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第336号 2019.11.19発行

「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

【今週のお知らせ】
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…九州ゴー宣道場の課題図書になっていた石川達三の『泥にまみれて』は、20代前半で結婚した夫婦が、20年間に体験した出来事を、時代背景とともに妻の目線で描いた作品だ。1925年頃に結婚し、1945年の敗戦までの様子が綴られている。次から次へと女遊びをして、その女を自宅に連れ込み、さらに外に子供まで作って、それを妻に洗いざらい話して世話までさせる夫。そんな夫の言動に毎度のごとく驚愕させられ、全身傷だらけのような気持ちに陥れられながらも、折り合いをつけて飲み込んでいく妻。現代の感覚から読めば「男尊女卑小説」と感じて、とても理解できない関係性かもしれない。しかし、舞台となった時代背景を考えると、まったく違ったものが見えてくるのである。
※「ゴーマニズム宣言」…グローバリズムなんて、ろくなもんじゃない。人やモノが国境を超えて、世界のどこまでも易々と行き来できるようになることこそが理想であるかのようなイメージは相変わらず通用しているが、わしは決して信用しない。観光公害、危険な外来生物の侵入、日本にはなかった「国際伝染病」の発症…こういった重要な問題を考え警戒することは、決して「排外主義」ではないのだ!!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!男系固執派にどんどん狂った主張をさせれば自壊するのでは?幻冬舎の見城社長が作家の実売数を公表し炎上したことをどう見る?『少年寅次郎』の中で印象的な場面は?剛力彩芽氏とZOZOの前澤氏の破局をどう思う?旅先での楽しみは何?「でも前提は血でしょ?」という男系派の指摘に答えきっていないのでは?読みたい本がたくさんある時、どのように読み進る?…等々、よしりんの回答や如何に!?


【今週の目次】
1. 泉美木蘭の「トンデモ見聞録」・第146回「『泥にまみれて』は男尊女卑小説か?」
2. ゴーマニズム宣言・第349回「ヒアリ、観光客、パンデミックへの道」
3. しゃべらせてクリ!・第293回「柿野くんの心はいくらで買えるとでしゅか~?の巻【前編】」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記




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第146回「『泥にまみれて』は男尊女卑小説か?」

 次から次へと女遊びをして、その女を自宅に連れ込み、さらに外に子供まで作って、それを妻に洗いざらい話して世話までさせる夫。そんな夫の言動に毎度のごとく驚愕させられ、全身傷だらけのような気持ちに陥れられながらも、折り合いをつけて飲み込んでいく妻。
 石川達三『泥にまみれて』を読むと、夫を必死で受け入れようとして、自分の独占欲と闘わなければならなくなった妻の心理描写にはとても共感する部分が多いのだが、現実には、とてもじゃないがこんな男とはつきあいきれないとも思えてくる。
 そもそも夫の女が訪ねてきて悪びれる様子もなかったら、私だったらその女とつかみ合いの乱闘になり、物理的に血まみれ泥まみれの戦争を巻き起こすだろう。
 けれどもこれは、あくまでも現代っ子の、わがままで、ロマンティシズムにはまりがちな私から見た超近視眼的な感想だと思う。もう少しこの小説を俯瞰しながら考えたい。

●夫と妻の決定的な違い
『泥にまみれて』は、20代前半で結婚した夫婦が、20年間に体験した出来事を、時代背景とともに妻の目線で描いた作品だ。1925年頃に結婚し、1945年の敗戦までの様子が綴られている。
 夫は帝国大学、妻は女子大学で、社会主義思想に傾倒してマルクスの『資本論』を耽読するなど言論活動を行っていた同志で、夫はその中心人物だった。時代的に相当危険な活動をしていることになる。妻は夫についてこう語っている。
 私の心に一番強い印象をあたえたものは、ほかの社会主義者たちが一様に一種深刻めいた暗い表情をしているなかで、あの人だけが明朗闊達な性格をしておられたことでした。天衣無縫と言っては言い過ぎだろうけれど、何ものにも拘らないで押しまくって行くあの強さと、恥も外聞も問題にしないあの開けっ放しな天性とは、私にとってこの上もない魅力でした。
 
 この夫婦には、決定的な違いがある。
 調べてみると、この時代に高等教育を受けていた女性は、わずか0.1%。かなり特殊な人だ。だが妻は結婚すると、ただただ夫のことばかりを考えて生きるようになる。その一方で、夫のほうは、筋金入りの表現者として生きていくのである。

 当時は治安維持法の時代だ。夫は何度も弾圧を受けるが、屈することはなく、左翼劇団で社会風刺の脚本や劇評を書きつづける。特高警察に逮捕されても、自由になればまた書きはじめる。そのなかで、どうやら拷問を受けているらしいと想像させる描写もあるのだが、それが夫から語られることはない。
 中国に渡って上海の新聞に掲載されたりもし、戦況の変化に従って、ますます狂気を発して立ち向かう。あえて書けば、女子供が一緒に闘える程度の生易しさではないものと闘う男、という部分が垣間見えるのだ。超強靭な反骨精神と闘争心を抱えた激情家の男なのである。
 そして、この激情は権力だけではなく、女性に向かっても発揮される。劇団の女優や、劇場で出会ったピアニストなど新しい刺激をくれる女性に次々と惚れては、自分の女にしてしまうという身勝手な状態を巻き起こすのだ。

 一方の妻は、これほどの反骨精神を持つ激情家の夫に惚れ込み、子供を抱えながら夫の活動を支える人生を選ぶ。自由恋愛からはじまったため、最初は「愛する夫に愛される私」という幻想に浸っているが、すぐに夫の凄まじさを目の当たりにする。手始めに、結婚前に付き合っていた女をあっけらかんと紹介され、その現実によって幻想を粉砕されるのだ。
 でも、夫と生きたい。そのため妻の頭のなかはどんどん「夫と私」の幻想を求めるようになり、現実の夫の言動によって常に動揺させられ、自分の身の振り方にすら迷うようになる。夫は表現活動をしながら次々と女にも惚れる。ますます「夫と私」の幸せだけが欲しい。頭のなかが欲望に占領されてしまう。

 そうして妻は、自分の中に襲い来る数々の感情の波に揺さぶられ、それを夫にぶつけたり、夫の愛人への憎悪として心のなかに積もらせたり、夫を理解しようとするがゆえに、それらの感情を自分の内面で処理しようと論理を展開したり、理屈を編み出したりして苦悶する。
 この苦悶の果てに、ついに妻は、「妻」という立場にこだわるのでなく、一切の我欲を捨てて「夫の母親となる」ことで、すべてを包んで安定しようという境地を見るようになる。

●『泥にまみれて』に見える男尊女卑