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  • HANGOUT PLUSレポート 西野亮廣×宇野常寛「なぜ、この国は西野亮廣の一挙一動に怯えるのか」(2017年2月20日放送分)【毎週月曜配信】

    2017-02-27 07:0013時間前
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    毎週月曜夜にニコニコ生放送で放送中の、宇野常寛がナビゲーターをつとめる「HANGOUT PLUS」。2017年2月20日の放送では、お笑い芸人の西野亮廣さんをゲストにお迎えしました。絵本『えんとつ町のプペル』が25万部を突破し、その宣伝手法や炎上を恐れない言動に注目が集まる西野さんに、ご自身の活動に対する思いやこれから展望についてお聞きしました。(構成:村谷由香里)
    ※このテキストは2017年2月20日放送の「HANGOUT PLUS」の内容のダイジェストです。

    『えんとつ町のプペル』騒動を総括する

    2人の話題は『えんとつ町のプペル』無料公開をめぐる一連の騒動からスタートします。

    西野さんに寄せられた「無料公開はエンタメの価格破壊を引き起こす」という批判に対して、宇野さんは「コンテンツの価値が限りなくゼロに近づく現象は、インターネットが登場した瞬間から宿命付けられていた」とし、その批判の根底にあるのは、既存のシステムとルールが通用しなくなることへの人々の〈怯え〉である。その〈怯え〉をいかに解除していくかを考えなければならないとします。

    西野さんは、『プペル』の無料公開に踏み切ったきっかけとして、子供の絵本を選ぶ親は必ず最後まで立ち読みしてから購入するという話を聞き、それなら自宅でも無料で読めるべきだと考えたそうです。無料公開は当初、出版元である幻冬舎の上層部の許可を取っておらず、もし自分の意図が理解されなかったら縁を切る覚悟で敢行したといいます。

    宇野さんは一連の炎上騒動について、ブログ論壇やTwitterのオピニオンリーダーは炎上によって支持を集めたが、そのほとんどが揚げ足取りやツッコミに終始していた。しかし西野さんは、炎上マーケティング的な手法を利用しながらもクリエイティブな活動を見失わない。なぜ西野さんだけが、他人へのツッコミを売りにしないキャラでいられるのか、と問いかけます。

    それに対して西野さんは、最近になってテレビでコメンテーターをする芸人が増えたのを見て、自分はツッコまれる側に立つことを決めたといいます。ツッコミたい人で溢れている社会では、ツッコまれる側に回った方が効率がいい。強度ある作品を作っているのだから、自信を持ってサンドバッグになった方が得られるものが多い、と。


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  • 【緊急対談】濱野智史×宇野常寛「〈沼地化した世界〉で沈黙しないために」

    2017-02-24 07:00
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    元・アイドルプロデューサーにして社会学者の濱野智史さんと宇野常寛が、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス- 』を題材に、ポスト・トゥルースにおける〈沈黙〉の超克について議論します。〈沼地〉と化した世界で、我々は何を語るべきなのか?

    『沈黙』の何が沈黙を破らせたのか

    宇野 このたび濱野智史さんはマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス- 』を観たことをきっかけに、約1年半に及ぶ沈黙を破る決意をしたということで、僕も連絡をもらって非常に驚いたんだけど。なぜそういう考えに至ったのか説明からお願いできますか。

    濱野 確かに『沈黙』は、沈黙を破るきっかけの1つになった作品ですが、同時に沈黙したくなるような作品で………………………。
    『前田敦子はキリストを超えた』という、クリスチャンの方々に喧嘩を売っているような、それでいて中身や心意気だけはガチのキリスト教信者丸出しみたいな本を出しておいて……本当は「超えた」ではなく「≒(ニアリーイコール)」くらいにしたかったのですが……しかしそれでは売れないので、すみません! という謝罪も含めて、諸々懺悔しながら話し始めるしかないんですけれども。
    僕自身はキリスト教徒ではないんですが、文学(テキスト)として、あるいは思想(の原点/原典)としての旧約・新約聖書は、素人なりに読んでいるつもりでいます。そういう立場から『沈黙』を観ると、あまりにも「沼」が深い。
    いきなり大きな話をすると、このご時世、みんな〈沈黙〉したほうがいいわけですよ。Twitterもニコニコ動画も2ちゃんねるも、全てのソーシャルメディアを使うピープルは、スコセッシの『沈黙』を観ていますぐ喋るのをやめろと。言葉の斧を沼に投げ捨てろと。映画では(踏み絵を)「踏め!」という意味で「トランプ(Tramp)」という言葉が出てきますが、まさにTwitterをトランプすることによって、今すぐトランプ(TRUMP)を引きずり下ろさなければならない、という気持ちになったし、なると思うんですよ、いまこのタイミングで観れば。
    もちろん世界的な状況だけでなくて、僕自身も、トランプに比べればはるかに小さな炎上とはいえ、地獄の炎に焼き尽くされて、ボロボロになってアイドルという《宗教》から転んでしまった。自ら作ったアイドルグループが、結局当初掲げた理念を達成できず、地下アイドルという沼に引きずり込まれ、根を張ることができず、僕自身もプロデューサーから棄教し、逃亡したにも関わらず、磔にもされていない………。

    俺は何をしているのか。

    とにかく失語症からのリハビリテーションを始めなくてはいけない。

    だから、Twitterとかに感想をつぶやくのではなく、キチジローのように告解すべきだと考えたんです。

    宇野 つまり『沈黙』は、現在のソーシャルメディア社会とトランプ現象を象徴する話になっていて、そこに触発されたと。

    濱野 はい。では、まずはこの映画のあらすじ的なところから話しを始めましょう。
    『沈黙』はトゥルース(真実)or トランプ(棄教)という映画です。
    まず、イエズス会の若い2人の宣教師が日本にやって来てくる。キリシタン狩りが始まっていて、もう危ないのにも関わらずです。
    なぜならキリスト教こそが普遍的な真理であるという教えを信じているし、だからこそ、その教えを広めにはるばる西方よりやってくる。しかし、最初のうちは隠れキリシタンに匿われて、なんとかやっていくんですが、やっぱりキリシタン狩りに捕まってしまう。
    当然、自分も磔にされるのかと思いきや、むしろ待遇はけっこういい。そのかわりに、目の前で隠れキリシタンたちが水刑、火刑、吊るし刑、ありとあらゆる手段で虐殺されていく。そして、かつて一緒に来た友人の神父もやはり捕まっていて、目の前で殉教していく。
    もうやめてくれ。もう目の前でそんなに虐殺しないでくれ。自分を早く殺してくれ(でもキリスト教徒なので、当然、自殺はできない)。殉教させてくれ……と主人公のロドリゴは懊悩する。

    ……もうこの時点で、実は主人公は「手のひらの内」なんですね。日本の権力者側は分かりきっていて、「農民の信者たちをどんなに殺しても、キリスト教徒は殉教でパライソ(天国)に行けると喜んで死ぬから、根絶やしにできないのだ、と主人公に説明する。そこで我々日本人は考えた。『宣教師を棄教させる』と絶大な効果があるのだ、と。そして主人公に「転べ」(棄教しろ)とじわりじわりと迫るわけです。
    そもそも主人公のロドリゴは、敬愛する師フェレイラが日本で棄教したという噂を聞いて、「俺たちの大尊敬する先輩が、教えを捨てるわけがない!」と立ち上がって、はるばる日本までやって来た。
    だが、紆余曲折の末、結局終盤でフェレイラと会えるわけですが、彼は仏教の研究者になって日本人の名前をもらい、「キリスト教がいかに日本にとってダメな宗教か」という本まで書かされている。当然、2人は論争になる。いや、論争にもならない。ロドリゴは「何か言うことはないのですか?」と静かに問う。それに対してフェレイラの答えは最初から決まっている。俺の後に続け、と。

    あえて、アイドル用語でいえば「流出せよ。他界せよ」というわけです。

    中学3年の『沈黙』論から全ては始まった

    濱野 僕は麻布中学の出身なんですが、実は中学3年の時に、現代文の授業で5人1組で修士論文を書くという課題があって、その時に僕が選んだのが遠藤周作の『沈黙』だったんです。理由は特になくて、なんとなく選んだんですが。
    それで、論文を書くために友達の家に集まったんですが、そいつの家にNEO・GEO(ネオジオ)があって『サムライスピリッツ』とかで遊びまくった。ラスボスの「天草四郎時貞」を倒したりして(笑)。で、最終的に「俺が全部書いておくわ」という話になって、1万字くらいの評論をパッと書いたんです。だから、僕が初めて書いた評論のテーマは『沈黙』なんですよね……。
    しかも、その時たまたまロラン・バルト的な「日本の中心は空虚である」とか、構造主義的な「ゼロ記号こそが中心として機能する」いった、いわゆる否定神学的なコンセプトを知ってしまった。それで僕は、「『沈黙』という作品は、最後に「声が聞こえる」のはおかしいけど、ゼロ記号による否定神学的構造とは理論的には整合性が取れていると思います」というような論文を書いて提出した。そしたら、「引用文献に引っ張られすぎているのでB判定」と返ってきて、「あれ〜? 結構自信作だったのにな〜」と少し悔しかった。
    もうひとつ決定的だったのが、その後高2のとき、これはクラス全員で、夏目漱石の『こころ』について30×30字原稿用紙で900字くらいの小論を書く課題があったんです。これは50人のクラスの中でトップ3に選ばれ、全員の前で読み上げられたのですが、内容は「腹を切った乃木大将はバカだと思うし全く共感できない。しかし、それに感染して手紙を書いて自殺した先生の情熱は確実に何かを残したし、正直嫉妬するレベルだ」と。
    この『沈黙』論と『こころ』論を書いた時点で、『前田敦子はキリストを超えた』を書くのは必然だったのだな、とようやく自らを振り返ることができました…。そして、アイドルプロデューサーになって大失敗し、いよいよ本当に沈黙を破って公的に謝罪しなければ……と思ったタイミングで、なんとも偶然にもスコセッシ監督による『沈黙』が公開された。僕の半生のタイムラインが全てつながった、偶然と必然の重なる瞬間でした。


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  • 『真田丸』――『新選組!』から12年、三谷幸喜の円熟を感じさせるただただ楽しい大河の誕生(木俣冬×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】

    2017-02-23 07:001
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    近年低迷している大河ドラマは2016年、12年ぶりとなる三谷幸喜作品によって大人気を博しました。話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」、今回は大河ドラマ『真田丸』をめぐる木俣冬さんと宇野常寛の対談です。三谷作品の変遷を追いながら、作家の円熟を読み解きます。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2017年2月号
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    ▼作品紹介
    真田丸
    脚本/三谷幸喜 演出/木村隆文ほか 出演/堺雅人、大泉洋、草刈正雄、長澤まさみほか 放送/NHKにて、2016年1月10日~12月18日
    真田信繁(幸村)を主人公に据えた16年大河ドラマ。信繁の青年期に主君・武田家が滅び、父と兄らと右往左往する様子から、大阪の陣で破れ去る最期までを描く。出演者たちの演技はもちろん、『信長の野望』などで知られるコーエーテクモゲームスが劇中背景CGを提供していることや、大阪の陣における真田丸の戦いで超大型オープンセットを組んだ撮影なども話題に。
    木俣 『真田丸』は本当にただただ楽しく観ていて、褒めることしかできなくて、「それでいいのか?」と自分で思うくらいでした。三谷幸喜さんの新たな代表作になったんじゃないでしょうか。

    宇野 僕も、三谷幸喜という作家の円熟を感じさせた作品だったと思います。三谷さんはおそらくはその中核にあるであろうシットコム的なものをやると空回ってしまう一方で、そのエッセンスをキャラクターものに応用すると評価される、ということを繰り返してきた作家だと思うんですよね。多分『HR』【1】のほうが三谷さんにとっては自分のやりたいことをストレートに出しているのだけれども、やっぱりシットコムの手法を別ジャンルに応用した『古畑任三郎』【2】のほうがずっとハマっている。それって多分「笑い」から政治風刺的なものを脱臭してきた、この国の文化空間の問題が根底にあるんだと思うんですよ。三谷さんはもっと欧米の政治風刺的なシットコムに憧れているところがあると思うんですが、それを日本のテレビは受け付けない。だから空気を読んで脱臭してやると『HR』みたいに無味乾燥になって、無理して押し通すと『合い言葉は勇気』【3】や『総理と呼ばないで』【4】のように空回ってしまう。どこが空回っているかというと、三谷さんの考える「正義」というのは基本的に戦後民主主義的というか、学校民主主義的な優等生っぽい「正義」で、端的に言えば淡白でダサい美学に基づいた正義感なんですよ。それを笑いで包むことによって粋に見せたいのだけど、政治と笑いを結びつける回路がこの国のテレビを中心とした文化空間では死んでしまっているわけです。

     そこで発見したのがキャラクターものとしての「歴史」という回路だったと思うんですよね。要するに、歴史ものという解釈のゲームに退避することによって、三谷さんの抱えてきた「笑い」と「正義」が初めてちゃんとかみ合うようになった。それが例えば『新選組!』【5】だったはずで、あの1話が劇中の1日になっていて、全50話をかけて近藤勇の人生で重要な50日を描く、なんてやり方なんかは、三谷さんがそれまでやってきたシットコム的なものの応用がハマった例ですよね。あのコメディの枠組みがあるから、新選組という敗者の側に立つことで学校民主主義的なイノセンスを浪花節的に見せる、というベタベタなものが逆に気持ちよく観れる。毀誉褒貶はあったみたいだけれど、僕は『新選組!』はアクロバティックな手法がうまくハマった作品だと思っていて、だから『真田丸』で今更やることがあるのかな? とまで思っていたわけです。しかし蓋を開けてみたらものすごくアップデートされていてびっくりしました。

    木俣 本当に、三谷さんの集大成になったな、と思いますね。『新選組!』に対しては、絶賛の一方で、「史実に沿っていない」などの批判もかなりあったじゃないですか。実際はそんなことなかったようで、その誤解に対する悔しさもあったかもしれませんね。それから12年、『真田丸』を描くまでに、三谷さんは結構いろんなことに挑んでいます。以前から好きだった人形劇に挑戦したり(『連続人形活劇 新・三銃士』【6】)、その発展形で文楽をやってみたり(『其礼成心中』【7】)。

     演劇の方面から三谷さんを語ると、彼は1980~90年代のいわゆる小劇場ブームの頃に人気があった東京サンシャインボーイズの主宰で、座付き作家であり、ときには俳優もやっていました。その頃は夢の遊眠社と第三舞台が小劇場界の二巨頭で、どちらの主宰も、イデオロギーというか、70年代的な社会問題意識みたいなものを隠し持った劇団だった。その中にあって、唯一全然思想を感じさせない、非常にウェルメイドで誰もが楽しめるお芝居を始めた珍しさを持っていたのがサンシャインボーイズで。それもあって、三谷さんはあまり政治色を出さない人だと思っていたんです。代表作である『笑の大学』(96年)は太平洋戦争開戦前の検閲の話ですが、あくまで2人の人間の関係性を描いた作品で。

     それが、13年にゲッベルスを中心にした群像劇『国民の映画』【8】をやったんですね。この舞台は世界が緊張状態にある中でのさまざまな立場の人たちの関係性を描いたもので、「ナチス」とか「ヒットラー」という言葉を一切出さないにもかかわらず、その巨大な抑圧みたいなものも感じさせ、作家としてかなり円熟味を増していた。『真田丸』はこの作品で突き抜けた先にあったと思います。この12年間の経験値が、『真田丸』を充実したものにしたんでしょうね。深みがある上、子供やお年寄りが観ても楽しめるような、すごくオーソドックスな構成でもあった。


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