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体育学者・中澤篤史インタビュー
『AmazingでCrazyな日本の部活』
第2回:「メンバーによる自主的なマネジメント」
にこそ部活の価値がある?
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.4.12 vol.562

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今朝のメルマガでは、体育学者・中澤篤史さんへの連続インタビュー第2回をお届けします。
第1回では現代の体育全体の事情や、アメリカやイギリスの部活がどうなっているのかについて伺いましたが、第2回では、日本の部活が海外ではどう見られているのか、そして運動部活動が抱える本質的な問題点についてお話を伺いました。


▼プロフィール
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中澤篤史(なかざわ・あつし)
1979年、大阪府生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科准教授を経て、2016年4月より早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。専攻は体育学・スポーツ社会学・社会福祉学。主著は『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)。他に、『Routledge Handbook of Youth Sport』(Routledge、2016、共著)など。

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◎聞き手・構成:中野慧


■ 日本の部活は海外からどう見られているのか

――イギリスを含むヨーロッパでは、スポーツ選手の育成は地域クラブが担うという形式が一般的なんでしょうか? 

中澤 はい、イギリスも含めて多くのヨーロッパ諸国では、学校の部活よりも地域クラブが盛んです。とくにドイツが典型的です。ドイツには「フェライン」(Verein)と呼ばれる地域クラブがあります。フェラインは学校よりはるかに歴史が古くて、街とともに誕生していることが多い。学校や企業とは独立した、地域の人々の生活に溶け込んだスポーツをする場所があります。

――そうすると、青少年のスポーツ文化と学校の人間関係は、日本のように紐付いていたりしないんでしょうか。

中澤 ドイツの場合、長らく学校制度自体が午前授業で、午後は全部放課後というのが一般的でした。地域には学校の隣にクラブがあったりするから「紐付いている」と言えなくもありませんが、時間的には完全に分離している。友達関係も紐付いていないことはちょっと考えにくいですが、学年やクラスのようなまとまりでやっているわけじゃないので、その点では日本と違います。ただ、最近では「やっぱり学校でも鍛えたほうがいいかも」ということになって、14〜15時ぐらいまでは授業をやったりとか、「今まで放課後の部活ってなかったけど、やってみようか」という流れも出てきたようです。そのときの指導員は教師ではなくコーチを雇ったりもしますが、ともかく最近のドイツでは部活がちょっと芽生えだしたという状況です。

――先日、文部科学省が「部活などの日本式教育を輸出する」という取り組みを始めることがニュースになっていました。このニュースは日本国内ではポジティブにもネガティブにも捉えられていたと思うのですが、すでにドイツでは日本の部活の事例が参考として取り入れられ始めていたりするんでしょうか?


中澤 いえ、まだほとんど知られていないと思います。日本の部活に対する海外からの反応だと、第1回で話したように「Amazing!」と驚きとともに賞賛してくれている声もあるんですが、一方でむしろ「Crazy!」と非難し批判する声もあります。たとえば、柔道での子どもの死亡事故は大きな話題になり、The New York Timesも、世界中に「日本の部活はこんなに人を殺しているのか!」と厳しく報道しました。2012年に起きた桜宮高校のバスケ部体罰自殺事件のときも、海外のメディアは「なぜ学校の教師が、生徒を自殺に追い込むまでの暴力を振るうんだ!」と厳しく報道しました。
 私が直接取材を受けたものだと、The Japan Timesという日本に住んでいる外国人向けの英字新聞の記者が「外人ママたちが日本の部活に困っているんです」と言っていました。「どこが困っているんですか?」と聞いたら「放課後、夏休み、春休み、冬休みもずっと部活。休みでやっと家族で過ごせると思ったら、毎日部活で子どもが出かけてしまう、部活って何なんですか!?」ということらしいです。その記事のタイトルは「部活は親を困らせている All-consuming school clubs worry foreign parents」というものでした。


 部活があることは、一方で、「気軽にスポーツをするチャンスを与えている」という点で良いし、外国人も褒めてくれる。しかし、それに喜んでばかりもいられない。もう一方で、これだけ規模が大きくなって強制的に行わせることになってしまったり、さまざまな問題が山積してくると、やはり悪い部分があるし、外国人はそこも見ています。本インタビュー記事のタイトル通り、「AmazingでCrazyな日本の部活」というわけですね。

――ただ、保護者からしたら程度の問題はありますが、部活によって「助かっている」部分もあるような気もするのですが。

中澤 実際、日本の保護者にとっては、部活で「助かっている」部分はあります。2000年に文部省がスポーツ振興基本計画を作ったとき、「土日は部活をやめましょう」という案も議論されました。週休2日制の段階的な施行と合わせて、学校だけが子どもの居場所になるのではなく、家庭や地域にも開いたゆとりのある生活にしていくことを目指して、土日の部活を禁止にしようとしたわけです。しかし、反対したのが保護者でした。「土曜にまで家にいられちゃ困ります。ウチの子たちはもっと先生たちに部活で鍛えてもらわないと困るんです」と。
 教師にとっても部活は、「負担はあるけど、やはり必要」でした。教師が部活指導に熱心の取り組んできた実践上の理由は、生徒指導のためです。もし部活が無くなってしまうと、生徒は非行に走るんじゃないか。放課後に良からぬことに巻き込まれたり、ゲームセンターにたむろしてトラブルを起こすんじゃないか。だったら生徒は部活に一生懸命になった方が良い。学校にとって生徒指導にとって部活は必要だ。だから負担はあるけど、教師は部活を指導しようじゃないか。というように、部活指導を生徒指導の一環として意味づけてきたから、教師は部活にかかわってきました。部活を地域に移行すべきと喧伝されながらも、結局は学校が抱え込むことになってしまったのは、そういう背景があります。


■ 全国大会なんていらない?

――第1回でも触れたアメリカと日本との比較という点で気になったことがひとつあります。元セントルイス・カージナルスの田口壮さんが著書『野球と余談とベースボール』のなかで、「アメリカにいると『日本って高校野球の全国大会があるんでしょ?それってすごくうらやましい』と言われるんだ」と書いていらしたんですね。

中澤 アメリカでは高校段階でどの競技も全国大会がなくて、州大会が最高レベルです。そのように規制されています。お金がかかるし、大変だし、高校生なんだからそこまでしなくていい、という理由です。
 他方で、日本では、高校生はもちろん、中学生も全国大会を行っています。昨年、北海道で開催された中学校の全国大会である「全中」を視察してきました。北海道開催と言っても、種目ごとに地域はばらばらで、私は帯広でサッカーの全国大会を見て、札幌で陸上の全国大会を見て、旭川でバレーボールの全国大会を見てきました。それぞれたいへん盛り上がっているし、生徒にとって大きな目標になっています。でも実は、日本でも1960年代ぐらいまで、中学生の全国大会は禁止されていました。理由はアメリカと同じように、お金がかかるし、大変だし、中学生なんだからそこまでしなくいい、と。当時から高校生は全国大会をしていたわけですが、中学生には全国大会はまだ早い、という教育的な配慮があったわけです。

――野球の甲子園も最近、大会期間中の選手たちの滞在費が問題になっていたりしますね。あとは例えば「わざわざ8月の一番暑い時期に開催するのはどうなんだ」という疑問も上がっていたりしますが、8月に開催するのは学校が夏休みで全国的に集まれるから、というのが理由ですよね。

中澤 はい、全国大会への出場には、交通費や滞在費の問題があります。たとえば甲子園出場が決まったら、それぞれの高校がOBや保護者や地域から寄付金を集めることが慣例となっています。結局、その寄付金に頼って大会が成立しているので、成立基盤が危うい。
 アメリカでも交通費や滞在費や日程の問題は同じですが、その問題解決のために、民間のスポンサーをつけたりします。部活の商業主義化です。たとえば、バスケットボールの強豪チームがあったとする。そのチームには観客やファンも多いから、バスケットボールのグッズを展開している会社にとって、恰好の広告宣伝材料になります。すると、ユニフォームやシューズを用意するかわりに、そこに企業ロゴをつけてもらって宣伝する、といった契約を持ち込んできます。極端なケースになると、長距離遠征用の飛行機まで用意する企業も出てきたようです。で、チームが強くなって大会で優勝したりすると会社も喜ぶんですが、もし負けたりしたら、すぐ撤退して別のチームのスポンサーに移る。そうすると、部員や保護者から「スポンサーがいてしっかりお金をかけてもらえるから、この高校に入ったのに、話が違うじゃないか」と怒りの声が寄せられる。さらに怒りの収まらない生徒や保護者は、その高校を辞めて資金の潤沢な別の高校に転校したりすることもある。もしくはコーチが選手を連れて移動したりする。お金を求めて彷徨い歩く、みたいなこともあるようです。

――日本でも高校や大学のスポーツ選手に企業が用具提供をしたりしていますが、アメリカではそれがさらに極端になっているんですね。

中澤 いわゆる商業主義の弊害です。教育的にどうなのかも含めていろんな問題が起きていると指摘されています。さらに言うとお金の問題だけではなく、アメリカではドーピングの問題も根深い。たかが部活でそこまでして勝ちに行くのかと驚きますが、高校の州大会に出て勝ったりすると、奨学金を貰いながら大学に進学できたりもするので、生徒や保護者にとっては人生を賭けた闘いにもなっています。そこに大人たちのいろんな思惑が絡んだりして、闇の深い世界といえるかもしれません。だからアメリカでも「教育の側から商業化を規制しよう」とする意見があります。

――PLANETSにもときどき出てくださっているライター/リサーチャーの松谷創一郎さんが昨年夏に、Yahoo! 個人の記事で夏の甲子園の日程分散案を提案していました。甲子園ではそもそも入場料がとても安く、一番高いバックネット裏ですら2000円で、外野席は無料で入れたりするんです。それは安すぎるから少し値上げをして、余った収益の分を滞在費に回そうというものです。


 この松谷さんの提案はとても意義のあるものだと思うのですが、一方でこういった「商業化」に対して運営主体の高野連(高等学校野球連盟)は頑なに抵抗し続けています。たとえば高校球児の使う用具には強い規制をかけていて、スポーツメーカーのロゴが大きく表示されているものは禁止だったりします(甲子園のテレビ中継などでロゴが大写しにされたときに「広告価値」が生まれてしまうため)。なのですが、高野連も戦後日本の教育理念に強い影響を受けていて、「商業化」の負の側面を警戒しているとすると、彼らが商業化を拒否するのも理解できないでもないですね。

中澤 アメリカの場合、お金は重要問題で、同級生や保護者が学校のスポーツチームの試合を見に行くにのにも入場料を取る場合があります。また保護者会も、寄付金を集めたりして、観客席を整備したり、優秀だけど経済的に恵まれない子に独自の奨学金を与えたりしています。部活でお金を集めること自体がひとつの論争点になるのですが、もうひとつの論争点は「集めたお金をどう使うか」です。もし、みんなが納得できるいい使い方があるならば、日本でも「部活でお金を集める」ことは一つの手段として議論されてもよいかもしれません。
 他方で、お金を使わずに大会はできないかを考えた時に、過去の日本に面白い事例があります。先ほど、中学生の全国大会が禁止されていた時代について触れましたが、実は当時から陸上競技連盟や水泳連盟は全国大会をしたがっていました。1964年に東京オリンピックが開催されることになって、ぜひともメダルを獲れる選手を育成したかったからです。しかし、全国大会は禁止されている。では、どうしたか。陸上競技連盟は、全国のNHKに協力してもらって「放送陸上競技大会」を開催しました。各都道府県の競技場に生徒がそれぞれ集まって、「よーい、ドン!」で走る。その記録を集めて東京で集計して、「全国一位は栃木県の◯◯君でした」というランキングを作りました。水泳連盟は、全国の朝日新聞社に協力してもらって「通信水泳競技大会」を開催しました。これも同じように都道府県のプールの会場で「よーい、ドン!」で泳いで、各都道府県の記録を集めて、東京でランキングを作りました。陸上や水泳は記録の勝負なので、サッカーや野球みたいに相手が目の前にいなくても大会ができる可能性があります。実はこの方法は、国土の広いアメリカでも採用されていたりしています。交通費や滞在費などのお金をかけないで大会を開催する、ひとつのやり方です。しかし、そんな時代もあったけど、「やっぱり人を集めてしよう」ということになって、70年代以降、全国大会は中学校レベルでも行われるようになって今のかたちに落ち着いています。

――もしかしたら、今ぐらい通信技術が発達した時代であれば、ホログラムなどの立体的なテクノロジーを使って遠隔地をつないで全国大会をやるということを検討してみてもいいかもしれないですね。これは本誌の『PLANETS vol.9』で猪子寿之さんが提起されていたホログラムによる体感型オリンピック構想や、犬飼博士さんの「スポーツタイムマシン」の議論とも繋がってくる気がします。


■ 教育的理念が抜け落ちたいまの部活

――日本のスポーツ文化には、「部活」というものが大きな影響を与えていますよね。そんな中で、今は「ブラック部活」と言われたりもしますが、生徒の側は拘束時間が長すぎて他の活動ができなかったり、体罰やセクハラに遭ってしまったりすることが問題視されています。その一方で、教師も大きな負担を抱え込むことになっている。教師は通常の授業準備・運営や校務に忙殺されているなかで、さらに放課後や休日に部活の指導にも携わっても、わずかな手当しか支給されない。そういう従来の在り方を見直すべきだ、というわけですが、こういった問題についてはいかがですか。


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