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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その4)

    2016-05-24 20:1514時間前
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その3)  のつづきです。

     無駄な「努力」が疎まれる一方で、身に付けたい力「やり抜く力」。社会を見渡せばいい大学を出てなくたってこの力を持って成功している人はいくらでもいます。

     これはつまり今までの学校教育は、この「やり抜く力」を育むという点ではうまくいっていないようにも見えます。

     なぜ今までの教育は「やり抜く力」を育むことに無力なのでしょうか。

     その原因はいくつかあります。

     無力な理由その1「努力すればできる課題しか出さない」

     「やり抜く力」というのは、いわゆる「根気」だけの話ではありません。分厚い本を読み切るには、根気が必要ですが、読み切ったからといって、今回のテーマである「やり抜く力」そのものではありません。

     なぜならここでいう「やり抜く力」とは、取り組む課題にそもそも答えがあるかどうかわからないものをやり抜く力を指すからです。

     たとえば地域で交通弱者問題の解決が切実であっても、持続的に回る仕組みができるとは限りません。地域ごとに事情があってよそでうまくいったものがうまくいくとも限らず、そういうのを参考にしながら、自分たちの地域にあった方法を編み出していかなければなりません。でも、できるとは限らないのです。

     できるかどうかわからない問題に地道に取り組み、結果を出す力、それが「やり抜く力」です。

     「やり抜く力」は様々な力の総合力です。詳しくは改めて考えるとして、たとえばできないことは諦めるか一旦休む力が必要です。安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」という言葉は美しい言葉ではありますが、できるかどうかわからない問題に取り組むには、諦める力も必要です。

     しかし、学校が出す課題というのは、どれも「できる」ことでしかありません。

     それらの課題が難しいものであれば、達成することで「根気」を育むことにはなりますが、ここで考える「やり抜く力」を直接育てるわけではありません。

     無力な理由その2「時間がない」

     答えがあるかどうかもわからない課題というのは、したがって結果を出すのにどれくらい時間がかかるか読めません。オルタナティブスクールなどでは、プロジェクト式学習として自分でテーマを決めて主体的に活動したりしますが、まさに最初から結果がわかってない課題に取り組む活動です。
     今の普通の学校ではこのような活動をする時間は設けられていません。どこか隙間時間に取り組んでできるようなことではありません。

     あえていえば、夏休みの自由研究がそれです。私の子供の頃からすでに普通にありましたから、昔から自由研究の重要性は認識されているのでしょう。

     しかし、自由研究のやり方や指導は家庭に丸投げです。学校は「やりぬく力」は大事だけど自分たちには育てられません!と言っているようなものです。

     学校にしても、子供達の成績を上げるなり、成果をあげなければなりませんから、自由研究のように途中で挫折するかもしれないようなことに力を割いても、挫折しようものならかえって非難されかねません。

     このような歪みは、全て、「努力」と「根気」と「やり抜く力」が、社会の中でごちゃまぜになっているからです。

     「努力」と「根気」だって全然別のものです。私たちはゲームの中で、レベル上げるために単調な作業を実に根気よく続けられます。そのゲームにハマってない人から見ればものすごい「努力」に見えるかもしれませんが、当の本人達は必要だから当然のようにやっているだけで「努力」かと言われるとよくわかりません。誰だって好きなことには「根気」を発揮するのです。

     その「根気」と「やり抜く力」が必ずしも一緒ではないことをこれまで見てきました。

     今までの学校では「やり抜く力」を育てるのは困難なことでした。

     でも、学校だってただ手をこまねくことはないでしょう。だって、これからの社会を生き抜いていくには、そういう力が必要だというのは明らかだからです。

     「やり抜く力」を育むために学校に何ができるのか、次回考えます。

    (つづく)


    《ワンポイントミライ》(

    ミライ: 「やり抜く力」とは答えがあるかないかわからない課題に取り組む力!

    フツクロウ: ホウじゃ!
     
  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その3)

    2016-05-23 23:00
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その2)  のつづきです。

     少し寄り道をしてしまいましたが、今回は「やりぬく力」にまつわるの衝撃的な事実に話を戻します。

     「やりぬく力」は私たち自身も持ちたいと思うし、自分の子供にも持って欲しいと思う力です。

     その「やりぬく力」について考え始めると私たちはある衝撃的な事実に遭遇します。

     それはこの「やりぬく力」に学歴は関係ないということです。

     いい大学を出てなくたって、世の中で活躍している人はいくらでもいます。

     将棋の羽生4冠とかなら、目指してれば東大くらい軽く受かってそうな気がしますが、トップアスリートになると目指してもトップクラスの大学には入れなくても不思議ではありません。だれもそれを非難することはないでしょう。

     私が学生の頃、御飯を食べに通った居酒屋の常連さんたちは、有名人ではありませんが、基本的に何かをやり抜いた人生の先輩たちでした。私は基本的に「おまえは苦労してないからいかん」と説教される立場なのですが、つまり彼らは苦労をくぐり抜けた勝者なのです。

     一方で彼らに共通する愚痴は、「もっと勉強しておけばよかった」でした。逆にいえば、それは社会で生き抜くためには学力以外のものがいるということであり、私は学生時代にそれを徹底的に思い知らされたのでした。

     だいたい、「成功するには」というライフハック系の記事で、「小学から高校あるいは大学までの勉強を徹底的に復習せよ」って聞いたことがありますか? 

     成功するためには学校で学んだことこそが重要であり、したがって今からでも遅くない、徹底的に復習しよう

     なんて聞きません。まあ、人は聞きたくないことは聞きたくない傾向にあって、こんなの聞きたくないことの筆頭ですから、言ったところで、みなガン無視なのかもしれませんが、まあ冷静に考えて、「学問」の内容そのものをいくら理解したところで、物事をやり通すこととはあまり関係はなさそうです。

     そこまでわかっているのなら、義務教育でも「やり抜く力」を育むべきです。

     もちろん全員がトップアスリート級の最上級の「やり抜く力」を身につけることはできませんが、地域社会の中で地域の問題を解決するくらい、それはたとえば「道の駅」で売れる商品を作り出すといったことでもかまいません、それくらいの「やり抜く力」を身につけることは、これだけ社会に無数の地域の問題がある現代では喫緊の問題です。

     そんなことはわかりきっていますから、義務教育の場でも「粘り強く問題に取り組む生徒を育成しよう」なんて目標はさんざん語られていることでしょう。調べてませんけど。

     でも、この目標に対して、今までの学校教育はほとんど無力だったのです。

     どうして無力なのでしょうか。

    《ワンポイントミライ》(

    ミライ: え、と、ここまで「努力」はいらないけど、「やりぬく力」がいる、ということでしょうか。

    フツクロウ: ホウじゃな。
     
  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その2)

    2016-05-20 23:302
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その1) のつづきです。

     「やりぬく力」を考える前に、もう一つ、子供の学習のしかたがどれだけバラエティに富んでいるか例を紹介しようと思います。

     これは何人かの塾の先生が実際に体験したことを元に作った半分実話、半分創作です。

     A君は、決して算数が得意なわけではありませんが、小学生の時、□を使った式問題は理解が早かったと言います。

     3 × □ = 6 

     というような問題があれば、すぐに「2」と答えられたのです。

     ところが中学になったとき、A君はつまづきます。

     3x = 6

    という方程式には、 x = 2 と答えますが、

     7x = 6 

    という方程式は「答えがない」というのです。

     実はA君は、見たものをぱっと覚えるのが得意なタイプで、漢字は見ればすぐにその漢字を書いて再現することができます。なので漢字は得意なものとして親や先生は気を払っていませんでしたが、実は書き順はめちゃめちゃだったのです。それから苦労して書き順を覚え直さなくてはいけませんでした。

     □を使った式のときにも、同じようなことが起こっていました。どうやら、A君は 3 × □ = 6 を見ると、一瞬で 

     3 × 2 = 6

    と答えの入った式が浮かんでいたようなのです。頭の中で、 6÷3 を通らずに答えが出てくるのです。

     ですから、中学に入り、3x = 6 は問題ないのですが、7x = 6 を見た時、そこに入る数字がなく「答えがない」ことになってしまったのです。

     この事例でいくつか興味深い点があります。

     一つ目は、A君にとって、

     3 × □ = 6 

    は努力なしに理解できる問題だという点。この問題を解く時A君は考えていなかったそうです。わかっちゃうのです。

     もう一点は、それゆえに、A君はかえって落とし穴にはまってしまった点です。

     こんな風に子供が物事を理解する過程は多様ですから、つまづき方も多様です。(その1)で紹介したように、「字を丁寧に書くから」つまづく子だっているのです。

     ですから、私たち社会はまだまだいろんな教材も必要だし、子供がつまづいてないかを見抜くツールも必要です。小三でつまづいた子は中三になったとき、学力は中二レベルではなく小三レベルのままになりかねません。この少子化の世の中、社会はそんな損失を放っておけません。

     そのためには子供がつまづく事例をどんどん収集しなければなりません。eラーニングが注目されている理由の一つです。さらにその理由を解析し、その子がつまづきそうになったら、すかさずその子にとって「努力せず」に理解できる教え方に切り替えなければなりません。

     「努力せず」に引っかかる人もいるかもしれませんが、それなら「その子が理解できる方法で」でもいいかもしれません。ある教え方では、どんなに「努力しても」その子には理解できないかもしれません。

     誰にでもある経験ではないでしょうか。あの先生の教え方ではちんぷんかんぷんだったけど、この先生になったらその教科が好きになるくらいわかったということが。ある人にとって、どんなに努力しても分からない教え方と、すらすらわかるわかる教え方はありますが、その間というのはそれほど多くありません。

     つまり、「努力せよ」と子供を変えようとするよりも、こちらが手を替え品を替えた方が「手っ取り早い」のです。自分の子供もそうです。ちょっと与えてみて、食いつかなければ別のものを考える方が、無理強いするよりよほど楽です。

     さらに、自分自身の問題に還元するのであれば、必死に「努力」しているのに伸びないとか辛いのであれば、やり方が悪いか、才能がないかと考えた方が手っ取り早いのです。

     私は学生の頃英会話教室とやらに入ってもちっとも続きませんでしたが、その後、NHKラジオの英語講座は3つ同時にずっと続きました(その一人遠山顕さんがいまだに現役と最近知り驚愕しています。多分アンドロイドです)。当時はラジカセのタイマーを使って、カセットテープに録音し、それをウォークマンにセットして通学の電車で聞くというスタイルでした。3つをきちんと録音するのはなかなか大変です。でも、「努力」したとかあんまり思ってません。自然と続いたのです。

     子供が私から見て努力していれば、「すごい!」と褒めますが、「努力」を強いるのはあまり益がありません。

     結果として人から「努力してるね」と感嘆してもらえることはあっても、本人は別にそんなにと思っています。

     努力を強いるとか、無理して努力するとかは、元がとれない。

     ということがじわじわと知られるようになっているのです。

    (つづく)


    《ワンポイントミライ》(

    ミライ: 所ジョージさんの名言「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思う」ってやつですね。

    フツクロウ: ホッホ。いやいや、そこまで単純じゃないという話じゃないかの。