟く。
    「やれやれ宮仕えのつらいところですねぇ……」
     
           ◇
     
     ほぼ時を同じくして、モーリス・オトラント辺境伯と同じ結論に至った貴族が居た。
     その名を、エレオノーラ・ミルドナル。
     オスト・スラヴィア大公国の大貴族にして、南東山岳国境部総督の顕職を預かる彼女もまた宮仕えの難しさを嘆かざるを得ない一人だった。
     なにしろ、というべきか。
     貴族という身分に社交はつきものだ。
     避けられるならば避けたいと願ったところで、自分の居ないところで排除されるような陰謀が練られるかもしれないともなれば。
     嫌になる、とため息をエレオノーラはこぼし続けている。とはいえ我儘で身を亡ぼすのはご免こうむりたい。破滅願望持ちでもない限り、厭々でも笑顔ペルソナを顔に張り付けて列席しなければならないものだ。
     だから、義務を果たすためにエレオノーラは小さく微苦笑を浮かべる練習すら行っているのだ。……無駄に思えることも、こういう時に役に立つのだから侮れないというべきか。
    「ミルドナル女公兼南東山岳国境部総督! ご入室為されます!」
     侍従が高らかに列席者の名前を読み上げての会場入り。
     そればかりは、慣れた手順ですらある。社交の場に入って以来、幾度なく経験しているだけに、戸惑いはない。とはいえ、いつもの社交場とは少し勝手が違う。
     理由は、列席者が悉く『完全軍装』であるというということだろう。
     エレオノーラ自身、女公に許される華美なドレスではなく南東山岳国境部総督として軍権を帯びた軍人としての装いだ。
     全く、と笑顔の裏でため息をこぼしたくなるのはこのことだった。いや、エレオノーラが軍装そのものを嫌っているというわけではない。
     本人としては、身軽に動ける軍装は好ましいと感じているほどだ。
     問題は、たった一つ。
     『軍装』での参加が求められる社交場など、ろくでもない場ばかりという経験知だ。
     今回にしたって……とエレオノーラが小さくため息を胸中でこぼしかけるも、そんな暇すら今日は与えられないらしい。
    「皆さま、主賓のご入室です!」
     先ぶれとばかりに飛び込んできた侍従の叫び声。
     お早いお越しなことだ、と皮肉を思う間もないほどだ。
     とはいえ、南東山岳国境部総督という地位は大変に高位の顕官。つまるところ、地位につきものの面倒ごとも引き受けなければならない。
     儀礼的にサーベルの捧げ刀を執り行うべく立ち上がり、列席者の最前列へ。
    「ルムニク公兼西方軍事国境地域総督閣下並びにマルグレーテよりお越しの来賓のご入室です。皆さま、ご起立くださいませ!」
     参席した軍人どもを引率し、ニマニマ顔の同僚と、儀礼的に含み笑いを浮かべる異邦人へ儀仗兵モドキとは。
    「ルムニク公兼西方軍事国境地域総督閣下、ご入室!」
     ニマニマ顔の性悪な陰謀屋に礼を尽くす羽目になる。いや、ここが『西方軍事国境地帯』なのだから仕方がないといえば、仕方もないのだろう。
     今日は、今日ばかりは。
    「ラウル・ヤリング外務卿、リンドス・ヴァルサ陛下の名代であらせられます!」
     ……オスト・スラヴィア大公国並びにマルグレーテ朝の停戦協定祝賀会なのだから。
    「抜っ、刀!」
     典礼通りの所作で持ち、鞘より引き抜きたるは白刃。
     これで、眼前にいるイグナートのくそ野郎を衝動的に切り殺したくなるとしても、エレオノーラは心の中で我慢することが出来る。
    「ヤリング閣下に対し、敬礼!」
     さらり、とルムニク公爵家に対する敬意を省いて見せる程度の嫌味は許されるだろう。己の号令に合わせて、動くのは国境地帯に詰める諸軍人どもの刃。
    「では、僭越ながら。国境地帯からの双方の撤兵を誓って」
     全く、大したものだ。
     意趣返しじみた圧迫的な歓迎のセレモニーに対するラウル外務大臣の笑顔は微塵たりとも揺れてすらいない。
     少し拍子抜けだとばかりに困惑しているイグナートの間抜けめ。大方、これでビビらせるつもりだったのだろうけれど。
     ……茶番劇に付き合わされる側にしてみれば、どちらにしても楽しくないことだけが同じか。
    「両国の善隣友好を願って」
     ボーイより受け取ったシャンパンのグラスを高らかに掲げて見せる外交官の所作は、忌々しいまでに手慣れたものだ。
    「「「乾杯!!!」」」
     平和の到来。
     戦闘の終結。
     はたまた、次の戦争のための準備期間。
     とまれ、これで停戦は発行される。珍しいことに、というべきだろう。なにしろオスト・スラヴィア大公国並びにマルグレーテ朝の利益が共通している点は、全く持って限りなく少ない。
     大抵ならば両国が意見に一致をみる点を探す方が、難しいだろう。
     国境を接する隣国同士であり、元より微妙な緊張関係たるべき火種は幾らでもくすぶっている。水利権、継承権、果ては隊商に対する課税から匪賊問題に至るまで。
     係争要素には、全く事欠かないのだ。
     とはいえ、この状態においてすらマルグレーテ朝とオスト・スラヴィア貴族は『本格的な武力衝突』を『大規模な交戦状態』にまで悪化させずに済む程度には『交渉のチャンネル』を保つことができていた。
     それが、『貴族の戦争』というものだ。
     恩讐は、名誉と矜持という貴族のルールによって取り繕いうる。昨日までの敵であろうとも、必要とあれば今日からは友なのだ。
     だからこそ、親しく社交も行える。
     ……行わざるを得ない、ともいうべきだろうが。
     エレオノーラにしてみれば、イグナートとラウルで親しく談笑するということ自体が苦痛でしかないとしても、仕事は仕事なのだ。
    「次の狩猟先は? ひょっとするとひょっとして……南ですかな?」
    「で、貴国は西ですかな?」
     イグナートが対コモンウェルス戦を示唆すれば、ラウルが応じて見せるやり取り。
    「……共同介入、という線は?」
     ロスバッハでの大敗以来、動乱続きでついに内乱へ突入したとはいえ大国だ。
     単独で当たれば世界に武威を轟かせているペガサスと真正面からぶつかる悪夢を引き受けかねない。深刻な内部闘争にあるコモンウェルスを叩くといっても、慎重さが求められるのは変わらないのだ。
     イグナートがラウルへ打診するように、共同介入できるのであれば、それは一つの選択肢たり得る。
    「ルムニク公のお言葉ながら、難しいでしょうな」
    「おや、隣人と共に巻き狩りを楽しみたいのですがねぇ」
     とはいえ、ラウルにせよイグナートにせよ、『本気』でこのプランを検討するつもりがないのは自明だった。
     共同介入に至るための『信』を抱きようがないのだ。しかして、一方で『抜け駆け』されないかとの不安がないでもない。
     故に、表面的には協力を申しかけるという典型的な駆け引き。
     ……はっきりといえば、エレオノーラにとってみればどちらもありがたくない。
     マルグレーテ朝に抜け駆けされないように出兵の準備を、などと言われてしまえば『兵が集まってしまう』のだ。
     それも、コモンウェルスとの国境に面している『自分の管轄地』にである。
    「隣人とのお付き合いがないのであれば、巻き狩りの予定を再考すべきやもしれませんね。変な気兼ねをお互いに抱くよりは楽しく酒杯を重ねましょう」
     故に、狩りに対して消極的であることをエレオノーラは隠そうともしない。外交儀礼が許す範疇で、『マルグレーテ朝』へ『オスト・スラヴィア国内にも反対派がいるのだぞ』とばかりに気乗りしない素振りすら示す。
    「巻き狩りというのは、良い勢子と良い馬でもって良い獲物を友と狩ってこそ。気心の知れない知人を無理に誘うのは私の流儀ではないものでして」
    「……失礼ながら、私個人としては同感ですな」
    「ああ、ヤリング外務卿にご理解いただけるとは」
     酒杯を傾けつつ、頷く外交官に言わんとするところは伝わっているのだろう。なればこそ、エレオノーラはふと眉をしかめて見せる。
     個人としての賛意と明言されれば、引っかからざるを得ないものだ。
    「ところで、外務卿は名代だとばかり……」
     けれども、詳細を問いただす間がエレオノーラには与えられない。
    「おや、お話が弾んでおいでのようですね。私も、混ぜていただければ幸いなのですが」
    「これは、ルムニク公。いや、美酒に呑まれてしまってつい口が滑っていました」
     横合いから、軽薄な口調で口をはさんでくるイグナート公爵の邪魔さよ!
    「お楽しみいただけているようであれば、本当になによりなのです。宴の主催者として、これに勝る喜びもございません」
     ヘラヘラと嗤いつつ、エレオノーラとラウルの間に割って入る手際の良さ。
     良くも悪くも、社交の場というだけあって『主催者』らしく如才なく『主賓』に張り付こうというわけか。
     ……忌々しいことに、ちらり、ちらり、とこちらを列席者が注視している手前、エレオノーラとしても余りことを荒立てることができない。
     だが、イグナートの思惑通りに事を進めてやる道理もなし、だ。
    「さて、ヤリング外務卿。巻き狩りの件なのですが……」
     よろしいですか、とばかりに言葉を続けかけるイグナートに対し、エレオノーラは最大限の微苦笑と共に割って入っていた。
    「失礼ですが、ルムニク公。急いては礼儀もかけましょう。酒杯を交わし、お互いを知る。今日は、それで良いでしょうに」
    「やれやれ、ミルドナル女公。善隣友好の機会なればこそ、私は巻き狩りのお誘いを用意したのですがねぇ……」
     対コモンウェルス路線で意見を違える二人の立場は単純だ。出兵反対派のエレオノーラとしては、マルグレーテ朝も渋っているという一事で『出兵論』を抑え込みたい。賛成派のイグナートとしては、『隣国に出遅れるな』という扇動をこの場で言いたいのだろう。
     そして、ある意味でそれは『ラウル・ヤリング外務大臣』というマルグレーテ朝側の穏健派も同じだ。
    「お若い率直さ、すばらしい限りですな。しかし、私のような年寄りにはちと辛いものがありましてね。友人になるには、段取りというものがあるのでは?」
     なればこそ、ラウル・ヤリングという外交官はエレオノーラの言をそれとなく支えてはくれた。
    「ヤリング外務卿にはかないませんな。ミルドナル女公にも降参です。老練なお二人をして自分のような、朴訥な若造をあまり甚振らないでいただきたい」
    「女性にかけるべきでない言葉だとご存知で?」
    「おや、これは存じ上げませんでした。敬愛する老練なミルドナル女公閣下に置かれましては、年長者のご慈悲で持ちまして、反省する若造の戯言とお聞き流しくださいませ」
     とはいえ、イグナートの嫌味たらしい声に揺るぎはない。
     『確信した』とばかりに微笑む所作をみれば、『マルグレーテ朝側随員』あたりから、出兵計画でも聞き出したのだろう。
     そして、あの様子では『オスト・スラヴィアが派兵するであろう』という観測をマルグレーテ朝側随員共に流し込んでいるらしい。
     両陣営の強硬派は、相手に出遅れるなとばかりに出兵論を煽ることだろう。宴のさなかにあってさえ、そんな事実を悟れる程度にはイグナートの嫌味たらしい笑顔が露骨だったのだ。
     ……止められないな、とエレオノーラとしても理解せざるを得ないところがある。
     しかし、それを善しともできないのだ。
     
     だから、宴を終えて自領に戻る馬車の中でエレオノーラは苦悶していた。
    「……介入路線は固い、か」
     結論から言えば、既定路線も同然だろう。
     ラウル・ヤリングというマルグレーテ朝では融和派の外交官が、『出兵しない』というニュアンスで語ろうとはしなかったことが決定的だった。
     恐らく、あの国は動く。
     そうなると、間違いなく此方の貴族共も分け前を欲することだろう。
     ……目先の利害には極めて敏感な連中だ。
     放置しておくならば、明日にでも『援軍』と称してエレオノーラの所領に押しかけてくるに違いない。
    「はぁ、嫌になる」
     これからの未来を想像して、エレオノーラは珍しく弱音をこぼしたくもなっていた。いや、というべきだろう。
     本当に、良い迷惑なのだ。なにしろ、知っているのだ。
     エレオノーラ・ミルドナルは、職責上も、領地経営の必要性からも、コモンウェルス通とならざるを得ない。コモンウェルスとの国境部に面したミルドナル女公兼南東山岳国境部総督とは、そういう立場なのだ。
     仮想敵の情勢というのは嫌というほどに理解している。
    「確かに、確かに、好機には見えるだろうけどねぇ……」
     セイムと王政府の対立によるコモンウェルス内乱にしたところで、真っ先に探知したと自負している。
     その瞬間は、確かに『介入』の二文字が頭によぎらなかったといえばウソになるだろう。
     介入するならば、確かに好機だった。
     だが、それは、混乱が長引くと仮定して、だ。
     少し慎重に観察し、エレオノーラは即座に介入の二文字を脳内から蹴とばしたほどだ。
    「王政府対セイムという構図は、一見すれば内乱だけれども……争いというのは対等な関係でのみ成立するものだというのに」
     仮に、オスト・スラヴィアで『ツァーリ』対『貴族連合』という構造になれば『ツァーリ』は無条件で屈服することだろう。
     ツァーリと多数派貴族の衝突なぞ、エレオノーラには想像もつかない。
     『ツァーリ』は強力かもしれないが、貴族の連合に対峙できるほどではない。いうなれば、同席中の首席。
     大草原においては、交換可能な神輿も同然だ。
     なればこそ、多数派貴族を敵に回した瞬間、ツァーリ陣営は『戦うまでもなく』瓦解するであろう。
     だが果たして、セイムの権勢というのは『自分たち』と同様に王家に対して圧倒的に強大なのだろうか? 
     ……なればこそ、エレオノーラは危惧せざるを得ない。
     風見鶏がセイムについていないのだ。
     もちろん、内憂として中で暴れるという可能性も『ゼロ』ではないだろう。しかし、いつ裏切るかわからない風見鶏を平然と宰相に任じ続けるだろうか?
     オスト・スラヴィアの理屈でいえば、『王政府』は『宰相』の更迭もできないほどに弱体だと語られるのだろう。
    「理屈としては、もっともらしい……。だけど、だからこそ、胡散臭い。ああ、もう、なんだって、私がこんなに悩まなきゃいけないんだ!」
     下手をすればヤブヘビ足りかねないというのに、余りにも軽率に事態が進められているような気配がしてならないのだ。
    「すりつぶされる訳には……。くそっ、ツァーリと腹黒女め! ……首が寒くて仕方ない!」
     出兵をサボタージュしようとすれば? 喜々として、ツァーリやその周囲のくそ怖い暗黒微笑の近衛が出張ってくることだろう。
    「……あいつらの直属まで私のところに駐屯? くそっ、最悪だ、最悪過ぎる!」
     そんな連中が、自分の領地に居座っているともなれば。
     心底、恐ろしくて仕方がない。
     ツァーリは確かに軽い神輿だ。だが、腐ってもツァーリはツァーリ。
     一貴族とツァーリの衝突であれば、ツァーリというのは恐ろしい競合相手足りえる。
     まして、ツァーリがニンジンをぶら下げることができている間であれば、自分対貴族共という悪夢のような構造すらありうるだろう。
     対コモンウェルス派兵という『パイの切り分けパーティ』へ、道案内することを拒もうものならば、ミルドナル家は一瞬で貪られる。
     だが、仮に出兵して勝てるのか?
    「くそっ、これだから宮仕えは嫌なんだ……」
     
           ◇
     
     オトラント辺境伯領の居城は代々の当主が南方防衛を担った職責上、事実上の南方防衛線司令部を兼ねている。
     当代の当主であるモーリスもまた、先祖代々のお勤めは青い血の義務として引き受けてきた。もっとも、好き好んでというには大分語弊があるが。
     生きていくために必要な仕事、と本人としては割り切ってきたほどだ。
     だが、それでも。時には諦めが悪く……義務がなければなぁと思ってしまうこともあるのである。
    「今頃、ヤーナ殿下の率いる一軍はヴァヴェルに到達するか、到達しないかの頃合いでしょうねぇ」
     モーリスの念頭に浮かぶのは、意気揚々と進発していったヤーナ率いる叛乱鎮圧軍。幼王ことフランツ陛下が名目上の指揮官として同伴しているとはいえ、事実上のヤーナ軍だ。
     それが、セイムを蹴飛ばすともなれば。
    「ああ、従軍できた面々が羨ましい。私だって、馬鹿面を揃えたセイムの間抜けどもが、愕然とした表情で蹴飛ばされるのを見たいのですけども」
     だというのにですよ、とモーリスは零す。自身は、自室でため息とともに見慣れた南方kっ今日の地図をのぞき込む羽目になっている。
    「やれやれ、皆さんが出兵するのに私だけがお留守番ですか」
     いや、とモーリスは苦笑しなおす。
    「本来ならば私だからこそ、というべきかもしれませんがね」
     元より、南方の防衛を担うのが代々のオトラント辺境伯。南方防衛をゆだねられる、となれば職責上も自分が最適というのはわかる。
     オルハン、コモンウェルス両国が国境線付近で細かな衝突の積み上げを重ねること、実に二百余年。南方情勢は複雑怪奇すぎて、現地の人間でもなければ『穏便』な処理は難しい。
    「とはいえ、小領主同士の水利権争いに端を発する抗争や、解雇された傭兵が略奪に走ったことに由来するこまごまとした法的なやり取りですからねぇ……」
     憚りなく言うのであれば、よくもまぁ厭きないことだ。
    「悪戯の種にも仕掛けにもなりことはなりますが、心躍るとはいいがたい」
     諜報要員らがオルハン国境側で確認してくる敵情を書き込みつつも、本心としてはどうしてもヴァヴェルの情勢が気にかかってしまうのである。
    「いや、まぁ、仕方がないことだとはわかるのですけれども」
     愚痴だとはわかっていても、しかし、口から零れてしまうのは止めようがない。なにしろ、というべきだろうか。
    「オルハン側の対応は、いたって官僚的。こちらへの嫌がらせ、主権主張、あとはちょっとした越境作戦。此方が弱みを見せない限り、秘蔵している本格侵攻プランも秘蔵したままでしょうに」
     職責上、モーリスも知っている。
     オルハン神権帝国も、この二百年の微妙なにらみ合いに蹴りをつけんと作戦計画は何十年も前から試案として策定していることを。
     それが発動されない理由は、実に単純な二つ。
     一つは、オルハンに徹底している官僚的習性の存在だ。
     かの国の官僚機構は、計画を立案するところまでは勤勉にやり遂げていた。モーリスの情報員が秘密計画を奪取できる程度には『計画実現のための』下準備も進んでいる。
     だが、彼らは侵攻後のことを想像できる程度には合理的なのだ。故に、『割に合わない』として侵攻作戦の発動は常に順延され続けている。
     中止、ともならないあたりが実に官僚的だ。
     もう一つは、単純にオトラント辺境伯が代表する南部の防備である。単独でオルハン神権帝国を相手取れるかといえば不可能ではある。
     しかし、容易く南方失陥に結びつくほどの脆弱さでもない。実際、相応に値がれるだけの防衛能力はあるのだ。確かにカールなる愚者が暴れた影響がゼロではないにせよ、被害は極限化するべく手配してあり対オルハン防備という点で、オトラント辺境伯家は健在そものである。
     ……本格侵攻でも受けない限りにおいて、南方の守りは堅固そのものだ。
    「鳥が先か、卵が先かは分かりませんがね。守りが固い。だから、オルハンはこちらを圧倒できる攻撃力を揃えようとし、こちらはこちらで守りを固めようと競い合う」
     学者であれば、『安全保障のジレンマ』とでも呼ぶべき現象も起きているということだ。とはいえ、南部が持ちこたえられると見込める以上は『時間的自由』は確保されるということになる。
     故に、ヤーナ陣営に軍事行動を起こすだけの余裕ができた。
     それは、理論上は間違いではない。防衛を自分に任せ、賊軍主力を叩くというのは戦理にはかなうだろう。軍略家ともなれば、百人中九十人は行動する。
     この自分、モーリス・オトラントを信用する限りにおいて成立するという条件さえ考えなければ、だが。
    「私の世評は……風見鶏なんですけどねぇ。その私に迷いもなく後背を預けて、ただ一路北伐とは」
     随分と、思い切りがよいものだ。
     結局のところ、ヤーナの基盤は革命軍と対峙する西方国境線が軸だ。そこの防備を軽々しく動かせない以上、手持ちの近衛と忠実な諸侯軍が動かせる全て。
     ヤーナ陣営のほぼ全主力を率いてのヴァヴェル攻略戦は、薄氷一枚敗れるだけで大惨事と化すことだろう。
     有体に言えば、オトラント辺境伯軍が旗を翻すだけで窮地に陥る。補給も、資金源も、基盤も、すべて、モーリスの手中にあるも同然なのだから。
    「背後からの一刺し? ……やめておきましょうか」
     一瞬だけの誘惑を、頭を振って追い出すのは当然だった。
    「それでは、まったく、つまらない」
     セイムも、諸外国も、抱いているに違いない。予期しているといってもいいだろう。自分が裏切るかもしれないと。
     ありていに言ってしまえば、凡人共の予想通りに振る舞うようでは『陰謀家』としては大失策だ。人々を唖然とさせたいのだから、裏切ると思われているタイミングで裏切るなど、三流以下の所業ではないか。
     種の割れている奇術を繰り返す場末の道化役ではないのだ。
     モーリスの矜持に賭けて、そんな惨めな真似は出来ようはずもない。……そして、そんな気質をヤーナ摂政殿下は先刻承知なのだろう。
     だから、自分に全てを任せ、安心して一路北伐へ向かわれるということだ。
    「やれやれ、部下遣いの荒い上役を持った気分とはこういうことなのでしょう」
     いっそのこと、と再び悪戯心が囁いてくる。
     ヤーナ摂政殿下を驚かせるためだけに寝返るか?
    「……うーむ、アリといえばありですかね?」
     アリといえば、アリのような気がしてきますね、と検討し始めていた時のことだった。
    「失礼いたします、若。ご報告が」
     自室の扉を襲う荒いノック。
     入室してくるのは、よほどのことでもない限り自分の思案を邪魔することのない老家令ともなれば、有事だと理解するのは大変にたやすい。
    「状況に動きが?」
    「オルハン国境線より、複数の傭兵隊と思しき歩兵の接近が確認されました」
     おや、とモーリスは戯れ交じりだった思考を実戦指揮官のそれに切り替える。
     真っ先に問うのは、敵情だった。
    「鍋は?」
    「イエニチェリ軍団の戦鍋は確認できずとのこと」
     ふむ、と一安心できる知らせではあった。本格侵攻ともなれば、皇帝直属の連中がいつでも顔を出す。
     ……従属国の私兵どもや、傭兵共ていどで落ちる南方ではない。イエニチェリのような桁違いの精鋭共が来ないともなれば、対応は容易だ。
    「騎兵はなしですね?」
    「はっ、確認されておりません」
    「となると、やはり牽制程度を目的としての強行偵察ですか」
     官僚組織が、定例の仕事とばかりに派遣してくる嫌がらせの部隊。オルハン神権帝国の連中は、まめなことだとばかりにモーリスは肩をすくめて見せる。
    「とはいえ、国境線付近に駐屯している以上は気も抜けない。ついでに、オルハンの西方軍団長は皇帝の忠犬、と。嫌になりますね」
     ハラスメントを目的として、傭兵でもけしかけてくる程度。
     とはいえ、敵は敵だ。
    「やれやれ、勤勉な敵を相手にするものではありませんね。騎士団の出撃準備を。……傭兵が陽動の可能性もあります。適当に追い払って、防衛線を固めるように」
    「はっ。……よろしいのですか? 少々、消極的に過ぎるかもしれませんが」
     まぁ、とモーリスは小さくつぶやく。
    「別に武勲が欲しいわけでもないですし。堅実にやれば、問題ないでしょう」
     
           ◇
     
     結論から言うならば。
     『武勲』というものの欲しさが、モーリスの想像以上だった、ということだろう。
     ヤーナ率いるヴァヴェル攻略軍は、反乱軍に比較してすら数で劣っていた。
     なればこそ、詐術なり策略なりを用意するものとばかりモーリスも踏んでいたほどだ。けれども、ある意味では『驚くべきこと』に。
     ヤーナ・ソブェスキは何の手配りも行わず、なしうる限り最大限の行軍速度でもってヴァヴェル直撃を目指し一路北進。
     結果的に言えば、それが策とも言いえない策だった。
     長距離行軍により疲弊しきった少数の残党軍であり、率いる将は『セイム』にとって最大の標的である『ヤーナ・ソブェスキ』ともなれば。
     ペガサスにニンジンをぶら下げたようなものだ。
     ……セイムにしてみれば、まさに、絶好の好機とみえたのだろう。籠城して手堅く守れば良いものを、ノコノコと彼らは出戦する。
     かくして、彼らは『城』という利を失う。
     挙句、お互いに抜け駆けを図った彼らは『戦力の逐次投入』という愚すら侵す羽目になっていた。
     銃兵を侮っての正面突撃は、魔導師の支援により遅滞。
     足を止め、衝撃力の衰えたセイム側ペガサスは、万全の体制で突入してきたソブェスキ封建騎士団により瓦解。
     前衛の壊滅に慌てて後衛を動かし、救援を図るセイム側はしかし、『突出していた前衛』との距離の差で間に合わない。
     後は、『文字通り』に引き潰されるまでだった。
     城内での籠城戦を試みる間もなく、セイムとアカデミーを中心とした反乱軍はひねりつぶされることとなる。
     少数と侮って、城外での迎撃を試みたセイムと付和雷同したアカデミーの混成軍があっけなく打ち破られる形だった。

       
    続けて第五章『来た、見た、勝った』はこちら!

     


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