第九章 環境――自然から地球へ|福嶋亮大(後編)
福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ
6、環境文学のビッグバン――フンボルトの惑星意識
以上のように、ルソーやワーズワースが《自然》と心を同調させる歩行の技術を定着させたことは、文学史上のブレイクスルーと呼ぶべき事件であった。レベッカ・ソルニットが示唆するように、この技術は二〇世紀のモダニズム文学にまで及ぶ[25]。主人公の行動履歴を細かく再現したヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』やジョイスの『ユリシーズ』は、歩行のログを感覚の基盤とし、それを思考や記憶の触媒とした。
ただ、ここで見逃せないのは、彼らの自然のイメージがあくまでヨーロッパに限定されていたことである。彼らの「エコ言語」の特性と限界は、ワーズワースと同世代のドイツの知的巨人、一七六九年生まれのアレクサンダー・フォン・フンボルトと比べるとき、いっそうはっきりするだろう。
博物学者にして地理学者、そして何よりも野心あふれる冒険家であったフンボルトは、地球の全体性を思索の対象とした画期的な著述家であった。ルソーの主人公サン゠プルーが海の向こうの忌まわしい新世界から、スイスの静謐な庭に引き返したのに対して、フンボルトはむ...