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【第294号】いつから母は「鬼」になったのか?
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【第294号】いつから母は「鬼」になったのか?

2020-06-15 07:00
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    山田玲司のヤングサンデー 第294号 2020/6/15

    いつから母は「鬼」になったのか?

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    今週解説した「鬼滅の刃」は、とにかく「激しい」漫画だった。


    全編に渡ってこれでもかという残酷描写が続くし、身体欠損描写の表現も容赦がない。

    作者は全力で登場人物たちの「痛み」を伝えようとしている。


    その痛みは身体的な苦痛から精神的苦痛に至るまで、あらゆるバリエーションで読み手に迫ってくる。


    この漫画を読んでいて感じるのは、作者の抱えている「痛み」だ。


    その痛みが本当だからこそ、「痛み」に苦しむ多くの読者の心に届いたのだと思う。

    作者はそんな「痛み」を主人公の炭治郎を通じて救済しようとしている。


    自分自身も家族を殺され、妹を「鬼」にされ、限界状態にいる炭治郎が、同じように大事な人を殺され「壮絶な痛み」を抱えた多くの登場人物の心を癒やす。


    その方法は、辛い思いを抱えて生きてきた人の「心の声」を代弁する形でも行われる。


    「本当は辛かったんだ!」


    「かわいそうじゃないか!」


    「こんなの嫌だ!」


    「非情な現実主義者」には論理的に破綻しているように見えても、そんな事はどうでもいいのだ。


    「この人は辛かったんだよ、かわいそうじゃないか」と炭治郎は叫ぶ。


    まるで「お母さん」のように。



    【地獄なのはわかってる】


    数年前までの世の中の考え方の主流は「評価主義」と「自己責任論」だった。

    世の中は甘くない。結果を出せないヤツが悪い。「バカ」という言葉もやたらと目にした。


    多くの年長者は若者に「この世は地獄だ、甘えるな」と言っている。

    若者から言わせれば「そんなのわかってますよ」という感じだろう。


    世の中が地獄なのを知っているから「黙っている」のだ。


    そして1部の人を除いて「自分だけはうまくやれる」なんて思っていない。

    かつての「ベンチャー成功者」に憧れるような空気も数年前に終わった感じがする。

    それでも書店の新刊の棚には相変わらずの「策略本」が並んでいるけど、これは単に「新しい価値」を提示できないまま「以前のヒット作」の延長で同じような本を出版しているにすぎないと思う。


    そんな中「鬼滅の刃」だけが売れる、という現象が起こっている。


    読んでみるとその理由がよくわかった。


    鬼滅の刃の中には、みんなが本当にもとめていた「優しいお母さん」がいるのだ。


    鬼滅の刃の世界には壮絶な戦いの合間に「ささやかな暮らし」の描写が入る。

    そこでは女の子たちが「おにぎり」を作ってくれたり、盗み食いをする少年に「内緒のご飯」をくれたりもする。


    辛すぎる過去のせいで「世界のすべてがどうでもいい」と思うようになり、自分では何も決められなくなった少女に「自分の心で決めていいんだよ」と言ってくれる。


    「策略」なんかいらない。


    「辛かった気持ち」をわかってくれるだけでいいのだ。



    【母はどこへ行った】


    問題は沢山あったけど、かつての日本の家庭では、父親が「理屈と常識」で子供を叱り、母親が「理屈を超えた情愛」で子供の心をフォローする、というパターンがあった。


    「こんな成績で社会に通用すると思うのか!」と父が叱咤し、「頑張ったんだからいいのよ。仕方ないわよ」なんて母が慰める、というやつだ。


    これはこれで問題はあるのだけど、少なくとも「ある程度のバランス」は維持できたし、子供も「世界は地獄だ」なんて思わずに生きられたと思う。


    人間は「無条件で愛してくれる母」を求める生き物なのだと思う。


    60年代の高度成長が終わろうとする時期に「母もの」というジャンルが流行り出した。


    定番の「母をたずねて三千里」「星の子チョビン」「銀河鉄道999」なんかもそうだ。

    「東京だョおっ母さん」「母に捧げるバラード」「ボヘミアン・ラプソディ」なんかもその文脈だと思う。


    主に団塊世代が故郷を離れて「実家の母」と別れたのもその背景にあるだろう。

    都市への集中、地方の過疎化、母との離別がこの時期同時に起こったのだ。


    ドラえもんが登場するのは1969年。

    高度成長期のクライマックスにあの漫画は登場する。

    日本中に「物質的な豊かさ」と「過酷な競争」が同時に訪れ、激しい戦いの季節が始まっていた。


    そんな時代に生まれた「ドラえもん」に出てくる母親の多くは「怒って」いる。


    のび太の母もスネ夫の母も子供を怒鳴る。ジャイアンの母は子供を殴る。

    そしてどの家庭も「父親」の影は薄い。

    藤子先生は当時の家庭の雰囲気をかなり的確に描いていると思う。


    これもまた定番の話だけど、母たちは決して子供を愛していないわけではない。

    愛しているからこそ「世の中で戦えるだけの強さと賢さ」を身に着けて欲しいだけなのだ。


    しかし、それ以前に子供が求めているのは「無条件の優しさ」だ。


    単に「頑張ったね」「つらかったね」と言って欲しいだけだったのだ。


    そんな「言って欲しかった言葉」を2020年に「鬼滅の刃」の主人公が言っているのだ。


    同じく今の時代のヒット作の「3月のライオン」でも、血の繋がりのない「あかりさん」が同じような優しさを見せている。


    これらの漫画を読んでいる今の若者世代の人達が「母」や「父」になる時には、そんな「優しさ」が戻ってくるのかもしれない。



    【鬼の姿】


    一方で「コロナの世界」で社会の裏に隠れていた「鬼の姿」も見えてきた。

     
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