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「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その1)
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「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その1)

2016-05-19 23:45


     今回からしばらく、

     無駄な「努力」はしなくなり、学校では「やり抜く技術」を育てるようになる

    というテーマを考えてみようと思います。

     「努力しなさい」とはよく言われますが、「努力」っていいことなのでしょうか。

     長男が小6になったこともあって、図書館から織田信長をはじめ日本史の有名人を取り上げたマンガを片っ端から借りてきました。私は歴史が苦手なので、何冊か読みとても楽しんでいるのですが、とても子供達のペースには追いつけないうちに、全50巻ほどでしょうか、全部読んでしまったようです。小3の次男まで。

     そうすると、すでに日本史の有名人は一通り覚えているわけで、試しに大河ドラマを見せたら、加藤清正とか石田三成とかも知っているわけですよ。私は子供の頃苦労して覚えたのかもしれないけど大人になってすっかり忘れていたような人物たちを、彼らはただ楽しくマンガを読んだだけで覚えてしまっているわけです。

     つまり世の中、いくらでも努力せずに学ぶ方法があるということです。最近はITの発展で、いわゆるゲームのように学べる仕組みがどんどん発達しています。義務教育で学ぶような勉強は、なんでも楽しくできちゃうような時代がすでに現れているのです。

     「そんななんでも楽して覚えて、本当に力になるのか!」というテンプレには後で答えるとして、このように楽しく学べる環境というのは、手放しで喜ぶべきです。

     私にそれを確信させた象徴的な事例は、小学生低学年に、字を丁寧に書くために、授業についていけなくなる子がいるということです。真面目な女の子を想像するといいのではないでしょうか。字を丁寧に書くけど遅いために、授業のペースについていけないのです。字を丁寧に書くくらいですから、素質としては勉強に向いている可能性が高いでしょう。何かの能力に著しくわけでもないのに、でも字を丁寧に書いていて落ちこぼれてしまうのです。

     現在の教育のやり方の限界を示す例だと思います。その子に「字を早く努力をしろ」ということがその子にとって良いことでしょうか。それよりその子にあった学び方で学ぶほうが、その子にとって圧倒的に「効率」が良さそうです。もしも学校の教育のペースがその子にあっていたら、その子は努力とも思わずぐんぐん学力を伸ばしているかもしれません。今成績のいい子なんて、単に今の学校教育のペースにたまたまあっているだけかもしれないのです。

     ですから、いろんな学び方が増えることは、それだけ子供達が自分にあった学習法に出会える可能性が高くなるわけで、悪いことであるはずがありません。楽して学習できるならどんどん楽すればよくて、その分他のことを学べばいいのです。

     でも、そうやってなんでも楽して学んでばかりいて、将来なにかと大変な人生を渡っていけるのだろうかと心配になります。

     たとえば「やりぬく力」。なにごとであっても、なにかを成し遂げた人の話を聞いていると、「諦めずに最後までやったからできた」という話をよく聞きます。スラムダンクの安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」というセリフも超有名です。

     「やりぬく力」がほしいと思っている人はたくさんいるでしょう。あるいは我が子に「やりぬく力」をつけてほしいと思う親もたくさんいることでしょう。私もその一人です。

     でも、この「やりぬく力」について考え始めると私たちはある衝撃的な事実に遭遇するのです。

    (つづく)


    《ワンポイントミライ》(

    ミライ: eラーニングという言葉が流行ってますけど、それだけじゃないですよね。

    フツクロウ: ふむ。
     
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