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ポルシェとヒトラーのハネムーン
――「人間の拡張」を目指した
水陸両用車『シュビムワーゲン』
(根津孝太『カーデザインの20世紀』第2回)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.8.10 vol.385
本日は、カーデザイナー/クリエイティブ・コミュニケータの根津孝太さんによる「カーデザインの20世紀」第2回をお届けします。今回のテーマは第二次世界大戦に際して、ポルシェ博士が開発したドイツ軍の水陸両用車「シュビムワーゲン」。そのユニークなボディに隠された「モビリティ」本来の可能性と魅力に迫ります。
■ 水陸両用車の最高傑作「シュビムワーゲン」
自動車と言えば、真っ先に道路の上を走るものをイメージしますね。しかしそれだけが自動車ではありません。荒地、砂漠、雪原……さまざまな場所を走行するために、いろいろな試行錯誤が積み重ねられ、自動車の活動領域は広げられてきました。
そして自動車はやがて、陸上だけでなく水上を走行するようになります。水と陸、両方を移動できる車両のことを、水陸両用車と呼びます。今回はこの水陸両用車の中から、僕が最高傑作だと考える「シュビムワーゲン」を紹介します。
シュビムワーゲンは第二次世界大戦中、アドルフ・ヒトラー率いるナチス政権下で開発されました。ドイツ語での綴りは「Schwimmwagen」。これは英語にすると「Swim Car」を意味し、自動車でありながら水の上を泳いで渡ることができるという本機の特徴を端的に表現した名前です。開発されたのは1940年頃ですが、僕は未だに、このシュビムワーゲンを超える水陸両用車には出会っていません。ヒトラーの命で作られた兵器を語るということに抵抗感を持つ人もいるかもしれませんが、これが本当に素晴らしい車なんです。
▲シュビムワーゲンTyp166の現存車両。側部にオールが搭載されているのは水陸両用車ならでは。
■ ポルシェ博士の理想と現実
シュビムワーゲンは、20世紀の自動車史に燦然と輝く天才、フェルディナント・ポルシェ博士によって設計されました。
ポルシェ博士は1900年から1940年頃にかけて、傑作自動車を立て続けに世に送り出した人物です。もちろん、あの有名な自動車メーカー「ポルシェ」の生みの親です。彼は現在のチェコ西部(当時オーストリア=ハンガリー帝国領)の出身で、ウィーンでキャリアを積んだのちにドイツに活動の拠点を移しました。ポルシェ「博士」と親しみを込めて呼ばれるのは、大学を卒業していない叩き上げの技術者でありながら圧倒的な成果を挙げ、ウィーン工科大学から名誉博士号を授与されていることに由来しています。
▲フェルディナント・ポルシェ。65歳のときの写真。
ポルシェ博士は自動車の設計者ですが、ヒトラーの命を受けてユニークで先進的な兵器を多数発明したことでも知られています。代表的なもののひとつに、第二次世界大戦中に開発された「ティーガー」と呼ばれる戦車があります。
この戦車は、「ティーガー最強説」が唱えられるほど大活躍し、戦車といえばこれと言えるほどポピュラーな存在です。一般に有名なのはヘンシェル社によって開発されたものですが、実はポルシェ博士が開発した「もうひとつのティーガー」があるのです。これは知る人ぞ知るちょっとマニアックな存在です。博士の設計は非常に野心的なものでした。当時はエンジンから機械的に全ての動力を得るのが当然とされていましたが、この常識を覆そうとしたのです。
ポルシェ博士がやろうとしたのは、エンジンで動力を得る代わりに発電機を回し、発生させた電力で巨大なモーターを回転させ、戦車を電動化するという前代未聞の試みでした。ただ、複雑で重いトランスミッションを排そうとした合理的な設計であったはずなのですが、皮肉にもあまりの機構の複雑さにまともに動作せず、結局不採用になってしまいました(後にやや機構を簡略化した突撃砲「エレファント」として実戦に参加します)。他にも、ドイツ帝国の威信を賭けて、ティーガー戦車のおよそ3倍にあたる188tの超重戦車「マウス」を開発しましたが、こちらも作られた2機の試作機が十分な働きをすることはありませんでした。
(余談ですが、これらの戦車はアニメ『ガールズ&パンツァー』に登場したことで最近、有名になっているようです。)
ポルシェ博士は確固とした理念に基づいて設計を行う理想主義者でした。そのイデアルな感性とナチスドイツという世界史上でも類をみない軍事国家のニーズが出会うことによって、実用的な素晴らしいデザインが生まれてきたことも事実です。その頂点が、このシュビムワーゲンと言えるでしょう。
■ 国民車構想に真摯に向き合ったフォルクスワーゲン・タイプ1
シュビムワーゲンは、キューベルワーゲンと呼ばれる軍用車両をベースにしています。そしてこのキューベルワーゲンは、さらにフォルクスワーゲン・タイプ1という一般車両とその基礎構造を共有しています。
フォルクスワーゲン・タイプ1は、ポルシェ博士の代表作で、世界で最もたくさん作られた自動車として、未だに記録を保持している大ベストセラーです。独特の丸いフォルムと「ビートル」という通称をご存知の方も多いでしょう。
1933年、ドイツの覇権を握ったヒトラーは「アウトバーン構想」を打ち出します。当時アメリカ等に比べて自動車の普及が遅れていた現状を打破すべく、国中に世界初の高速道路による本格的陸上交通網を整備し、国民の全てが休日に自動車でレジャーに出掛けられることを目標とした壮大な計画でした。実際に第二次世界大戦の開戦までに4000km近い高速道路が整備されており、ドイツを世界屈指の自動車国家にすることに成功しています。
このアウトバーン構想の重要な一部として、ヒトラーはポルシェ博士に、国民車「フォルクスワーゲン(Volkswagen = People’s Car)」を開発するように依頼しました。一方ポルシェ博士も長年、高性能な小型車の開発をライフワークとしていたので、そうした国家的なバックアップの元、博士が長年の夢を形にしたのがフォルクスワーゲン・タイプ1だったのです。
今でこそ、そのデザインはレトロで可愛らしいイメージに映りますが、当時としては非常に真剣に開発された車両なんですね。それまでの車は、前時代の馬車のフォーマットをどこか引きずったものでした。素材も木と鋼鉄の組み合わせで、馬の代わりにエンジンを搭載し、人が乗るキャビンを用意し、タイヤの上にフェンダーを被せ……というように、それぞれの要素がバラバラの状態だったのです。
そもそも馬車は「お金持ちの乗り物」でした。だから自動車もあくまで限られた富裕層が乗るためのものと考えられていたところがあります。設計にもそれ故の甘えがありました。しかし誰もが自動車に乗れる時代を作るためには、その甘えを排さなくてはなりませんでした。この大命題を前にして、車の各要素をもう一度改めて見直し、どの部分がどうあるべきなのかを徹底的に追及した結果生み出されたのが、タイプ1の姿なのです。なんとなく積み上げていくのではなく、こうあるべきという理想像から設計していくという意味で、実にポルシェ博士らしいデザインです。
▲当時爆発的に普及したフォード・モデルTの1915年型。キャビンの作りやタイヤのレイアウトなど、馬車のデザインを色濃く受け継いでいる。
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