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  • 『火花』――“解像度”を上げて現実に対抗するフィクション――メガヒット小説映像化にNetflixが選ばれた理由(成馬零一×宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.696 ☆

    2016-09-23 07:00
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    『火花』
    “解像度”を上げて現実に対抗するフィクション
    ――メガヒット小説映像化にNetflixが選ばれた理由
    (成馬零一×宇野常寛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.23 vol.696

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    今朝のメルマガは、『火花』をめぐる成馬零一さんと宇野常寛の対談をお届けします。地上波ではなくNetflixで映像化されたピース・又吉直樹による小説『火花』。脂の乗った映画監督たちを起用して作られたこのドラマが、Netflixオリジナル作品だからできたこと、そして、現在のテレビが置かれている状況について語りました。(初出:「サイゾー」2016年9月号(サイゾー)


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    出典

    ▼作品紹介
    『火花』
    総監督/廣木隆一 監督/廣木隆一、白石和彌、沖田修一ほか 出演/林遣都、波岡一喜、門脇麦ほか 制作/吉本興業 配信/Netflix
    若手漫才師“スパークス”のボケ・徳永は、営業で行った熱海で先輩芸人“あほんだら”のボケ・神谷と知り合う。その存在に惹かれ、弟子入りを志願すると神谷は「俺の伝記を書くんだったらいい」と受け入れる。そこから2人が笑いについて語り合って過ごした濃密な数年間と、売れる/売れないという永遠のテーマに翻弄される彼らを含めた若手芸人たちの姿を描く。原作は、ご存じ第153回芥川賞受賞作。若手から大御所まで、多くの芸人がカメオ出演している。

    ▼対談者プロフィール
    成馬零一(なりま・れいいち)
    1976年生まれ。ドラマ評論家。著書に、『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社)、『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)ほか。

    ◎構成:橋本倫史

    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。


    成馬 小説『火花』がベストセラーになったときは、「お笑い芸人が書いた小説が芥川賞を受賞した」という話題が先行していて、内容面にまで話が及んでいなかった印象がありました。実際、小説ではわかりにくい部分があったのですが、ドラマ版を観ていると、『火花』が描いていたことがなんだったのか、よくわかります。
     全10話で、1話につき1年分くらいの時間経過で描かれるじゃないですか。舞台は2001年から10年頃で、つまりこれってゼロ年代の青春ドラマなんだな、と。微妙な懐かしさがありました。基本的には徳永(太歩)と神谷(才蔵)という2人の若手芸人の話で、彼らはゼロ年代以降のお笑いブームの中で、そこで生まれたルールに則ったゲームを戦わされている大勢の芸人のうちのひとりにすぎないんだ、という小説ではわかりにくかったことが、ドラマ版ではよくわかる。
     神谷は、もしかしたら松本人志になれたかもしれなかった天才型の芸人だったけど、ゼロ年代以降、キャラクター文化がお笑いに流入したことで、芸人の生き残り手段が「面白いキャラをどう演じるか」という勝負になってしまって、芸人を作家として捉える文化が総崩れしてしまった。『M-1グランプリ』のようなコンテストがその比重を高めていく中で、神谷のような芸人がどうなっていくのか、というのがドラマの基本になっていたと思う。
     もしゼロ年代にこの作品が作られていたら、神谷が最後に死んで、残された徳永が思い切りキャラを押し出して売れて成功する、という終わり方になっていたと思うんですよ。でも、そこで終わらずに、それよりも少し先まで描かれるのが面白かった。そこに多分、又吉が芥川賞を獲ったことと、この作品がNetflixで作られたことの意味が透けて見えるんじゃないかな、と思います。

    宇野 原作の小説については僕は、特に興味はないんですよね。ただ、このドラマ版はなかなか面白かった。どこが面白いかというといろいろあるんだけれど、原作の処理で言うと、この小説家デビューによってマルチタレントへと舵を切った又吉が無意識のうちに書いてしまっているところを拾って再解釈することで、ぐっと射程が長くなったと思う。
     徳永=又吉は、芥川賞を獲ったことで究極のキャラ芸人の道を歩み始めたと思うんだよね。ピースのコントは誰も知らないけど、又吉の文芸キャラだけは世間に伝わっていて、芸人として生き残れなくても文化人として生き残るであろうことは、ほぼ確定している。又吉は賢い人間だから、そんなことは百も承知でやっているはずで、「生存戦略として、これを受け入れたんだな」と思った。これって実は、フィクションより現実に起こっていることのほうが面白いという、インターネット以降に世界中で起こっていることを示すひとつの大きな例なんだよね。つまりNetflixは、小説『火花』の存在を凌駕して面白くなってしまっている“又吉現象”と戦わなければいけなかった。そこでどういう戦い方をするのかな、と思ったら、1話60分×10話という長尺を活かして、ほんのわずかなエピソードもめちゃくちゃ時間をかけて描くことで、ひたすら解像度を上げるという勝負に出た。


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  • 複数の世代感覚を媒介することに成功した『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(『石岡良治の現代アニメ史講義』10年代、深夜アニメ表現の広がり(5))【毎月第4木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.695 ☆

    2016-09-22 07:00
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    複数の世代感覚を媒介することに成功した
    『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
    (『石岡良治の現代アニメ史講義』
    10年代、深夜アニメ表現の広がり(5))
    【毎月第4木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.22 vol.695

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    今朝のメルマガは『石岡良治の現代アニメ史講義』をお届けします。今回は富山のアニメ制作スタジオP.A.WORKSの諸作品に注目しつつ、2011年を代表するヒット作となった『あの花』へと至る「深夜アニメ的表現」の系譜を考えます。


    ▼プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
    『石岡良治の現代アニメ史講義』これまでの連載はこちらのリンクから。


    ■P.A.WORKSの諸作品と『SHIROBAKO』の達成

     前回は動画工房について語りましたが、この連載では京アニとシャフトに関しては、独立した項目を設けていました。もうひとつ、独立した項目を設けていませんが、ここ十年の比較的重要なスタジオとして、富山県南砺市城端に本社を置く、P.A.WORKS(ピーエーワークス)が挙げられると思います。
     元請け第一作の『true tears』(2008年)は、今から振り返ると『心が叫びたがってるんだ。』(以下『ここさけ』)のプロトタイプと言えるアニメで、一応は同名のゲームを原案としていますが、今ではほぼアニメの印象のみが顕著な作品です。P.A.WORKSは富山県に限らず、北陸を舞台にした聖地アニメを多数制作しています。たとえば近作では、黒部ダム近辺を舞台に展開される『クロムクロ』(2016年)というロボットアニメがありますね。あくまでも地元をコンスタントに舞台にし続ける、そういうスタジオです。
     アニメ聖地巡礼的な文脈でいうと、『花咲くいろは』(2011年)が旅館ものとしての重要作で、作中では架空の祭りとして設定されていた「ぼんぼり祭り」が、金沢湯涌温泉でアニメをきっかけに「湯涌ぼんぼり祭り」として実際に誕生し、今でもイベントが行われています(2016年に第6回を開催)。このように、比較的長期的なスパンで地域に根差すような聖地巡礼アニメを作っています。
     P.A.WORKS制作で規模的にヒットしたものは、北陸アニメだけではないですね。具体的にいうと『Angel Beats!』が挙げられます。学園のモデルは金沢大学なので、聖地アニメ性がないわけではないのですが、『Kanon』や『Air』で知られるノベルゲームブランドKeyの麻枝准が原作シナリオを担当しており、特に終盤においてある種のバッドテイスト性を伴いつつも大ヒットしました。2015年の『Charlotte』も麻枝准シナリオのアニメで、こちらの主要な舞台は東京都国立市です。麻枝准原作のこの二作については色々と興味深いのですが、考察は別の機会にできればと考えています。
     むしろここで考えてみたいP.A.WORKS作品は、『ガールズ&パンツァー』(以下『ガルパン』)の水島努監督が手掛けた『SHIROBAKO』(2014-15年)という「アニメ制作もの」のアニメです。こちらは、武蔵野アニメーションという架空の制作会社を舞台にしており、JR中央線の武蔵境駅近辺がモデルになっています。この舞台設定は、中央線沿線に数多くのアニメスタジオが存在している状況を反映したものといえるでしょう。
     『SHIROBAKO』の概要について簡単にいうと、アニメの制作、声優、アニメーター、それとCGグラフィッカーといった仕事に同じ高校出身の女性たちが就いているという設定で、「高校の同級生がみんな業界で活躍する」というファンタジー要素を軸に、しかし仕事の現場についてはリアル寄りに描いたアニメです。実際の苛酷さを知っている人からみるとアニメ業界を美化していると言われることも多いです(ショートアニメ『ハッカドール THE あにめ〜しょん』の第7話「KUROBAKO」が、タイトルの時点ですでにアニメ業界の「ブラック企業」的暗部をパロディにしています)が、それでも割とシビアな側面や新旧世代の対立などを丁寧に拾っているアニメです。

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    ▲『SHIROBAKO』(出典:公式サイトより)

     『SHIROBAKO』で個人的に興味深いと思ったのは後半のモチーフです。武蔵野アニメーションは前半と後半では異なるアニメを制作しているんですが、前半がアクションアニメ(『えくそだすっ!』というタイトルでアメリカンニューシネマ風のシナリオが展開されます)なのに対して、後半は萌えミリタリーものを題材にしているからです。『第三飛行少女隊』という架空の萌えミリタリーアニメは、空軍という題材的に明らかに『ストライクウィッチーズ』(2008年)(略称『ストパン』の由来はある意味ひどいのですが)がモデルだと思われますが、もちろん実際には水島努監督自身が『ガルパン』で得た経験を元にしているわけです。


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  • 井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第9回 どこまでが「ゲーム」なのか?【不定期配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.694 ☆

    2016-09-21 07:00
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    井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
    第9回 どこまでが「ゲーム」なのか?
    【不定期配信】 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.21 vol.694

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    今朝のメルマガは井上明人さんの『中心をもたない、現象としてのゲームについて』の第9回です。空手家・大山倍達の「強さ」の追求が、期せずして直面したゲーム的世界観。「ゲーム」と「それ以外」を区分する境界線は、どこに引かれるべきなのか。「現象としてのゲーム」の具体的な議論のために、ゲームを定義する5つの評価基準を提示します。


    ▼執筆者プロフィール
    井上明人(いのうえ・あきと)
    1980年生。関西大学総合情報学部特任准教授、立命館大学先端総合学術研究科非常勤講師。ゲーム研究者。中心テーマはゲームの現象論。2005年慶應義塾大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。2005年より同SFC研究所訪問研究員。2007年より国際大学GLOCOM助教。2015年より現職。ゲームの社会応用プロジェクトに多数関っており、震災時にリリースした節電ゲーム#denkimeterでCEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞受賞。論文に「遊びとゲームをめぐる試論 ―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」など。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。
    本メルマガで連載中の『中心をもたない、現象としてのゲームについて』配信記事一覧はこちらのリンクから。

    ■ 2−5 どこまでが「ゲーム」なのか?-さまざまなゲームのボーダーラインについて-
     
     神の手と呼ばれた20世紀後半の伝説的な空手家、大山倍達が語ったとされる言葉に
    「地上最強の動物はアリクイ」[1]
     というものがある。
    どういう理屈かといえば、なんでも①ストレートに考えると、個体としての世界最強の動物はおそらく象である。②像であってもアリの集団に食われてしまうことがある ③アリクイはアリに勝利できる、ということらしい。
     「何を馬鹿な」と思われるだろう。反論をするのも、いかにも容易だ。あまりにも突飛のない発言に、納得するというよりは、失笑を誘われる人のほうが多いだろう。
     さて、なんでこんな話をしているのかというと、ある行為が「ゲーム」という概念に入るかどうかが難しいようなボーダーラインをどう扱うかということ話を扱いたいからだ。

     大山倍達は20世紀後半の日本に「空手」を広めた立役者だが、大山によれば「勝負」という概念のボーダーライン上にいるからこそ出てくる発言であろう。大山は「ケンカと戦いの区別はどこにあるのか、ということは私には、はっきりとわからない」[2]と述べている。
     大山倍達が伝説的な格闘家であることのいくつかの理由の一つは、彼が人間以外の動物と戦っていることによる[3]。若き日の大山は「人間の相手がいない」[4]と感じて、ジャングルのなかでライオンやワニと闘うターザンのように、人間以外の動物と戦いたいと思い「比較的たやすくぶつかれる相手といえば、まず牛だ。」[5]と言い、70頭もの牛を倒す。そして次に熊と戦おうとして警察に止められ、ゴリラと戦ってはゴリラに逃げ出されたという。ライオンと闘うことについても真剣に研究しており、その結果「うーむ、とても勝てない。勝てるわけがない」という結論を得ている。
     大山による対猛獣戦についての発言には興味深い論点が多い。大山は、もし猛獣と人間が闘うのであれば、フェアな条件で闘うべきでないと言っている。虎やライオンに素手の人間が挑むとすれば、「壮年と壮年で、公平な条件で戦わせたら、勝つ可能性はゼロといってよい」という。もし空手の達人が真剣に虎に勝利する可能性を検討するのであれば、①老齢の虎であること ②弱らせておくこと ③広い場所で闘うこと ④200キロ以内の虎であることといった具体的な条件を挙げている[6]。また、若き日に、自身が熊と闘う際においても若い熊と闘って勝利をおさめるのはまず無理であると判断し、老齢でよぼよぼの熊に腹いっぱい食べさせて戦闘意欲をにぶらせた状態で対戦するように手配をしていたという。
     実際、大山は老齢の熊を手配していたものの、大きな若い熊と対戦することになり、対戦開始2,3分で「これは勝ち目がない」と思ったという。その直後に対戦に中止命令が出てこの対戦は取りやめになった。

     これらのエピソードから明らかなように、大山倍達の考える<強さ>をめぐる追求は、格闘技における<試合>の枠組みから大きく越え出ている。勝利とか、強さといった概念は、ふつう何かしらの枠組みの内側にある。異種格闘技戦であるにしても、それは一対一の人間による試合という範囲内であることがほとんどである。
     しかしながら、大山の世界観は「人間の相手がいない」という稀有な理由によって、この大前提が崩れている。そのために、牛や熊と戦っているのであり、その時点でもはや人間社会内での勝負といった評価基準ではなくなっている。大山の思考は、生命全体の生態系のなかにおける人間個体のあり方を考えるというところに近づいていっている。
     ちなみに、生物学者や、生態学者に「最強の動物は何か?」という質問をすれば、ほとんどの場合、まじめな答えとしては「生物というのは、環境によって有利・不利が決まるのであって、何が最強ということはありません」ということになる。大山の「アリクイ最強説」は、人間対人間の対戦という世界から遠く離れて、こうした生態系全体を考えるという視点へと旅立ってしまっている。ふつうの現代人が、自らの実体験からこうした発想へと至ることはまずないと思うのだが、大山の場合は例外的にこのようなことになってしまっている。熊や虎との対戦においても、フェアネスの概念を適用すべきでないと言っているのも、やはり人間対人間という枠組みの外側で、勝負における生死の問題を考えているということが大きいだろう。ライオンや虎に素手で勝てるかどうか、などといったことを真剣に思い悩めば、そういった発想に至るのは、ある意味ではあたりまえなのだろうが、大山の世界では人間社会において想定される「勝利」とか「強さ」という概念は、相対化されてしまっているからこそ「アリクイ最強説」のような、どう捉えればよいかわからない世界観が出てきうるのだろう。


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