先日、『妄想テレパシー』を紹介したいがために書いたエントリがこちらです。

 おまえらが学ぶべきは『妄想テレパシー』のマナちゃん  

 この中で「人のココロを読める」よう訓練しようと勧めたのですが、実は有史以来、この力がここまで必要となったのは、現代が初めてです。

 歴史上、これまではかつては「身分」、最近は「立場」を通して人々はコミュニケーションしていました。会社員とはこういう立場で上司はこう、部下はこう振る舞えばいいという行動規範があり、それに従って行動していれば、とりあえずうまく回りました。個性0というわけではなく、その基本的な行動規範の上に個性で味付けた行動であれば評価されることでしょう。

 しかし、その前提は今完全に崩れ去っています。

 一番如実に表れているのは、子育てでしょう。

 ほんの少し前まで、子供なんて型にはめて育ててました。理想の子供の姿みたいなのがあって、みんなそれに向かって育児教育してれば良かったのです。

 しかし、今は子供をまずあるがままに受け入れ、その子にあった子育て教育が必要になっています。

 なぜ必要か。

 仕事の内容が変わるからです。

 実は今はまだ、ほとんどの仕事は肉体労働です。工場で働くような体を使う肉体労働は減りましたが、その代わり増えたのは、頭を使って単純な作業をする知的肉体労働です。

 例えば、与えられた仕様を満たすプログラムを書くといった作業です。

 ですから、ルールを守って与えられた課題をこなすという学校教育で培われる素養があれば、社会の仕事に適合することができます。

 しかし、最近の人工知能の発展を目の当たりにし、それだけでいいと考える親はいません。これからは人間らしい創造性も問われることは明らかです。

 子供自身もそういった流れは本能で察知しています。

 じゃあどんな教育やしつけをすればいいのかといっても、今はまだ模索している段階。一方で子供を型に嵌めようとするのでなく、あるがままに受け入れることもそんなに簡単なことではありません。

 全世界で国が豊かになると少子化が進む理由はこれだと思っています。モノが豊かになると、次にココロを豊かにするために社会としてどう取り組むかどの国もまだ答えを見つけてないのです。

 この困難を乗り越えた時、世界はまた大きく発展することでしょう。

 そのために必要なのが、従来の相手を「立場」で捉えてコミュニケーションするのではなく、相手自身とコミュニケーションすることです。

 そのためには、「相手のココロを読む」必要があります。昔はそんなことはお釈迦様級でないとできなかったものですが、人類がせっせと知識を蓄積したおかげで、最近ではそんなライフハック記事はいくらでもあり、簡単なレベルなら誰でもできそうなところまで来ました。

 総御釈迦様時代です。これは新時代です。

 コンビニのレジの女の子の笑顔がいつも眩しい時、勘違いするオッさんは旧人類です。

 その女の子の笑顔が営業スマイルなのはわかってるけど、なんとかしてその子と立場を超えた会話をするため、必死に悩んで手をひねり出す青年が新人類です。

 その時点で女の子はだいたい察知して、悪くないなと思うなら、さりげなくサインを出すし、なのにそれに青年が気付かず、読者はヤキモキするというのが、お決まりのパターンです。

 お互いに立場で話していても、それがその人そのものと捉えるのか、それは立場上の姿でしかないと捉えるのかではずいぶん変わってきます。それが全てのコミュニケーションに入りこんでくる時代になろうとしているのです。

 それが普通となった未来、振り返って今の時代は暗黒時代と呼ばれることでしょう。モノは豊かになったけど、人のココロはわからない人たちばかりで、経済も停滞していたと。

 そういえば、「マンガで分かる心療内科・精神科 アドラー心理学編」とかいいとっかかりじゃないでしょうか。全部は読んでませんけど。

 中学の保健体育では、「認知の歪み」がキャラ化されてたりするようです。

 やな気持ちを連れてくるユガミンが寄り付かない10の思考法(その1)  

 人間という装置のココロを含めた装置の仕組みを中学でも教えるような時代になっているのです。


《ワンポイントミライ》(

ミライ: 総御釈迦様時代・・。お坊さんいらなくなりますけど。

フツクロウ: イヤイヤ。今のお坊さんはもっとずっと先をいっとるじゃろ。ま、あくまで強調じゃろ。じゃが、「人のココロを読む」のは昔ほど難しくなくなっとるじゃないかの。