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俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.1
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俺の棒銀と女王の穴熊〈6〉 Vol.1

2016-01-27 21:00
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    ☗1

    「ここまでだ」
     その言葉を聞いたのは一年ぶり。認めたくない。だが認めなければならない。そんな苦渋に満ちた顔で、敵の大将は自らの負けを表明した。
    「ありがとうございました」
     そして、激闘直後にもかかわらず疲れを微塵も感じさせない澄み切った声で、敬愛する女王は挨拶をする。
     誰からともなく拍手が鳴らされた。瞬く間に、健闘を称える声が部屋中に広がっていく。それを聞いて、春張来是はようやく肩の力を抜くことができた。碧山依恋が感極まったように抱きついてくる。
    「やったわね、来是!」
    「彩文学園将棋部ここにあり、だな」
     ――私立大蘭高校との毎春恒例の交流戦。三将の依恋は敗れたものの、副将の来是が勝ち、最後に大将の神薙紗津姫がチームの勝利を決めた。去年勝てたのはたまたまだと言われないよう、なんとしても二年連続で勝つという目標を立てていたが、快挙と胸を張っていいだろう。
    「すげえ……。城崎先輩って去年のアマ名人戦ベスト4だぜ? プロに一発入れられるレベルなのに」
    「神薙さんってマジで強いんだな。あそこで飛車を見捨てるとか、全然見えねえよ」
     大蘭の部員たちから、そんなささやきが聞こえてくる。
     大将戦の将棋は終盤しか見られなかったが、来是は味方ながら戦慄した。横歩取りの戦型から一進一退の攻防が続いていたが、紗津姫は鬼手としか形容できない手で一挙に流れを引き寄せ、流れるように鮮やかに勝ち切った。
     自分もまったく見えなかった手だ。この人との差は、やはりまだ歴然としている。そう思うと、勝利に喜んでばかりもいられない……。
    「これであんたには、三年連続で負けたわけか。情けないかぎりだな」
    「いえ、指運がたまたまこちらに傾いただけのことです」
    「お、お兄ちゃんのかたきは、わたしが取るんだから!」
     城崎修助の妹、未来は今年も観戦に来ていた。彼女は先日のアマ女王戦でAクラス優勝を果たし、後日の三番勝負で紗津姫と対決することになっている。しかし紗津姫が負けるところはまるっきり想像できない。
    「……ふん、それより君が勝ったっていうのが驚きなんだがな」
    「どうもっす」
     城崎の鋭い視線を、来是は堂々と受け止める。まだ及ばないとはいえ、気圧されないくらいの棋力は身につけてきたつもりだ。
     昨年は戦いを盛り上げるためという理由で、大蘭高校は初級者の来是に同じ初級者を当てて、あえなく敗れた。今年はもうそんな遊びはせず、実力どおり二番手を副将に据えてきたが、来是はギリギリの一手争いを制することができた。
     アマ三段、それが来是の今の実力だ。それも千駄ヶ谷の将棋会館で現状認定されている段位であり、すでに四段の力はあると紗津姫は言ってくれている。事実、彼女相手に角落ちではめったに負けない。
     しかし近づけば近づくほど、この女王は遠ざかるような気がしてならなかった。
    「あ、あの! サインください!」
    「お、俺にも!」
    「男子ずるいー! 私にもー!」
     緊張の緩和をチャンスと見たか、大蘭部員たちが男女入り乱れ、紗津姫を取り囲んだ。依恋がマネージャーのように制そうとする。
    「ちょっとちょっと、そういうのはお断り――」
    「かまいませんよ、依恋ちゃん」
     用意のいいことに、紗津姫は制服の内ポケットからサインペンを取り出す。
     伊達清司郎名人プロデュース、唯一無二の将棋アイドル。今やその自覚が彼女には確固として芽生えていた。
    「はっ、アイドルも大変だな」
     一度フラれた女性には興味がないようで、城崎は我関せずだった。
     その後、彩文将棋部員たちは最寄りのハンバーガーショップに向かい、交流戦勝利のささやかな打ち上げへと移行した。
    「去年は俺も含めて、たったの五人だったのになあ。大所帯になったもんだ」
    「そのときの新聞を見て、入部しようって決めたんですよねえ。懐かしいです」
     今年も新聞部の取材で同行していた浦辺と金子が、しみじみと口にする。
     自分と、依恋と、紗津姫と、先月卒業した関根。昨年の将棋部は、この四人しかいなかった。それがどうだろう、テーブル席の大半を占拠するほどの大集団だ。正直、まだ全員の名前を覚えていない。
     言うに及ばず、紗津姫の将棋アイドル効果である。十五人を数える新入部員の半分以上は、将棋などやったこともない、初心者以前のレベルだった。それが紗津姫のアイドル活動を見て、自分も将棋を指してみたいと――ちょうど一年前の自分のように、強烈に思ったのだ。
    「紗津姫先輩、今日も美しい指し手でしたわ……!」
    「内容全然わからないですけど!」
    「ふふ、休み明けに棋譜を渡しますね。じっくり並べてみてください」
    「えー、全部記憶してるんですか?」
    「マジやばくないですか?」
     紗津姫は後輩女子に囲まれて、とてもご機嫌な様子。新学期前、女子はどれくらい入ってくれるかとみんなで予想していたが、蓋を開けてみれば半分も占めていた。特に同性への将棋普及を進めたい紗津姫にとっては、何より嬉しいことだった。
    「春張先輩って、将棋をはじめて一年って本当ですか?」
    「最後の、えーと、何手詰めか忘れたけど詰ますのすごすぎっすよ」
    「俺は万年初心者の予感ですよ~」
     紗津姫目当ての男子たちも、来是の上達速度には素直に尊敬の念を表していた。
     ほんの一年で、ずぶの素人から有段者へ。我ながらたいしたものだと思っている。もう平手じゃ敵わないわねと、依恋は寂しそうに笑っていた。
     すべては、紗津姫の指導のおかげ。
     だが――もう彼女の指導を受けることはできない。
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