「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その11)/熱狂的な集中力 のつづきです。

 ここまで「やり抜く力」をつくる力として、ここまで「解けそうな問題を選ぶ力」「諦める力」「スモールステップ法」「毎日続ける力」「熱狂的な集中力」の5つを見てきました。

 今回が最後の力です。

 やり抜く力その6/踏ん張る力

 ずばり、「踏ん張る力」です。

 私たちが「やり抜く力」として最初にイメージしているものは、まさにこの「踏ん張る力」ではないでしょうか。どんな困難にも挫(くじ)けず、踏ん張って最後までやり通す力です。

 答えがあるかないかわからない課題に取り組んでいると、どうしても行き詰まる瞬間がでてきます。そこに壁があるから今まで誰も突破できなかったのです。「解けそうな問題を選ぶ力」「諦める力」「スモールステップ法」「毎日続ける力」「熱狂的な集中力」などを駆使して、効率よく進めていても、結局は壁が待っているのです。

 その壁が今は超える準備が整っていないのなら、諦める力を働かせて、諦めるか、棚上げにするか、あるいは、スモールステップ法で少し小さな問題に直して、解ける問題に作り変えて解決するといった、落としどころを探ることになります。

 でも、今踏ん張れば、この壁を超えられそうだと感じるなら、そこを突き抜けるには、踏ん張るしかありません。それこそが「やり抜く力」の核心です。

 いわゆる「成功するには諦めないこと」ってやつです。

 でも明言します。

 それは妄信的な努力ではありません。

 他の5つの力を駆使しながら、つまりだめなときの落としどころを確保しながら、安心して邁進する、プロフェッショナルなチャレンジなのです。

 例えていうなら、装備ばっちり整えて、ハーケン打って、ザイルを命綱にして山を登るようなものです。

 居酒屋でおっさんの武勇伝を聞いていると、まるでこの身一つでやり抜いたような、ろくな装備もなく根性でくぐり抜けたような話になりがちですが、実際のところは本能的にセーフティネットを張っています。

 それでも、「やり抜く」には、最後はジャンプが必要になってきます。そこの部分はおっさんそれぞれの武勇伝なのですが、それ以外は、本能的であれ安全を確保しながら行動をしています。

 今まではそれらは本能的なものとして扱われてきがちでしたが、今はこうやって、どうやれば、無謀に見える難問であっても、安全を確保しながら挑戦できるのか、その技術が記述できるようになってきたのです。

 この最後のジャンプが成功した時の達成感は、それがどんな小さなものであっても格別です。

 「踏ん張る力」を育む一番の方法は、踏ん張り切ることです。踏ん張って最後までできたという格別な達成感の記憶こそが、次の挑戦の原動力になります。

 備えて、実行し、踏ん張って、達成する。

 その繰り返しで、プロフェッショナルなチャレンジャーを育成することができます。

 学校や親としては、この繰り返しを実現するため、子供たちにどのような課題を与え、どのようにそのような達成感を演出するかが、これからの腕の見せ所となるでしょう。

 このシリーズの最初には、努力なしに楽して学べるならその方がいいという話をしました。

 しかし「そんななんでも楽して覚えて、本当に力になるのか!」と不安になります。

 それはこの「踏ん張る力」が必要と考えるからです。

 ですから、この「踏ん張る力」を直接鍛えなければなりません。合わない勉強法を我慢してやるとか間違った努力をしても、「踏ん張る力」はたいして鍛えられないことでしょう。

 これこそが「努力」が間違って礼賛される原因であり、私たちの社会の大きな損失です。これからは「無駄な努力」を減らし、「踏ん張る力」を鍛える時代なのです。

 (つづく)

《ワンポイントミライ》(

ミライ: 最後は「踏ん張る力」だったんですね。