┗■ 【ルポタージュ】ちろうのAKB体験記
稲垣知郎+濱野智史
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劇場、カフェ、握手会――2006年からAKBの「現場」を目撃し続けたヲタ、
「稲垣知郎」による、メジャーデビュー前のAKBを追った貴重なルポ。
使徒・濱野智史の解説を交えながらお届けします。
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■はじめに
以下に掲載されるコラムは、稲垣知郎(いながきちろう)氏によるAKB48劇場の体験記である。知郎氏(私達は彼のことを下の名前で呼んでいるのでこう記させて頂く)は、宇野常寛と筆者が共同で開催している「AKB研究会」のメンバーであり、その中でもとびきり「古参」のAKBヲタである。2006年4月と、極めて早い段階から劇場に足を運んでいた知郎氏は、ごくごく初期からのAKBヲタ界隈の状況をつぶさに知る「生き字引」的な人物であり、そのおかげで、現在AKB研究会で行っているAKBの歴史的探求は極めて実りあるものとなっている。
「古参」と言われるだけのことはある。なにしろ彼は300回近い劇場への入場という「偉業」を達成しており、今でも秋葉原のドン・キホーテ8階にあるAKB劇場のロビーには、彼の名前が刻まれたネームプレートが燦然と掲示されている(劇場を訪れたら、「tirou」という名前をぜひ皆さんも探してみてほしい)。いまやAKB劇場の当選倍率は100倍以上ともいわれ、3ヶ月に1回でも劇場に入れれば幸運といえるような状況である。
そんな中、まさに毎日のように「会いに行けるアイドル」としてのAKBを味わえた知郎氏は、筆者のような「新規」のAKBヲタから見れば、本当に羨ましい存在である。筆者は幾度となく当時の知郎氏の体験レポを聞きながら、「なぜ自分はその頃AKBの存在を無視してしまっていたのか」と悔やんだが分からない。それはおそらく、編集長の宇野常寛も同じ思いだと思う。彼もまた、「自分の批評家としての最大の失態は、2010年の『マジすか学園』まで、AKBの凄さを見過ごしていたことだった」といった趣旨の発言をしているからだ(『ゼロ年代の想像力』文庫版でのロングインタビュー)。
しかしこういうと、「なんだ、またしても古参ヲタの『昔は良かった』的な懐古話&自慢話をまた聞かされるのか」と警戒する読者もいるかもしれない。ちょっと待って欲しい。それは警戒心が過ぎる。これから知郎氏が展開する体験記は、決してそのような「古参が新規を上から目線で見下す」といったタイプのものではないのである。
それはなぜか。AKBの劇場というアーキテクチャが、いまも変わらず同じ場所(秋葉原のドン・キホーテ8F)・同じ構造(邪魔な二本柱)・同じ規模として存在し続けているからだ。もちろん、当初はロビー内にあったカフェや、劇場内の座席レイアウトといった変更点も無数にある。しかしそれでもAKBの劇場は、ある種の奇跡的な体験をもたらす環境として、いまも同様に「機能」し続けている。あまりにもメンバーが近い距離で見られるという「近接性」。劇場に入れるかどうかも、どの座席の位置に座れるかも抽選次第という「偶然性」。推しメンの名前を叫びレスをもらう(目線が合う)ときに生まれる、たとしえようもないほどの「合一感」。――筆者が『前田敦子はキリストを超えた:〈宗教〉としてのAKB48』(ちくま新書)で記述したような、AKB劇場がもたらす宗教的経験の諸要素は、いまでも時を超えて「普遍的」に機能し続けている。知郎氏の体験レポは、そのことを力強く現在に伝えてくれる、極めて貴重なテクストである。
いまから読む読者の中には、まだAKB劇場に入ったことがないというライトファンも少なくないに違いない。そうした読者には、ぜひ知郎氏のみずみずしい劇場体験記を読んで、「自分も劇場に入って、こんな体験をしたい」という思いに感染して頂きたい。いますぐ劇場チケットセンター(※)に登録して、抽選申し込みを始めてほしい。「劇場」こそが、「激情」を高める。筆者もまた、いまこうして解説を書きながら、次の当選はまだかと心待ちにしているのだ!
濱野智史
※AKB48劇場チケットセンター:http://ticket.akb48.co.jp/
序章 秋葉原へ
2006年4月15日。日曜日。ぼくが初めてAKB48劇場公演を見た日である。AKB48劇場がOPENしてから4ヶ月。なぜこのタイミングだったのか。まずその説明から始めたいと思う。