2013.4.18発行
『ゴーマニズム宣言』 「『憲法96条改正』は立憲主義の破壊だ!」
まず宣言しておくが、わしは憲法改正に反対ではない。
9条は国家の防衛本能に違反していると思うし、他にも改正してほしい条文がある。だから「改憲派」ではある。
だが、憲法は手段であって、目的ではない。
「護憲派」が言うように、憲法を守れば平和が維持できるわけでもないし、「改憲派」がこだわるように、憲法を改正すれば素晴らしい国になることもない。
石破茂が「憲法96条改正なら、憲法9条を念頭に投票を」と発言しているが、イラク戦争の総括ぬきで、自主防衛の目標もなく、改憲のみに執着している安倍政権・橋下維新の会や、自称保守派の思考停止の様子を見ていると、もはや完全に「憲法改正が日本の誇りを取り戻す」式の、目的そのものになってしまっている。
こういう状態で繰り出される姑息な戦略は、国民を誤魔化すデマや錯誤が潜んでいるものだ。
憲法9条改正を全面に打ち出すのならまだわかるが、なんと自民党が参院選の争点にしたがっているのは、「憲法96条改正」なのである。
「はれ?」と気のぬけるような感覚はないか?
「96条って何?」「何で96条?」と思う人は常識のある人である。
憲法96条は改憲のルールを定めたものであり、
「衆議院・参議院それぞれ総議員の3分の2以上の賛成」
↓
「国民投票で過半数の賛成」
という手続きを経れば改憲ができるとしている。
安倍政権は、この国会議員の「3分の2」を「2分の1」に緩和すべきだと主張しているのだ。
だがこれは、とんでもない愚作である。立憲主義の崩壊に繋がりかねない暴挙なのだ!
自称保守派は、「日本の憲法は世界一改正が難しい規定になっており、それはGHQが占領憲法を永遠に押しつけたかったからだ」と必ず言う。
全員そう言うので、かつてはわしもそうなのかと思っていたのだが、自称保守派が全員一致で言うことは大概ウソだと学習したので、自分で確かめてみた。
するとやっぱり、これも完全にウソだった! 日本国憲法の改正手続きは、世界的には常識的なレベルの規定なのだ!
例えばアメリカでは「上院・下院それぞれ3分の2以上の賛成」の後「全米50州の州議会のうち4分の3以上の承認」が必要である。日本国憲法の改正よりもハードルは高いかもしれない。
ロシアでは「連邦議会上院の4分の3以上、下院の3分の2以上の承認」の後「83の連邦構成体(共和国・州・地方など)議会の3分の2の承認」が必要。
オーストラリアでは、連邦議会の可決こそ「両院の過半数」と緩やかだが、その代わり、その後に必要な国民投票のハードルが高い。州ごとの集計で過半数の州が賛成し、なおかつ全選挙人の過半数の賛成が必要という「二重過半数条項」が課せられている。
デンマークも議会の議決要件は「過半数」だが、総選挙を経て再度議決し、もう一度議会の過半数の賛成を得た上で、さらに国民投票にかけなければならない。
他にも例はいくつも挙げられるが、通常の法律の改正よりも特別難しくなっているのは、憲法の常識なのである。
そもそも憲法とは、国民大衆が権力者を縛る手段として存在するものであり、権力者の都合で安易に改正できないようになっているものなのだ。
それに憲法は他のすべての法律を規定する特別な法律であるから、その安定性はある程度、確保されなければならないのも当然なのである。
改正に特別厳しい要件を課す憲法を「硬性憲法」という。
それに対して通常の法改正と同様の手続きで改正できるものを「軟性憲法」というが、これはイギリス、ニュージーランド、イスラエルなど、成文憲法を持たないごくわずかの国に限られる。
だがイギリスでは、これも不文律であるが「国王の存在」「議会主義」の2大原則を変更することはできないとされており、軟性憲法だからといって何でも簡単に変えられるというものではないのだ。
自称保守は「外国では頻繁に憲法改正が行われている」とよく言うが、これにもカラクリがある。
コメント
コメントを書く実際、私も頭の回転が鈍いので四宮正貴氏が指摘するまで気付かなかったのですが、憲法改正の要件を緩和する事は、國體条項(「天皇条項」)も二分の一の賛成で改定できるという危険性を孕んでいる事を見落とすべきでないと思います。
安倍氏がこの件について言及している事を寡聞にして聞ききません。それでも男系固執派は「安倍首相が皇室を守っている」などと言うのでしょうか?
号外の憲法96条改正については初めて知りました。9条改正にだけ目を向けていた自分にとって憲法と法律の違いすら分からなかったことをいまここで初めて知ることとなりました。
一概に言えば、立憲そのものまで否定するようになったのは政治を支援団体する経団連をはじめとする強力な団体が政治に大幅に介入するようになったからであって、民主党政権時代に発生した「武器輸出三大原則見直し」も輸出産業による後押しがあったことから生じたのだと聞いています。兵器の輸出が禁じられている現状では兵器として輸出できない輸出品が日本にあるからだといわれ、これはヤマハなどの軍事転用できる農薬散布機の輸出を行えるように政治に経団連などの経済団体が後押ししたからだといわれています。
以前にも書きましたが、今も昔も宗教団体を含む、強力な団体が政治に介入すると、その団体も団体に後押しされた政治によって舵を切った国もろくでもない結果を辿ります。古くは宗教団体が政治に介入した欧州では30年戦争が起きて欧州は荒廃しました。オランダも商人が政治に介入した結果、オランダの利益はすべてイギリスに流れ、オランダはそれまで支配してきたオーストラリアから北米に至るまでの植民地の大半を失い、かつての繁栄を失いました。現在でも911テロが生じたのも企業団体が政治に介入した結果であり、東日本大震災によって生じた福島原発事故も東京電力などの強力な経済団体が政治に介入したからですしアルジェリアのテロも同じです。
現在の日本は米国と同じく、政治かは強力な宗教や企業などの団体によって選ばれているのであって、一般人の投票によって選ばれているわけでもなければ投票した一般人の意志は反映されないようになっているわけです。戦前は豪商や財閥が政治と癒着し、結果、日本人は江戸時代における士農工商の価値観が根強いために一番下の商人が政治を操っていると見なし、515事件や226事件が発生しました。現在の日本でも515事件や226事件は起きなくとも、いまに第四の敗戦を身をもって味わうこととなると思います。
その証拠に一次産業は国全体が成長、繁栄するより先に間に先に復興、成長、繁栄し、国全体が荒廃するより先に荒廃します。江戸時代もまず、一次産業が成長、繁栄し、江戸文化が育ち、成熟しましたし、戦前も製糸を含む、一次産業が成長、繁栄し、第一次世界大戦を境に一次産業が荒廃し、続いて大東亜戦争で敗戦を迎えました。戦後も捕鯨を含む一次産業がまず、成長、繁栄し、昭和40年代を頂点に一次産業が衰退し、それに続いて20数年後にバブルが衰退しました。現在、国を成長させ、繁栄させるには一次産業が大事なのに、強力な団体と政治が癒着している民主主義では後戻りできないほどの荒廃は取り返しのつかない事態になると思います。
96条改憲をニュースで見たとき、「9条改正の為の布石だし、いいんじゃないの。」という認識でしたが、今回のゴー外で立憲主義崩壊の危険性を孕んでいた事を知り、自分の浅はかさにショックを受けましたorz
それにしても、『自称保守派が全員一致で言うことは大概ウソだと学習したので、自分で確かめてみた』の一文には爆笑しました(^^;;
号外配信ありがとうございます。
今回も、とてもわかりやすかったです。
それにしても、
手段と目的が混同してしまうって、
どれだけ頭悪いのでしょう(・・;)
あまりの酷さに唖然としてしまいます。
この問題に気付いていない人もたくさん
いると思います。私も違和感があったものの
ここまで酷いと意識していませんでした。
今回の号外を読んで、危険性がわかりましたので、
同じようにわかりやすい説明で、周りに話して
みようと思います。
(憲法の話ってだけで「難しい!」ってシャット
アウトされそうですが…。)
もっともっと多くの人がこの危険性に気付いて
くれるといいのですけどね…。
配信お疲れ様です。
立憲主義を揺るがすどころか、ひいては君主制を危うくするかもしれないのにあまり報道されませんね…。参議院廃止もそうですが、権力を拘束する安全装置を少しづつ外されていく事に関して、私を含め、警戒心が足りない事に気づかされました。TPPを推進して外圧で国柄を破壊して、自己責任を強調して貧富の差を拡大させて、パトリ無き愛国心をかきたてて差別主義者を放置するような政権が、どんな憲法に変えようとするのかと考えると、薄気味悪い世の中になりそうです。(草案読めば何となくわかりますけどね)安倍政権について私のまわりの人たちには、それとなくボロクソに言ってみようと思います。
ところで私のコメントをブログで取り上げていただきありがとうございました♪
嬉しさと恥ずかしさで一日中ニヤニヤしてしまいました。まわりはさぞ気持ち悪かったことでしょう!
号外の発行、ありがとうございます。
憲法改正の議論が行われるようになった事自体は歓迎すべきことです。
改憲の議論がタブー化されており、思考停止の期間が長らく続きました。
その頃を思うと隔世の感があります。
しかし、憲法改正の発議のハードルを下げるのなら小選挙区制度から
中選挙区制度にすべきでしょう。
総選挙毎に雪崩を打って勢力図が変わる現行制度では憲法改正が
頻発する恐れがあり、どこの軍事独裁政権か、という恐れがあります。
諸外国では英国を始め小選挙区制の国が多いと聞きましたから、
改憲へのハードルが高いのでしょう。
そういう意味では、中選挙区制度で発議に必要な議員が三分の二、
というのはハードルが高すぎると思いますし、その反動で二分の一まで
引き下げる案が出ているのでしょう。
私は小学生の頃から「憲法改正」の必要性を意識していたので、
本来ならば諸手を挙げて賛成したいのですが、今回の憲法改正の
議論にはそうもいかないジレンマを抱えています。
それはなぜかというと、憲法だけでなく教育委員会制度の改正でも
そうなのですが、GHQ的制度からの脱却を目指す側が、自分達の
目指す制度改革が逆行される恐れを抱いていない「無邪気さ」にも
似た意識に危うさを感じるからです。
ベクトルが反転すれば、それこそ天皇陛下のお立場までも危険に
さらす可能性も秘めており、余りにも楽天的というか・・・。
教育委員会の件でも、社民党や朝日新聞的な思考回路を持った
勢力が推す首長が就任したら、教科書の内容からひっくり返される
心配をしないといけません。
護憲、改憲の立場の差はあれ、「憲法に対するファンタジー感」が、
日本の憲法を巡る議論が抱える問題ではないでしょうか。
「日本国憲法改正は必要である」という持論に微塵の揺るぎも
ありませんが、その点が気になります。
憲法改正の発議条件緩和を進めるなら中選挙区制度に戻すか、
外国勢力による日本国民の意識操作が為されないよう、
放送、報道の監視強化と共にあらゆる面での防諜強化が条件、
と私は思います。
号外の配信、ありがとうございました。
私は現行の憲法改正には賛成ですが、それには、各種法律との整合性はもとより、国会議員が党利党略・私益を越えて、最低でも数十年は耐えうる内容を将来世代のために整備してゆくことが、必須に思います。また、何より、
天皇陛下の御璽を以て成立している以上、安易に変更可能にすることは、
陛下の権威を貶めることになってしまいます。
そもそも、せいぜい4年,6年の寿命の昆虫のような賤しい国会議員の思うがままに変更されてよいハズもなく、合意形成の努力を散々怠ってきた過失のある自民党と心身虚弱首相が自らハードルを下げるとか、さすが幼稚な甘チャンと思わざるを得ません。
生放送の自民の憲法改正案へのツッコミ「憲法に道徳を書くな!」という言葉で教育勅語を思い出したので、高森さんが解説している動画を見返してみました。
それによると明治の憲法や教育勅語に関わった井上毅は、国が国民の良心の自由に干渉する、道徳に立ち入るのを論外としていて、教育勅語も上からの押し付けにならないように明治天皇の訓示という形をとり、あえて法的強制力を持たせないようにしていたとのこと。
こうなると自民党は明治政府以上の昔に戻ろうとしているジジイを越えたミイラのような集団なのかもしれないと思わされました。
こういうことはゴー宣で指摘される前に気付けなければいけないと思うのですが、やっぱり自分は大衆の域を出られないなと思ってしまいます。
自民党の憲法改正案って、公務を憲法に記入してますよね( ;´Д`)
政治利用する気マンマンですなあ。
号外の発行、ありがとうございます。
政治の現場に身を置いている身ですが、直感として、日本人は「自由主義」と「デモクラシー」の区別がうまくできていないようです。これが、安倍首相の増長をもたらし、日本を危うくしているのではと考えます。
哲人王の暴走よりはマシとはいえ、デモクラシーはキリストを磔にし、ソクラテスを死刑にした「制度」であり、本質的には危険なものです(ある意味、デモクラシーを民主”主義”と訳しているのもおかしいと思います)。
この「少しマシだけど危うい制度」を安全化するために、西欧ではローマ以来「自由主義」が存在してきました。憲法、三権の分立、王様から行使を委託される権力(立憲君主制)、報道による監視、選挙で選ばれない議員(貴族院)など、権力の集中を敢えて防ぐことで、デモクラシーの暴走を食い止めてきました。アメリカ合衆国憲法は如何に連邦政府の独裁を許さないかという、「中央権力への不信」に基づいています。
人類の歴史を振り返れば、リベラルな独裁がデモクラシーを生むことはありました(韓国の軍事政権、台湾の国民政府、ポルトガルのサラザールなど、あくまで結果論ですが。)
しかし、デモクラシーが自由主義を生んだことは決してありません。選挙で勝つには外に敵を作って国民にカネをばら撒いて「俺の下に集まれ」と脅し半分で叫ぶのが一番効果的ですから。そこに寛容な自由主義がはぐくまれる土壌はありません。ナチス・ヒトラーがそうですし、ソ連解体後のCIS諸国でも選挙で終身大統領が選ばれています。ユーゴのミロシェビッチも選挙です。イラクでは多数派のシーア派が少数派のスンニー派を抑圧し、却ってテロの温床になっています。
安倍首相は「リベラリズム」の人ではなく、「デモクラシー」の人です。それも無害化された「リベラルデモクラシー」ではなく怨嗟と排外主義をバックにした「ネトウヨデモクラシー」の。
選挙に勝って多数派さえ得られれば何をやっても許される、いや許されなければならない。自分達は祖国を背負っている。イエスかノーか。ゼロか100か。愛国か売国か。
ストレス発散で政治に消費者として臨む人々には、「時間をかけて賛否両論様々な英知を募って最前の落としどころに…」などというのは、唾棄すべきもののようです。憲法96条の改正や「日本の首相は権限が弱いので権限集中を」などは、デモクラシーの誤解かリベラリズムへの憎しみがないと出てこないアプローチです。
実際には、日本の首相は世界でも例がないほど強い権限(議会の不信任なしで解散、軍=自衛隊の最高指揮官:普通は王様から委託、最高裁判事の任命など)を有してるのですが…。
最近では「農家特権を潰し、百姓を飢え死にさせるためにTPP賛成」という意見さえ、ネット掲示板では出始めています。「在日特権解消のため、生活保護削減」の焼き直しです。
我々はグローバル化やネット化から、最終的には逃れることが出来ません。どんなに町の商店街を守れと言われても、Amazonやイオンモールで安い買い物をしてしまいます。それが最終的には更なる格差や国民同士の断絶、憎しみ、生きにくさ、安倍晋三2.0やネトウヨ2.0を生むことは分かっていても、「日々の生活」や「現場」が今やそうなってしまっているからです。
よしりん先生は「今、愛国を体現すればリベラルになる」と仰られていたように、我々は今、「自由の未来」について真剣に考えるべき時に来ているのだと思います。
そして、それが無力な抵抗でしかないのなら、最後の防衛線として、「政治の無力化(ネトウヨが総理になっても国や国民が安全なくらい、政治がやれることを減らしておく)」に着手する必要があるのかもしれません。