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  • 【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」後編(PLANETSアーカイブス)

    2017-12-18 07:0016時間前1
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    今回のPLANETSアーカイブスは、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)や『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)の著者である哲学者・國分功一郎さんと本誌編集長・宇野常寛の対談です。後編で議論されるのは、言語の射程距離の変化と、カリフォルニアン・イデオロギー以後の国家に残された役割。そして、人間にとっての「言葉」の機能の本質とは?(構成:中野慧)

     ※本記事は、2016年 4月26日に放送されたニコ生の内容に加筆修正を加え、2016年6月10日に配信した記事の再配信です。

    ▼放送時の動画はこちらから!

    放送日:2016年4月26日

    「言葉」で語られる公共性はどこまで有効なのか

    國分 ここまで政治の現状の話をしてきましたが、もうちょっと抽象的な未来の話もしてみたいと思います。宇野さんは言葉に関わっていてITにも関心があるわけですよね。で、ここまで話してきたことにも関連するんだけど、最近俺は、「もしかしたら、人間は言葉を喋らなくなるんじゃないか?」ということを考えているんです。いまは「密度の濃い」言葉が機能しなくなっている一方で、LINEとかではスタンプでコミュニケーションが取れているわけでしょう?
     イタリアの哲学者のジョルジョ・アガンベンが、去年出した『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』(みすず書房、2016年)という本のなかでけっこうショッキングなことを言っていた。近代以降、言語が人間の思考を規定するということがずっと前提になってきたが、それがいま消え去りつつあるって言うんです。俺は割とそれに驚いた。
     去年の夏にアガンベンの集中講義に出席して、彼と直接話をする機会があったんだけど、酒の席で彼は「人間は世界中でBad Languageを喋っている」って何度も言っていた。その後、彼の本を読んでそのことを思い出したんだよね。人はもう言葉と呼べるものを話さなくなりつつあるってことなんじゃないか。
     でも、よく考えてみれば、俺らが日常的に話している言葉って、密度が濃いものでも、深みがあるものでも何でもない、記号でしょ。「ああ、宇野さん、どうもどうも」とか、「だよね」「じゃあ、またね」とか。それは別に堕落したコミュニケーションじゃなくて、コミュニケーションというのはそういうものなんじゃないか。
     哲学の分野では、密度が濃い、深みのある言葉について、「言語のマテリアリティ(唯物論性)」なんて言い方をしてきた。言葉自体がゴツゴツした物質として存在しているというイメージですね。でも、そういうイメージって所詮はここ100〜200年の夢物語に過ぎなかったんじゃないか。もしそこで学者たちが夢見ていたものを「言葉」と呼ぶならば、まさしくアガンベンが言うように「言葉」は消え去りつつあるんじゃないか。
     だとすると、今日の話の前提には「言葉を届ける」ということがあったと思うんだけど、いったいどうしたらいいのかと途方に暮れてしまうわけです。さっき宇野さんは「言葉よりもモノとかスペックのほうが射程が長い」と言ったわけだけど、本当にそういうことが起こりつつあるかもしれない。宇野さんはAIにも詳しいと思うけど、AIも無関係ではない。漠然とした話なんだけど、どう思います?

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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第二回 チームラボと「秩序なきピース」(前編)(6)【金曜日配信】

    2017-12-15 07:00
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。鑑賞者の体験そのものをデザインし、作品への没入体験を与える方向へと舵を切った猪子寿之さん率いるチームラボ。彼らがいかにして人と人、人と物、物と物の境界線を乗り越えていったか、宇野常寛が考察します。(初出:『小説トリッパー』 秋号 2017年 9/30 号

     たとえば「戦後最大の思想家」丸山眞男は、「無責任の体系」という言葉で日本社会における主体の問題を論じている。

     先の大戦において、日本における全体主義はその指導者の不在に特徴があった。形式上の指導者である昭和天皇に実権は存在せず、最高意思決定は当時の軍閥の中核にいたグループの「空気」であった。その「空気」というボトムアップで形成される合意のシステムにおいては、誰も自分が決定者であるという自覚は存在しない。周囲の人間の顔色をうかがい、忖度し、明確な線引きがなされないままなし崩し的に意思決定が行われることになる。丸山はこの「空気」の支配を「無責任の体系」という造語で表現した。

     このとき重要な役割を果たすのが、実質的には意思決定に関与できない天皇の存在だ。「無責任の体系」によって、決定者が誰か曖昧なまま合意形成される日本社会において形式的な決定者として、責任者として機能するのがこの天皇という存在なのだ。実際には特定の人間関係の「空気」によって、決定者も責任者も不明なままの合意形成によって発生した意思は、擬似的に天皇の「お言葉」として発令される。そう、当時の日本にとって天皇とは、特定のコミュニティの「空気」を擬人化したキャラクターだったのだ。そしてこの天皇というキャラクターによって整備された「無責任の体系」に引きずられるかたちで、当時の日本はその責任の所在を曖昧化したまま、戦争への道を歩んでいったのだ。

     こうして考えたとき、なぜ戦後の日本人がその児童文化で、乗り物としてのアニメのロボットという奇形を産まざるを得なかったのかも明白になるだろう。

     この国の人々にとって社会参加とは、自らの意思を表明してその責任を引き受けることではない。そうではなく、周囲の人間の顔色をうかがい、「空気を読み」、その責任の所在を曖昧化したままボトムアップの合意形成を行うことであり、そして、そのとき自分たちの「空気」は天皇という想像上の巨大な存在の意思であるという設定が与えられる。そうすることで、日本人は主体であることの責任を回避したまま、社会を形成してきた。

     しかし、戦後のロボットアニメとは、そんな日本人を――マッカーサーに「十二歳の少年」と揶揄された日本人を――ファンタジーの中で大人にさせる役割を負っていた。そして当時の作家たちはアニメーションの中で、少年が仮初の身体=キャラクターと同一化するという回路を編み出した。自分が直接力を行使してその責任を引き受けるのではなく、社会が、父が与えた仮初の身体を戸惑いながら行使する。前述のロボットアニメたちが反復して、少年主人公たちがその強大すぎる力に戸惑うというエピソードを描いているのは、それがこの国の人々がファンタジーの中で、鋼鉄の、仮初の身体を手に入れてはじめて主体であることを可能にしたものであるからに他ならない。


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  • 池田明季哉 "kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第一章 トランスフォーマー(3)「2009年-2016年:西から東へ、軍人から騎士へ」【不定期配信】

    2017-12-14 07:00
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    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。1984年にトランスフォーマーの描いた成熟のイメージを評価した前々回、2007年の映画『トランスフォーマー』を『グラン・トリノ』と比較した前回に引き続き、今回のテーマもトランスフォーマーです。映画版トランスフォーマーが描こうとして挫折し続けてきた成熟のイメージを、「騎士」というモチーフを中心に論じます。

     1984年に「魂を持った乗り物」として成立した初期トランスフォーマーと、モノとのコミュニケーションによって導かれる成熟について論じた前々回、2007年の映画『トランスフォーマー』を『グラン・トリノ』と比較しながら、アメリカン・マスキュリティを構成する要素を「自動車」「軍人」「キリスト教」の三つに整理した前回に引き続き、今回は、現在公開されている第2作から第5作の映画について、そして映画版トランスフォーマーが失ってしまった可能性について明らかにしたい。

    『リベンジ』ーー「古きもの」によるノスタルジックな成熟

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    ▲『トランスフォーマー/リベンジ(原題:Transformers : Revenge of the Fallen)』(2009年)

     第2作『リベンジ』においても、主要な登場人物の配置は『トランスフォーマー』から大きく変化しない。オプティマス・プライム、バンブルビー、サムに加えて、レノックス大尉とヒロインのミカエラがほぼ同じ位置付けで登場する。『リベンジ』ではメガトロンに代わって「ザ・フォールン」と呼ばれる存在が敵の指導者としての役割を果たすが、全体的な構図そのものは第1作とそれほど変わるところがない。前作で高校生だったサムの大学進学が描かれているものの、それが決定的に彼を成熟させることもない。

     ただ『リベンジ』からは「老化」や「風化」といったモチーフが現れていることは特筆すべきだろう。たとえばトランスフォーマーシリーズ全体においてリーダーの証として象徴的な意味を持つ「マトリクス(Matrix of Leadership)」は、長年封印されていたために風化しており触れた瞬間に砂になってしまうし、ジェットファイアーという名の老トランスフォーマーは、髭を蓄え腰を曲げて杖をついた老人然としたデザインを与えられている。  

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    タカラトミー「MB-16 ジェットファイアー」。写真は映画10周年を記念して2018年に発売が予定されている仕様変更版。

     そして人間とオートボットの勝利は、こうした「古きもの」の力によってもたらされる。一度は命を落としたオプティマス・プライムは、サムの功績によって再びその形を取り戻したマトリクスを使って復活し、強化パーツとなったジェットファイアーと融合することでザ・フォールンを打倒するのである。

     ここでマトリクスやジェットファイアーといった「古きもの」の象徴に込められた理想とは、自己犠牲の精神であることが繰り返し語られる。砂となったマトリクスは、一旦は自ら戦いの犠牲となったサムの臨死体験を通じて復活するし、ジェットファイアーは自ら分解してオプティマス・プライムと融合する。こうした自己犠牲の精神、そしてサムやオプティマス・プライムの再生を、あるいはキリストの死と復活と同期して捉えることも、それほど無理のある見方ではないだろう。

     前回、『グラン・トリノ』と比較しながら、『トランスフォーマー』には「自動車」「軍人」「キリスト教」という三つの要素が重要な位置付けで登場していることを述べた。『リベンジ』以降においてもこれは引き継がれているものの、バランスはやや異なる。「自動車」については徐々にあまり描かれなくなり、「軍人」「キリスト教」というふたつの要素が重点的に描かれるようになっていく。

     こうした描写からは、『リベンジ』がアメリカン・マスキュリニティの有効期限が既に切れつつあることには自覚的であることが伺い知れる。しかしその再生の道筋は、過去の英知の結晶たるマトリックスと、老トランスフォーマーであるジェットファイヤー(のパーツ)によってもたらされる。トランスフォーマーという人間の科学を超越した機械生命体を中心にしたサイエンス・フィクションでありながら、この物語はフューチャリズムではなくノスタルジーに駆動されているのである。


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