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  • ジョーカーなき世界、その後――『インターステラー』 (PLANETSアーカイブス)

    2018-08-17 07:00
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、クリストファー・ノーラン監督の映画『インターステラ―』論です。なぜノーランは「ジョーカー」を描けなくなったのか? 『インセプション』『ダークナイト・ライジング』から『インターステラ―』に至る軌跡を、振り返りながら分析していきます。初出:『ダ・ヴィンチ』2015年2月号(KADOKAWA)
    ※この記事は2015年5月12日に配信した記事の再配信です。

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    Amazon.co.jp:『インターステラー

     一年と少し前、この連載を集めた最初の評論集を出版した(ちなみにこの号が出る頃には二冊目が本屋に並んでいる予定だ)。僕はその自分にとってはじめての評論集に『原子爆弾とジョーカーなき世界』という名前を与えた。もともとこれは、同書に収録した『ダークナイト・ライジング』について取り上げた回につけたタイトルだった。クリストファー・ノーラン監督の手がけたバットマンのリメイク「ダークナイト」トリロジーの最終作にあたる同作は、決して完成度の高い作品ではなかった。しかし、同作におけるノーランのつまずきは、現代を生きる僕たちの想像力の限界を示しているように僕には思えた。映画は傑作とは言い難いが、それとは別の次元でノーランが「ダークナイト」トリロジーを完結させることがなぜできなかったのか、その前作(掛け値無しの傑作である『ダークナイト』)から後退してしまったのはなぜか、どこで壁に突き当たり、そしてどの部分で後退したかを明らかにすることは、とても大事なことのように僕には思えたのだ。だから、僕はあの文章を評論集の本のタイトルに指定した。

     だから僕はノーラン監督の最新作『インターステラー』を、それなりに心待ちにしていた。少なくとも公開日の夜にとしまえんのIMAXシアターで予約して、空いている深夜上映にタクシーで出かける程度には、この作品を大切に待っていたのだ。そして、同作の完成度は僕の期待以上だった。3時間近くの長さを微塵も感じさせない映像の美しさと役者陣の好演には賞賛を惜しむ必要はないだろう。そこで描かれた『北の国から』に勝るとも劣らない父娘の愛情劇に涙する観客も多いだろうし、往年のSF映画ファンの間にはスタンリー・キューブリックの不朽の名作『2001年宇宙の旅』へのオマージュと更新(への意欲)に感心した人もいるはずだ。しかし、僕はこういった要素にはあまり関心を持つことはできなかった。一般論として、ファンタジーを通じてのみ掴み出すことができる人間や世界の本質があると僕は考えている。しかし同作の家族愛や文明論といった主題は少なくともそのレベルでは、宇宙の果てでの五次元的存在との接触といった仕掛けを経なければ描けないものではなかったことは明白であるし、『2001年宇宙の旅』をはじめとする過去の名作群との関連性は世界中の映画史やSF史の専門家が溢れるほどに論じていて、そちらを参照すればよい。

     したがって、僕の関心はひとつ。クリストファー・ノーランという作家が「ダークナイト」トリロジーから持ち帰ったものがこの映画の中でどう生きているのか、だった。そして、結論から述べればそれはほぼ完全に失われてしまったと言えるだろう。
     物語の舞台は、近未来の地球。異常気象による食料生産の激減で人類は滅亡の危機に瀕している。主人公の宇宙飛行士クーパーは、娘マーフィーのもとに正体不明の存在から届けられた暗号に導かれ、人類の移住先の惑星を探索するプロジェクトに参加する。クーパーは「ウラシマ効果」によって、自分にとっての数年が娘にとっての何十年にも相当してしまう現実に苦しみながらも、ブラックホールの中心部で、人類を導く五次元的存在と接触し、重力制御の論理を時空を超えて過去の娘に伝達する。つまり、物語冒頭で父娘にサインを送ったのはこのときのクーパー自身であることが、ここで明かされる。そして、クーパーはブラックホールから生還し、自分のもたらした知識によって数十年の間に人類が危機から脱したことを知る。そして老齢になったマーフィーと再会したクーパーは、再び宇宙のフロンティアを目指して旅立っていく。

     賛否両論の渦巻く本作への批判として代表的なものとしては、その脚本の淡白さがある。たしかに、多くの論者が指摘するように同作は勘のいい観客なら、あるいはSFの愛好家ならば開始15分でほぼ完璧にクライマックスの展開を予測できるだろう。だが、個人的にはこの批判には与しない。というか関心がもてない。なぜならば、過去にあれだけ緻密で意外性に満ちた物語展開で観客を翻弄してきたノーランが、このような淡白さを是とした理由はひとつしかないからだ。ノーランは美しき予定調和のためにこの淡白な脚本を積極的に選択したのだ。そして僕が気になるのは、このノーランの選択した脚本的な淡白さが、そのまま同作の人間観、世界観の淡白さに直結していること、なのだ。

    「This is what happens, when an unstoppable force meets an immovable object.(絶対に止めることのできない力が絶対に動かないものに出会ったとき、こういうことが起きるわけだ。)」

     これは『ダークナイト』の結末近く、バットマンに捕縛されたジョーカーが口にする台詞だ。「絶対に止めることのできない力」とはジョーカー自身のことであり、そして「絶対に動かないもの」とはバットマンのことだ。同作はこのジョーカーとバットマンにトゥーフェイスを加えた三怪人の対比で成り立っている。
     すべてのイデオロギーが(たとえば古き良きアメリカの正義が)、相対的な「小さな正義」でしかないことが前提化した現代によみがえったバットマンは、当然その正義の根拠を問い続ける物語を生きることになる。トリロジーの二作目『ダークナイト』に登場したバットマンは、前作『バットマン ビギンズ』で描かれたように幼き日に両親を悪漢に惨殺されたトラウマを解消すべく戦うヒーローとして登場する。しかしその一方で、その「正義」の執行が半ば自己目的化している。バットマン=ブルースの目的は正義の実現ではなく正義の執行になりつつあるのだ。バットマンの最大の支援者であり、幼なじみのレイチェルはそんなブルースに疑問を抱き、彼ではなくその盟友である正義の検事ハービー・デントを生涯の伴侶に選ぶ。デントはバットマンとは異なり、古き良きアメリカの正義を信じ(それが無根拠なものであっても、あえて)掲げることにためらいがない。「父」を仮構し、演じることにためらいがなく、バットマンのようにその執行が自己目的化もしてはいない。
     一方でジョーカーは力の行使が自己目的化しているバットマンのそのさらに先を行く存在だ。本作におけるジョーカーは登場するたびに自分が怪人と化すに至った過去のトラウマを饒舌に語るが、その過去はその都度異なっている。そう、つまりそれらは「嘘」なのだ。そしてジョーカーには金銭や権力やトラウマの解消といった「目的」や「動機」が存在しない。本作におけるジョーカーは「世界が燃えるのを見て楽しむ存在」と規定される。バットマンが正義の執行自体を半ば自己目的化しつつあるように、ジョーカーにとって悪それ自体が「目的」なのだ、それもより徹底されたかたちで。すべてのイデオロギーが相対化された「小さな正義」でしかない世界、「正義」の成立しない世界では同時に「悪」も存在できない。『ダークナイト』は、ジョーカーはそんな世界における究極の正義/悪の存在を掴み出そうとした作品なのだ。
     そしてデントは回帰的であるがゆえに、やがてジョーカーに利用され、怪人トゥーフェイスに堕落する。デントは「父」であることに拘泥するあまり、その可能性が失われたことへの絶望につけ込まれ、連続殺人鬼に変貌するのだ。ここに同作の三怪人は一直線に並ぶことになる。もっとも家族回帰的であり、物語回帰的であるデント=トゥーフェイスがもっとも「弱く」、そして正義/悪の自己目的化がもっとも進行したジョーカーがもっとも「強い」。そして私たち観客=バットマンはその中間に、トゥーフェイスが立つ古い世界と、ジョーカーの体現する新しい世界の中間に立っているのだ。

     続く『インセプション』ではどうだったか。他人の夢の世界に侵入する特殊な企業スパイを生業とする主人公のコブは、夢の世界への侵入とコントロールを濫用した結果、最愛の妻を結果的に自殺させてしまったという過去をもつ。そして彼は現在もその罪悪感から亡き妻の亡霊に悩まされている。妻殺しの容疑者として誤解され、子どもとも引き離されたコブは、家族を取り戻すために危険な仕事に身を投じることになる。そう、ここで問われているのはいわばトゥーフェイスのレベルの問題だ。トラウマが成立せず、すべてのコミュニケーションが自己目的化した現代の臨界点=絶対に止まらないもののレベルに存在するジョーカーの問題でも、そんな新しい世界に直面し、迷い続けるバットマンのレベルでもない。こうした新しい世界の出現によって失われてしまったものを追い求めるゾンビのような主体、前作で言えば「父であること」に拘泥するトゥーフェイスと同じレベルでコブは生きている。
     そして、物語の結末、コブはミッション中に妻の亡霊を振り切り、「父であること」を回復するために夢の世界から現実への帰還を試みるがその成否はオープンエンド的に宙づりにされる。

     そう、ここでノーランは夢の世界の連鎖を切断し、トラウマを回復し、現実に帰還するという結末を明確には描かなかった。いや、描けなかった。なぜか。ノーランは『インターステラー』に際するインタビューでこう語っている。

    スマホ世代に僕の『インセプション』(10年)が人気なのは、あれが心の内側へ内側へと向かっていく話だからだと思う。『インセプション』は内側に向かってばかりじゃダメだ、という話なんだけどね。だから『インターステラー』では外に、宇宙に向かうんだ。(『映画秘宝』2015年1月号)

     ここから分かるのはノーランが情報社会を「人々を内向的にするもの」と考え、そして『インセプション』における夢の世界に侵入し、それをコントロールすることを同じように自分の内面の問題に拘泥し、外部性を失った閉鎖的な行為として捉えているということだ。

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  • 3.11が発見した新しい消費者像――コンビニエンスストアの商品戦略と展開から(坂口孝則)(PLANETSアーカイブス)

    2018-08-16 07:00
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、調達・購買コンサルタントの坂口孝則さんによる論考です。テーマは「コンビニの文化地図」。すっかり私たちの生活に浸透し、プライベートブランド商品の開発や地域インフラ化などでも注目されるコンビニ業界。消費者ターゲティングのトレンド、商品開発、そして各社ごとの今後の取り組みまで、「文化としてのコンビニ」について考えます。
    ※この記事は2015年5月28日に配信した記事の再配信です。
    ■ 社会のインフラとなったコンビニ
     
    ビジネスパーソンがスーツ姿でスーパーに行くのは躊躇しても、コンビニエンスストアならば行ける。パジャマ姿の女性がスーパーに行くのは逡巡するものの、コンビニエンスストアになら行ける。ちょっとした買い物から、日用品まで、私たちの生活はコンビニエンスストアと切り離せない。
     
    コンビニは現在1年間で約25,000人ものひとたちがストーカー被害、DV、不審者などから逃げ込むインフラとしての役割もある。さまざまな意味で私たちに身近なコンビニでは、どのような取り組みが行われ、コンビニはどこに向かおうとしているのか。
     
    そこで本稿では、まずはコンビニ各社が行う消費者ターゲティングの現在を分析した上で、各社の今後をめぐる展開の、その背後に見える大きなトレンドを探していく。
    高齢化と少子化、世帯の共働き化によって、消費者は近くの店舗で、仕事帰りに手間のいらない多様な食品を買い求める。コンビニは「冷蔵庫のアウトソーシングから」「キッチンのアウトソーシング」までを請け負うために、各社は日本最高の物流システムと、POSデータ等による商品企画を進めてきた。
    セブン-イレブンやローソンの戦略を見るのは、日本流通先端の状況を見ることでもある。
     
     
    ■ コンビニを取り巻く状況
     
    個別の戦略を見る前に、まずはコンビニ業界を取り巻く状況を確認したい。
     
    昨年末(2014年12月末)のコンビニ店舗数を見てみよう。日本全体に5万5139店ものコンビニエンスストアがある。業界1位はセブン-イレブンの1万7206店。そこからだいぶ差があり、2位はローソンの1万2119店、3位はファミリーマートの1万1170店だ。その後、サークルK、サンクス……と続く。ただし、それ以下は桁数も異なるため、コンビニ3強と称される場合が多い。
    コンビニは現在、市場規模約10兆円だ。これから、スーパーとの競争激化のすえ、スーパー(GMS含む)の市場規模20兆円弱の1割をさらに奪えば、まだ2兆円ほどの成長余地が残されている。消費税増税後は伸びが鈍化しているとはいえ、コンビニ3強の鼻息は荒い。
     
    コンビニの発祥については、大阪マミーとする説(昭和44年)、ココストアとする説(昭和46年)、セブンイレブンとする説(昭和49年)がある。
    マミーはスーパーマーケットとする向きもあるため、有力なのはココストアとする説だ。当時、スーパーマーケットの台頭で酒屋がどこも経営的な不調に呻吟していた。ココストアはいわば、彼らの救済を目的として組織され、酒屋の活性化を志向した。そして日本におけるコンビニエンスストアは他の小売フォーマットを凌駕して成長してきた。
     
    しかし、コンビニは、もちろん安穏とした状況にはない。
    これまで勝利してきたスーパーマーケットからの攻勢もある。とくにイオン「まいばすけっと」はコンビニエンスストアなみの敷地面積で、プライベートブランド「トップバリュ」を武器に低価格帯で闘いを挑んでいる。「まいばすけっと」を含む戦略的小型店事業の経営状況は良く、イオン本体との圧倒的なボリュームで、低価格・低コストを実現させてきた。イトーヨーカドーもこの小規模、低価格帯で進出を加速している。
     
    その中で、コンビニ業界各社が近年重視しているターゲティング戦略から、話を始めたい。それは、3.11をキッカケにしたものだった。
     
     
    ■ 3.11が引き寄せた新しい消費者――1.「女性」
     
    2011年の大震災時、これまでコンビニと縁遠かった層が来店し、それがリピートにつながった。同時にコンビニ各社も女性やシニアに焦点をあわせて集客戦略を練ってきた。全国の約5000万世帯のうち、共働き世帯が1000万世帯に至り、構成員が減少するなか、時短かつ少量をもとめる消費者にコンビニが照準を合わすのは当然だった。
     
    大手各社とも、戦略に違いはあるものの、前述の理由から、ターゲット消費者として大きく「女性」「シニア」を外すチェーンは見当たらない。そしてそのターゲティングゆえ、商品トレンドとしては、必然的に「健康」志向となっている。また、その「健康」志向の徹底ぶりとしては、ローソンが先行し、セブン-イレブン、そしてファミリーマート、他チェーン店とつづく。
     
    現在、女性客を増やすために講じられている施策は、「主菜」「スープ」「スイーツ」のいった三本柱が多い。
     
    まずは、「主菜」である。
     
    コンビニエンスストアの商品ラインアップとして少量かつ主菜の商品が目立ってきた。この変化こそ、コンビニ各社が女性向けを意識している特徴だ。というのも男性の消費者と違って、女性は複数食品を食卓に並べたいニーズが高い。具体的には、男性は一品でもじゅうぶんとするひとがいるいっぽうで、女性は三品以上を並べたいと志向する。おかずではなく、食卓の主役としての三品が求められる。
    セブン-イレブンは煮物の魚だけではなく、焼き魚も用意しだしているし、冷凍中華だけではなく麻婆豆腐のような商品に力を入れている。さらに、タンシチュー、牛肉煮などもある。面白いのは、食卓の主役になるものの、かといって、まな板が汚れるほど本格的調理は不要な点だ。焼き魚は皿に乗せて温めればいいし、麻婆豆腐もボウルに入れればいい(そして温めるだけでは再現できないもの。たとえばトンカツなどは商品化されていない)。
    また、ローソンも店内調理商品を意識的に拡大しており、惣菜にくわえ、レジ横で調理する揚げ物等の販売が伸びている。これも女性たちの調理代替需要を狙う。
     
    また、サークルKサンクスでは女性客のニーズをつかむために、「ごちそうデリカ」を拡充している。これは季節ごとの食材を使った惣菜で、店舗にあるフライヤーを使ってカウンター前で販売する。家庭の食卓にそのまま並ぶ食材を目指し、スーパーからの需要を取り込む。これは小口需要も同時に狙っていて、1パック100~200円ていどで、重量は約100gとしている。これからも同社は、女性を中心とした客層拡大を目論む。
     
     
    次に、「スープ」である。
    また、このところ、とくに冬場においてコンビニ各社は、コーヒーとスープで女性客を惹きつけようとしている。当初はコンビニ各社とも試験的に導入したスープだったものの、ローソンの「海老のビスク」「北海道コーンのポタージュ」、サークルKサンクスの「三元豚の豚汁」「10品目のミネストローネスープ」「あさりと野菜のクラムチャウダー」などが、いずれも好調だった。スープ市場が好調な理由は、女性の昼食が変化していることにある。お弁当や定食屋でのランチから、具材を工夫しスープを昼食として消費されるケースが多くなった。
     
    そして、最後は「スイーツ」だ。
    おなじく、これまで男性客比率が大半だったチェーンは、スイーツを活用し女性客を獲得しようとする。この傾向は、ほぼすべてのチェーン店で見受けられる。
    たとえばミニストップはポップなロゴマークのいっぽうで、ほとんどの来客(約7割)は男性となっていた。そこで女性客の取り組みが急務だったため、スイーツに注目した。同社は2012年からアイスクリームを見直し、ソフトクリームの材料を改善したり、夕張メロンソフトを発表したり、プリンパフェなどを発売した。実際に女性客からの評判が上々だったため、これからも高付加価値型スイーツを志向していくだろう。
    また、セブン-イレブンは人気アイスクリームチェーンのコールド・ストーンとアイスクリームを共同開発し限定発売した。同社はコールド・ストーンとの連携でこれまでも商品を発売してきた。これはとくに10代~20代の若年女性層をねらったものだった。
     
     
    ■ 3.11が引き寄せた新しい消費者――2.「シニア」
     
    くわえて各社が力を入れるのは、シニアマーケットだ。おなじく各社の施策のうち代表的なものを抜粋してみよう。
     
    セブン-イレブンはネオ「御用聞き」サービスを開始した。これは買い物弱者ともいわれる高齢者層にたいして食事などの宅配を行うものだ。セブンミールから注文すれば近隣店舗が届けてくれる。セブン-イレブンでは、リアル店舗とネットなどをシームレスにつなぐ「オムニチャネル」化を進めている。ネットで注文したものをリアル店舗で受け取ったり、リアル店舗に欠品していた商品もその場で注文し自宅で受け取ったりできる仕組みを作っている。米ウォルマートが先行するオムニチャネルだが、今後、セブン-イレブンも同種の施策を進めていくだろう。
    また、ローソンは有料老人ホームに併設した店舗で高齢者向けサービスを開始した。佐賀市にあるローソンミズ木原店では、調剤薬局を抱え、商品ラインナップとしては介護関連商品や杖(!)、そしてカツラ(!!)までを揃える。
    ファミリーマートも高齢者向け宅配事業で先行するシニアライフクリエイトを買収し、ファミリーマートの弁当などをあわせて届ける仕組みを構築している。ローソンも佐川急便とタッグを組み、買い物弱者対策を進めている。
    その他の動きとして、サークルKサンクスは、女性とシニア(とくに高級志向をもつシニア層)向けに弁当販売を拡大するために、2013年よりデパ地下の惣菜売り場を手本とした施策を展開している。文字通り、手に取った瞬間にデパ地下のような高級感を醸成する目的で、デパ地下に強い業者とも連携した。
    またシニア層をターゲットにしたコンビニ各社は、おせち料理も変容させている。コンビニ各社は年末に「お一人さま用おせち」を発売して話題になった。セブン-イレブンがはじめた当コンセプト商品は、ファミリーマートとサークルKサンクスにもひろがった。これは単身者需要だけではなく、シニア層をターゲットにしたものだった。セブン-イレブンは、セブンミールなどを通じて高齢者からの注文を集め、またサークルKサンクスは「華GOZEN」という1980円の低価格おせちで訴求した。
     
     
    ■ 明確化した商品トレンド「健康志向」
     
    チェーン店を限定しないプライベートブランド商品でこのところ顕著なのが、パッケージに特徴を大きく表示方法だ。
    とくに女性層は食品にたいして比較優位性を求めるといわれるため、同層にアピールできるように「生きて腸まで届く乳酸菌入り」といったようにフォントを大きく表示する。これもおなじく健康志向の消費者にたいして、その健康メリットを強調するための工夫だ。
    実は、これまで述べたとおり、コンビニ各社が女性とシニアをターゲットに据えたとき、商品全体の健康志向トレンドが必然となったのである。各社とも、カロリーオフ商品、有機栽培、オーガニック、といったキーワードを全面に出すようになった。
     
    そのなかでも、この動きを意識的に加速しているのはローソンだ。「マチのほっとステーション」から「マチの健康ステーション」へと、ローソンはセルフメディケーションを事業の柱に打ち出した。医薬品の販売を開始する店舗を増やしたり、テレビ電話による健康相談も行ったりしている。さらには一部自治体と提携し、健康診断の受付窓口も担っている。ローソンは、事業そのものを健康主体に切り替えるという、きわめて成熟社会的企業と評することができる。
     
    その特徴は商品にも表出している。ローソンは2014年末に特定保健食品の許可を受けたパンやざるそばを発売した。糖質を抑えたパンや、血糖値を抑えるそばで、それら「ブランシリーズ」は同社のヒット商品となっている。これらは調理方法の工夫にくわえて、製粉会社と組んだ材料開発のたまものでもある。糖質制限の必要な消費者からの人気は高く、圧倒的なリピート率を誇る(公正に付け加えれば、これはローソンだけではなく、たとえば人気の商品として、糖質を抑えたファミリーマートの「国産小麦のブランロール」などがある)。
     
    これからも健康志向商品はたえまなく開発されていくだろうし、ファミリーマートが薬局とコンビニを併設するように、業態や店舗設計としても健康をキーワードとしたものが増加していく。
     
     
    ■ トレンドメーカーとしての覇者セブン-イレブン
     
    上の分析を見ても分かるように、既にコンビニ業界は独自の商品開発をはじめている。その先頭を一見して常に切っているように見えるのが、セブンイレブンだ。
     
    実際、コンビニエンスストア業界ではセブン-イレブンが先行した商品を、他社が後追いする傾向が続いてきた。たとえば、サラダをカップ状にしたのも、赤飯をおにぎりにしたのも、ツナマヨネーズを売りだしたのも、セブン-イレブンだった。これは本社の企画力としてセブン-イレブンが優位性を誇っていることを示す。
     
    ただし、生鮮食品を取り扱ったのは、ローソンが先行したし、惣菜もファミリーマートやローソンが先立った。その意味ではセブン-イレブンの優位性とは、先行していても後追いであっても、商品の改善力で圧倒的な品質の商品を具現化するところにある。むしろ我々はセブン-イレブンの改善力の高さにこそ注目したい。
     
    まず、セブン-イレブンの商品開発は同社主導でおこなわれる。
    たとえばセブン-イレブンではセブンカフェで100円コーヒーを販売しており、これがそれまでコーヒーチェーンに向かっていた需要を取り込みはじめた。この圧倒的な成功は、本社主導によって、複数メーカーを共同開発させたことにあった。カフェの豆は味の素ゼネラルフーヅが担当しており、コーヒー機は富士電機が担当していた。ほんらいは別々で開発が進むところを、本社主導で富士電機とともに味の素ゼネラルフーヅが最高の味が実現できるように徹底的に作りなおされた。さらに本社は富士電機にたいして2万台のコーヒー機をまとめ交渉し、導入コストを最適化したうえで全国のセブン-イレブンに納入した。
     
    このようにセブン-イレブンの手法は、まず商品コンセプトを提示し、手をあげたメーカー各社を競合させる仕組みだ。セブン-イレブンはメーカーの技術力をリサーチのうえで最大限の提案を引き出す。また、厳しい目標コストを提示する。高いレベルの商品仕様が決定しており、競争も激しいため、必然的にコストはギリギリまで抑えられる。
    コストの多寡によって売価を決定する方法を原価主義といい、逆に理想売価からコストを逆算する方法を非原価主義と呼ぶ。つまり「コストがいくらかかるか」を考えるのではなく「コストをいくらに抑えねばならない」と考える方法だ。
    セブン-イレブンは非原価主義によって、取引メーカーから最大限の強みを引き出しているといえるし、その徹底した状況からセブンプレミアムなどの高価値商品が生まれているともいえる。

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  • ネトウヨ時代の「二重の卑しさ」にどう抗うか――「ナショナリズムの現在」に寄せて(PLANETSアーカイブス)

    2018-08-15 07:00
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    今朝のPLANETSアーカイブスは、2014年に刊行された対談集『ナショナリズムの現在――〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来 』の電子版に掲載された、宇野常寛による「あとがき」をお届けします。ネットにとめどなく溢れるヘイトスピーチに対し、「卑しさ」の再生産に陥ることなく立ち向かうための「語り口」を見出し、それを維持できる「場」を構築するという決意を語ります。
    ※この記事は2014年12月12日に配信した記事の再配信です。
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    ▲左=紙書籍版『ナショナリズムの現在』(朝日新聞出版)/右=電子版『ナショナリズムの現在』(PLANETS)

    ※紙書籍版には、電子版『ナショナリズムの現在』の内容に加えて、宇野常寛と萱野稔人さん、與那覇潤さんとの対談がそれぞれ収録されています。

    あとがき

     
     本書は今年2月に行われたシンポジウム「ナショナリズムの現在─〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来」の再録に大幅な加筆修正を加えたものを中心に、その前後に行われたふたつの対談によって構成されている。
     最後の収録から数カ月が経ったが、この間僕がずっと考えていたのはいったいいつの間にこの国は、こんなに卑しくなったのだろうか、ということだ。
     議論のなかで、僕たちはヘイトスピーチ的なものへの対決と、そのために必要な現実的なリベラルの構築を、そしてカルト化する保守勢力の歯止めの必要性を確認し合ったはずだ。その結論に、修正を加える必要はとくに感じていない。ただ、ほんとうにそれだけでいいのか、問題はもっと見えづらく、そして厄介なところにあるのではないか、という思いが今の僕の頭の中には渦巻き続けている。
     自衛官だった僕の父親は生前、中国の覇権主義的な外交に違和感を示すことが少なくなかった。しかし、その一方で大陸の文化には深い敬意を抱いており、僕は小さい頃からその精神と歴史を学ぶようにと言われて育った記憶がある(怠惰な僕はせいぜいビデオゲームの「三国志」シリーズにハマった程度だったが……)。僕の父親は専門家でもなんでもなく、これはごくごくありふれた、単に間違っていないだけの凡庸な見識にすぎないと思う。しかしこのような最低限の「凡庸な妥当さ」さえも成立しなくなっているのが現代の日本なのだ。

     そしていま本屋に足を運べば、隣国を蔑み、敵視することで読者を満たそうとするサプリメントのような見出しが並び、ネットを覗けばとめどなくヘイトスピーチが流れてくる。
     もちろん、こうした排外主義や民族差別に対しては決然と対応するしかないのだが、たぶんモグラ叩きのようにこれらに対抗するだけでは、対症療法だけではダメなのだという思いも日に日に強くなっている。
     いま、この国の社会には隣国の人々を蔑まないと自信がもてない、卑しい人々が増えている。その背景にはたとえば、経済的なものもあるのだと思う。貧すれば鈍する、というのも間違いないし、その一方で結局日本の実情に即した市民社会を構築できなかった政治文化的な問題もあるだろう。
     そしてその結果、いま僕がいちばん怖いなと思うのが、この卑しさが「ネトウヨ」たちの外側にも広がりつつあることだ。
     たとえば僕は、2012年に自民党の石破茂氏と対談本を出版した。同書に収録された対話のなかで、氏と僕とのあいだには当然、意見が合うものもあれば合わないものもあった。しかしある日、僕はTwitter上で「自民党の国会議員と本を出したあいつは敵だ」と罵倒する投稿が何百回もリツイートされているのを見て愕然とした。自民党の幹部とは、話し合いのテーブルにさえついてはいけないのだろうか。それでは、少しでも親中、親韓的な発言をした人間を「サヨ」と決めつけ、言動の内実も吟味せずに罵倒する「ネトウヨ」たちと変わらないのではないか。
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