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【特別対談】高橋栄樹×宇野常寛 大林宣彦「So long ! The Movie」を語り尽くす ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.036 ☆
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【特別対談】高橋栄樹×宇野常寛 大林宣彦「So long ! The Movie」を語り尽くす ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.036 ☆

2014-03-24 07:16

    【特別対談】高橋栄樹×宇野常寛 
    大林宣彦「So long ! The Movie」
    を語り尽くす 
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.3.21

    AKBファンのみならず映画好きの間でも物議をかもした大林宣彦監督の問題作「So long!」。今朝はAKB48のドキュメンタリー映画やMVを多数手がけてきた高橋栄樹監督を迎えて宇野常寛とその魅力を熱く語り合います。

    AKB48ほか数々のミュージック・ビデオをはじめ、2本のAKBドキュメンタリーのメガホンを取った高橋栄樹監督が昨年10月、こんなツイートをして話題になった。“僕が思うAKB48最高のMVは、大林宣彦監督の「So long !」(全長版)”――。「So long !」は2013年2月20日に発売されたAKB48のシングルだが、大林宣彦の監督したMVの全長版は、AKBファンだけでなく、映画ファンや大林ファンの間でも物議を醸した超のつく問題作である。この「So long !」問題をぜひ語りたいと、高橋監督に熱いラブコールを送り続けたのが評論家の宇野常寛。そして、ついに対談が実現した。
     
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    ▼プロフィール
    高橋栄樹(たかはし・えいき)
    ミュージック・ビデオ監督、映画監督。凸版印刷映像企画部所属。AKB48の楽曲では「軽蔑していた愛情」「桜の花びらたち2008」「大声ダイヤモンド」「10年桜」「涙サプライズ!」「言い訳Maybe」「ポニーテールとシュシュ」「上からマリコ」「ギンガムチェック 高橋栄樹監督ver.」「永遠プレッシャー」などを演出。AKBドキュメンタリー映画の2本目と3本目、『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』と『DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?』も監督した。他にMVを手がけたアーティストはTHE YELLOW MONKEY、ゆず、Mr.Children、CHAGE&ASKA、明和電機など。
     
    ◎構成:稲田豊史
     
     
    【MV】So long !  / AKB48[公式]
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    ※この動画はショートバージョンです。
    大林宣彦監督のフルバージョンを視聴するには、
    こちらのDVD付きシングル「So long!」をご購入ください。
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    50ページの台本を3日で撮影した「So long !」
     
    宇野 高橋監督とはほんとうにお会いしたかったんです。「大声ダイヤモンド」も「10年桜」も「上からマリコ」も「ギンガムチェック 高橋栄樹監督Ver.」も大好きで……でも、今回こうして取材をお願いしたのにはきっかけがあるんです。それが先日、高橋さんがTwitterに書かれていた“僕が思うAKB48最高のMVは、大林宣彦監督の「So long !」(全長版)”という発言ですね。あれを見た瞬間に、もうこれは1度この「So long !」問題についてじっくり語り合う以外にないんじゃないかと思って、勇気を出してお願いしてみました。

    高橋 あれは、あのときわりと思いつきで書いただけなので、あんな反響があると思ってなかったです(笑)。

    宇野 「So long !」ってなんというか、ほんとうにヤバい映像だと思うんですよ。そもそも尺が64分もあるし(笑)、ほとんどのAKB48ファンは気づいていないと思いますけれど、その時点での大林監督の最新作の映画『この空の花 長岡花火物語』(12)の続編になっている。何の説明もなく、単館公開の超カルトムービーの続編が、何十万という単位でバラ撒かれている。この時点でとんでもないことになっている。そして、映像を見るとさらに凄まじいことになっているという……。

    高橋 僕はどうしても「So long !」を客観的に観られないところがあって……。ひとつには、僕はあの現場に参加していたからです。と、いうのは、ちょうどあのときAKB48のドキュメンタリー映画の3作目『DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?』を撮っておりまして。その撮影の途中で、今度のシングルは大林監督がミュージック・ビデオを撮るらしいというお話が聞こえてきたんです。それでこれは是非、現場を見学させて頂きたい!みたくなってしまって、ドキュメンタリーにかこつけて馳せ参じるしかないだろう、と(笑)。
     ただ、いくらこちらの思いが強くても、そうそう気軽に現場にはお邪魔出来ないだろうと思っていたところ、幸いにも大林映画のデジタル化という波に乗る事が出来まして(笑)。大林監督はご存知のとおり、『この空の花』から完全にデジタル撮影に切り替えられて、撮り方がフィルム時代からすごく変わったんです。全部で7台くらいのビデオカメラで芝居を同時に撮るという方法になっていたと思います。だからあのとき大林監督はからは、機材はなんでもいいから、とにかくたくさんのカメラを揃えて、徹底的に撮って欲しいという指示を頂きました。しかも芝居を撮るだけではなくて、スタッフの写り込むメイキング的な場面も撮って欲しい、と。これだったら僕らドキュメンタリー班もお役に立てることはあるのかな、と思ってたら、撮影直前になってAKB48の映像プロデューサーである北川謙二さんから、「人手が足りないので、セカンド・ユニット的なかたちでカメラを回して欲しい」とご連絡頂いたんです。という事情で、MVをあまり客観的には観られないのが正直なところです。

    宇野 具体的にはどのシーンを撮影されたんですか?

    高橋 冒頭の雨が降っている田んぼで、珠理奈とまゆゆが会話しているところが一番多いと思います。大林組の名キャメラマンである三本木久城さんと、セカンドの僕と、ドキュメンタリーのステディカムの、ほぼ3台で撮ってます。あと、ぱるるが出てくる、鯉の養殖の……

    宇野 鯉屋の娘なのに、名前があゆ(笑)。

    高橋 はい、そこです。

    宇野 しかしお話を伺うと、なんというか、なし崩し的にすさまじい現場に参加することになったんですね……。

    高橋 しかも、いつまでたっても台本が来ない。撮影の3日前になって、オールスタッフという全体の会議が催され、そこで初めて台本を頂きました。そのとき初めて、原稿用紙に書かれた台本が50ページ以上もあるのが分かったんですよ(笑)。通常、1枚1分という計算なので、50何ページだとすると……。

    宇野 恐ろしい。想像しただけで脂汗が出てくる。

    高橋 そうしたら大林監督、「これを1週間で撮るのなら50ページはよくある話だけど、3日で撮るというのは、どういうことだと思いますか、みなさん?」と。当然、誰も答えられない。すると監督が「これはね、傑作ができるんです」と仰った(笑)。端的に「すげえな」って思いました。すでに大林マジックが発動している…。

    宇野 伝説だ……。

    高橋 まさにレジェンド。で、その50何ページかの台本を、ひとつずつ説明していかれるんですよ。「シーン○○。夢、私服。未来、私服。撮影場所、山古志。途中のここからグリーンバックで夢、制服に変わり、未来も制服に変わります」みたいな。“夢”“未来”が役名であることも、その場で初めて説明されました。まあ、ワンシーンの中にロケとグリーンバックが混在してるのもすごいんですけど、役名、衣装、ロケ場所、これが延々50ページにわたって説明されると、それだけで長岡(新潟のロケ場所)の夢と未来と、現実と幻想みたいな不思議な説話を聞かされているような、独特な催眠効果がありました。

    宇野 (笑)。仕上がった作品を観て、どう思われました?

    高橋 やはり圧倒的な映像のマジックを感じましたね。現場はある意味、複数のカメラが闇雲に芝居を撮影してる節もなかった訳ではありませんが、それが編集によってここまで構築されるのかと。合成ショットにしても、桜の布みたいなものを被って皆でわーっとみんなで走るところなんて、僕らが観客としてスクリーンで観てきたいわゆる大林調な画面な訳ですけど、それがどのように作られるのかも間近で知ることが出来たし。貴重な体験でした。MV作品としては相当、変わっているとは思います(笑)。変わってはいるけど、ここまでやるともはや感動するしかないという圧倒のされ方。素直に感動しました。
     
     
    「So long !」はアニメである
     
    宇野 ところで高橋監督が「So long !」を“AKB48最高のMV”と評価する理由ってなんなんでしょう?

    高橋 震災と原発について、アイドルを通じてここまで言及した作品って他にないと思うんですよ。インディーズ映画ならまだしも、超メジャーのグループでここまでやる先進性に驚きました。僕もAKBドキュメンタリーの2作目、『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(12)のときに震災と被災地支援をテーマとしたのですが、原発の問題まではまだ未知の部分が多かったです。

    宇野 『傷つきながら、夢を見る』ではAKB48というグループを震災と原発と重ね合わせていましたね。どちらも、人間が自分の手で産み出したものでありながら、もう誰にも止められないものになっているということをAKB48の被災地慰問のシーンと、内部トラブルのシーンを交互に配置するだけで成し遂げてしまった。カメラに「映ってしまった」ものの力を編集で最大限に引き出した傑作だと思います。

    高橋 ありがとうございます。

    宇野 対照的に、大林監督は『この空の花』で、「戦争」と「震災・原発」を統合しようとしていましたけど、それって無理なんですよ。震災があると日本がバラバラになってしまう、瓦礫もみんな受け入れたがらないし、西日本の人は原発のことを忘れたくて仕方がない。東北の中でさえも、たぶん分裂がある。そうした状況下でもう1度、人々の心をひとつにしなければならない。そのために戦争の記憶を召喚しよう。それが『この空の花』ですよね。

    高橋 宇野さん、「ダ・ヴィンチ」にも書かれていましたよね。「戦争」と「震災・原発」は違うと。

    宇野 戦後と現代とでは、そもそも名前も知らない人間同士が同じ社会を形成する「つながり」のしくみみたいなものが根本的に違うと思うんです。だから昔のように、大きな傷跡の物語をみんなで共有して心をひとつにしよう、という考えにはどうしても無理が生じてしまう。震災後の「絆」という言葉の空回りが象徴的ですけれど、今の世の中で大きな傷を共有しようとすると、むしろひとつの大きな物語に乗っかれない人々がたくさん出て来て、どんどん社会はバラバラになってしまう。大林監督はそれが分かっているので、なんとか物語の力で無理矢理にでもばらばらなものをひとつにつなごうとしていく。
     そして監督のこうした意図は物語面以上に、形式面や技術面に表れていると思うんです。この映画はなぜか『この空の花』の続編でもあり、長岡の観光ビデオでもあり、そして当然AKB48のMVでもある。つまりまったく異質な性格を持ついくつかの映像が無理矢理ひとつに統合されている。しかも技術的にも3台カメラ体制で撮ったバラバラの素材を、まるでアニメのようにつなぎ合わせて、無理矢理ひとつにまとめているわけですからね。

    高橋 しかもご自分でナレーションまでされている。

    宇野 『ふたり』(91)で、なぜかエンディングテーマを久石譲とふたりで歌ってる、あれを思い出しましたよね。あのときも愕然としましたが(笑)。演出的にもかなり序盤からメタフィクションの要素が強い。冒頭からまゆゆがナレーションを読む姿が挿入されているし、画面上でもずっと生者と死者の世界が混在している。あのミッキー・カーチスの演じるおじいさんはどう考えても幽霊でしょう? ただ、監督がこうしたアクロバティックな手法を駆使すればするほど、むしろもう物語の力ではばらばらのものはひとつにまとまらないな、と逆に思ってしまって……

    高橋 意図的に混乱や破綻を招いてるとしか思えないですね。現場もそうでしたから。秋元康さんも、わりと意図的にお祭りのような混乱状況を設定して、その中でモチベーションや精度を高める手法を取ってらっしゃいますけど、大林監督の場合、もうちょっと監督自身の狂気に近いものを感じます。50ページを3日で撮る進行は、明らかに混乱が起こるわけで、大林監督はその混乱を楽しんでるというよりは、混乱の渦中に自らも飛び込んで行かれるように思えました。

    宇野 映画というものは統合的なメディアだと思うのですが、この映画という枠組みの中であえて解離的なアプローチをすることで表現できるリアリティがあるというのが大林監督の決定的な演出哲学だと思うんですけど、AKB48というシステムもまた極めて解離的ですよね。簡単に言えば、単に自分の推しメンにしか興味ないやつが、いっぱいいるし、推しメンや推しグループごとに見え方がまったく違う。そして、中心点があるようで、実はなく、たくさんのコミュニティや文脈が並行的に存在している。

    高橋 AKBの持っている、果てしなく中心がなくて、いろんなものが乱立していることと、「So long !」で登場人物が次々と紹介されていく映画の構造って、震災や原発の状況と近いですね。

    宇野 かつてのテレビのように中心から周辺に中央から「みんなひとつになろうよ」と物語を発信しても、むしろつながりを破綻させてしまうのが今という時代だと思うんです。そうではなくて、ばらばらのものを数珠つなぎのようにばらばらのまま、中心を持たない状態でつないでいくやり方じゃないと、大きな流れにはなっていかない。AKB48も少なくともある時期まではそうやって大きくなっていったわけですからね。
     
     
    完全に演技を捨てている? 大林作品
     
    宇野 「So long !」を観て改めて考えたのですが、大林監督が70年代からやってきたことって実は映画というものの行き先を考える上で、ものすごく大きいことではないかと改めて思ったんです。僕はいま映画って世界的に「アニメと特撮」になってきていると僕は思うんです。

    高橋 アニメと特撮?

    宇野 映画は今、カメラが撮ってしまったリアルものを取り込むものではなく、演出家の意図したものだけが存在できる世界を表現するためのものになりつつあるということです。たとえば、岩井俊二からエイブラムスまで用いている、意図的に「手ぶれカメラ」の映像を用いてライブ感を獲得した手法はもうかつてのような威力は持っていないと思うんです。なぜならば、僕たちはいま、YouTubeやUstreamで実際に「手ぶれ」しているリアルな映像を見ているからですね。偶然カメラが撮ってしまったものを活かす力は、インターネット上の映像の方が圧倒的に強い。その結果、映画にできることは作家の、演出家の意図したものだけが存在出来る純度100%の虚構を提供することだけになってきている。言い換えるなら、“動いているもの”を見せる表現だった映画は“止まっているもの”をつなぎ合わせてつくる表現に変化しつつあるということです。それがたとえば『アバター』や『ゼロ・グラビティ』であり、この10年興行収入の上位を占め続けているアメコミ・ヒーロー映画群である、と。これらの作品では演出家の配置したいものしか存在しない、完全にコントロールされた映像だからこそ表現できるものを追求しているわけですが、要するにこれはアニメ的、特撮的な表現の追求です。そして、大林監督は70年代からずっとそれをやってきた。今回の『So long !』もそう。グリーンバックの前に立って台詞を読んでいるメンバーと長岡の背景を合成してテロップを入れる、なんてほぼ美少女ゲームの画面設計ですよね(笑)。しかし、これが世界的にいま映画という表現が傾いている方向でもある。日本だと、中島哲也監督の『告白』(10)はそうですね。

    高橋 ええ、よくわかります。
     
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