今回のお題は『映画プリキュアオールスターズDX3 未来にとどけ!世界をつなぐ虹色の花』。プログラムピクチャーとしてど真ん中の内容だけに参加者の(僕も含め)皆さんは苦労されたようで、「正面から作品に向き合って、その作品の固有の魅力を引き出す」ということができている原稿は少なかったのが実情でした。このあたりは次回以降の原稿執筆の反省材料としたいところですね。次回は想定媒体として「個人ブログ」「同人誌」をNGにしようかとも考えています。
年内にもう1回やりたいと考えていますので、興味もたれた方、捲土重来を期したい方、是非!
第1位
原稿【52】/瓶子修一/想定媒体:3DCG業界向けWEBの宣伝コラム
(本文)
たとえどんな困難があっても私たちは立ち止まらない。私にはスタッフの決意の言葉の様に聞こえた。
華やかなコスチュームの21人からなる大勢のプリキュア達、挫けず、ひたすらに前を向いて立ち向かう姿勢に胸にこみ上げて来るものが、確かにあった。
プリキュア第10弾の劇場作品は作画を凌駕するようなキャラクター達の3DCGのオープニングの幕開けと共に、異世界へと招待される。
オープニングを担当したのはサンジゲン。彼らの名前はアニメファンの中でも浸透してきている。旧来のメカ、エフェクト主体の3Dから、キャラクターアニメーションをも手掛けるCGプロダクションである。キャラクターの造形だけでは、日本アニメ特有の原画を意識したタメツメのあるアニメーションにはならない。
カメラ前でのワンアクションでヒロイン達のかわいらしさに華を添えるCUTを見ると、もうすでにCGアニメーターが作画マンのように個性を見せる時代が到来したのだと確信させる物だった。
このシーンの重要なショットを担当したのはサンジゲンの名倉晋作、植高正典、石川晋平だ。彼らはサンジゲンのエースでありこの秋公開される『009 RE:CYBORG』のメインメンバーでもある。
3DCGは歩留りを考えた段階的なチェックが一般的だが、彼らの特徴は常に後ろを振り向かず前を向いて作業を進める所。まるで劇中のヒロイン達のそれと一緒だ。
3DCGはまだまだソフトウエア開発の途上で、3D空間では日本アニメらしい空間の嘘をつけ辛い、それに対して彼らは躊躇なくマウスで絵を描き加えていく。
当然、カメラワークや演技プランが変更になれば、すべて0からやり直しになる事は覚悟の上で、だ。
一方、不可能に思える物量を一本の作品として描けたのは、東映動画という歴史あるスタジオのTVシリーズを通して参加してきたメインスタッフと、アニメ業界の第一線で活躍するアクション、キャラクター描画の作画の達人らの功績である。
ヒロイン達は絶えず必殺技を繰り出す、打って変わり日常のシーンではキャラクターは豊かな表情で楽しそうに振舞う。アニメの魅力が凝縮された一本。
東映動画の巧みな演出技術により、ヴォリュームコントロールがなされている点も見逃せない。子供達が楽しみにしている映画を届ける。その諦めない気持ちと、戦略はCG業界にも不可欠な要素である。
第2位
原稿【34】/霧越真秀/想定媒体:映画誌のアニメ映画特集
(タイトル)
「オールスター映画」の魅力と難しさ
(本文)
オールスター映画、というのは実にバランスが難しいジャンルの映画である。
きら星のようなスターが一堂に会し、一つのスクリーンで共演を果たす。映画好きならずともその名を聞けば胸躍る。ましてそれが世界を救う可愛らしいヒロインが21人も、ともなれば格別だ。
だがそれだけの数のキャストを裁き、起こし承け転がし結ぶのは簡単ではない。スクリーンにスターが映っていても、作中で相応の活躍をしていなければ、活劇の中で意味のある動きをしていなければ映画ではない。プリキュアオールスターズDX3は、オールスター映画の魅力と難しさを同時に感じた映画だった。
筆者の個人的な趣味であるが2つのタイプのオールスター映画を取り上げて解説したい。
まずは『新幹線大爆破』('75 東映)。主演に高倉健、共演に宇津井健、千葉真一と名のある俳優をそろえた、日本パニック映画史上に輝く傑作だ。が、同時に東映のオールスター映画として制作されたため、丹波哲郎、竜雷太、藤田弓子などの名バイプレイヤー、カメオレベルで志穂美悦子、田中邦衛、北大路欣也などをそれこそ使い捨てていく。『とにかくスターを出す』ことでノルマを消化しつつ、メインキャストの織りなすドラマに芯を通すため選ばれた手法だろう。
もう一本は『エクスペンダブルズ』('10 米)。ハリウッドのアクション映画で名を馳せた面々を取りそろえ、キャスト陣を活躍させるため『だけ』の舞台装置を用意。スタローンが口径の大きい銃を撃ち、ジェット・リーがカンフーをキメ、シュワルツェネッガーがスタローンのライバルとして登場する。予告編から想定できる内容から一切ぶれることのない、『見たいもの見せましょう』と主演俳優のイメージをそのまま借りて作ったような映画だ。
プリキュアオールスターズは、明確に『エクスペンダブルズ』の作り方と言える。プリキュアたちの可愛さと格好良さを「これでもか!」とスクリーンにたたきつける作品だ。
ストーリーはシンプルそのもの。『悪い奴らが秘宝プリズムフラワーを狙っている。奴らの手に落ちたら世界は滅ぶ!守れるか、プリキュアオールスターズ!?』。このシンプルなストーリー故に、プリキュアの縦横無尽のアクションと愛らしさを存分に味わえる作品に仕上がっている。
過去の2作では『プリキュアたちが全員集合!』『新米プリキュアの危機に先輩が駆けつける!』という楽しさがあったが、流石に3作目ともなるとさらなる趣向が必要。本作では『過去の劇場版のラスボス総登場』『プリキュアチームのシャッフル』と言うアイディアが光る。
プリキュアはシリーズごとに構成されるチームでの闘いが基本。だが、今回は3つの異世界にバラバラにされてしまう。異なるシリーズのプリキュア同士の噛み合わない会話は味わい深く、各人の個性を活かした逆転劇は大きなカタルシスを生む。そして、敵の仕掛けた罠を打ち破って再集結したプリキュアたちは背後の大ボス『ブラックホール』に挑む!
プリキュアシリーズの見せ場は、変身シーンや名乗り、繰り出される必殺技シーンの美麗な動画の数々。だが、流石に6シリーズ21人分ともなれば壮観の一言だ。変身シーンと名乗りは短縮されても3分、各シリーズメンバーの必殺技シーンは新規書き起こしとはいえ5分強。メインディッシュを立て続けにテーブルに乗せてくるかのような映像の数々は、さすがに眼に堪えるが、一種のドラッグ性も感じさせてくれる。
そして、プリキュアの映画シリーズに欠かせない演出である『ミラクルライト』についても触れておく。巨大な敵にはプリキュア21人とはいえども容易には勝てない。勝利には『みんな』の応援が必要…その『みんな』とは誰?と言うと、スクリーンの前の子供達の事なのだ。プリキュアたちが絶体絶命の危機に陥ったとき、劇場で配られる『ミラクルライト』を振って応援してくれとスクリーンの向こうから妖精が呼びかける。子供たちはそれに応える。するとプリキュアは新たな力を得て再び立ち上がるのだ。これは唐突な逆転劇に説得力を与える「一回性」の高い演出で、お祭り映画を盛り上げる劇場でしか味わえない仕掛けだ。
このようにオールスター映画として高いクオリティを見せる作品だが、流石に21人は多すぎる。ましてプリキュアはこれからも続くのだ。『見たいもの見せましょう』映画としては限界点に近い作品だったとも言える。もはやメンバーシャッフルまでやってしまった以上、全員に見せ場を作るというのもこれ以上アイディアは出てこないかも知れない。
それ故か、「DX」を冠する作品はこれが最後となった。最新作の「プリキュアオールスターズ NewStage」('12 東映)は、メインのドラマを作る映画オリジナルキャストを、最新のプリキュアである『スマイルプリキュア』と前作『スイートプリキュア』の面々が導き、他のプリキュアはゲストあるいはカメオレベルの出演に留めるという『新幹線大爆破』式になってしまった。『見たいもの見せましょう』も70分という上映時間では物理的に不可能との判断からと思えるが、これを残念と感じる者も多いだろう。
「プリキュアオールスターズDX3」は、オールスター映画の魅力と難しさの双方が味わえ、考えさせられる映画である。今や東映アニメーションの看板となったプリキュアシリーズ。これからも新たなプリキュアは生まれ続けるだろうが、プリキュアオールスターズが不滅かどうかは…許された上映時間との闘いになっているのかも知れない。
第3位
原稿【26】/磯部正義/想定媒体:映画雑誌
(タイトル)
〈再会〉の魅力
(本文)
突然、妖精たちの住む異世界とつながってしまった巨大ショッピングモール。たまたま遊びに来ていた響と琴はつぼみたちと出会い、自分たち以外にも大勢のプリキュアがいることを知る。異変の原因が邪悪の神・ブラックホールにあることを知ったプリキュアたちは、世界をつなぐエネルギーの源であるプリズムフラワーを護るため、ブラックホールの脅威に立ち向かう……。
2004年にTVシリーズ第1作『ふたりはプリキュア』の放映が開始されて以来、毎年新たなタイトルを送り出してきた「プリキュア」シリーズ。本作はその劇場版第10作目を記念する作品であり、各作品で主役を張ったプリキュアたちが一堂に会する『DX』シリーズとしては第3弾となる。登場するプリキュアたちは総勢21名。変身して名乗りを上げるだけで3分30秒ほどもかかってしまうのだから「いつの間にかすごい数だな、プリキュア!」という敵キャラクターの台詞もしごく当然といえる。ほとんど女学校ひとクラスぶんに相当する人数の主役たちがそろい踏みするさまは〝DX〟の名に恥じないスペシャルな見ごたえといえるだろう。
これだけ大人数の主役クラスが登場する映画としては、本作の71分という上映時間はいかにも短い。21人の戦いを描くにあたって、だから当然のようにこの映画は、いきなり本題にずばりと切り込んだかと思うとそのままラストまで走りきるような、ギリギリまで密度の詰まった展開になっている。そのさい端折られている最たるものは、プリキュアに変身する彼女たちについての紹介と説明だろう。『DX』シリーズも3作を重ね、彼女たちは新入り二人を除いて互いに顔見知りである。そのことが映画の導入を単刀直入にする上で最大限活用され、自分たち以外のプリキュアが大勢いる状況についていけない響たちの驚きもさめやらぬうち、映画はあれよあれよという間に強大な敵との戦いへと進んでいく。
各シリーズのファンシーなマスコットキャラクターたちも勢ぞろいして、観客とともにライトを振りながら応援する中、復活した顔なじみの敵たちといまいちど戦い直すという『DX』シリーズおなじみとなったスタイルは、本作ではほとんどそれのみを残すような形にまで徹底して純化されている。この映画に感じる風通しのよさは、端折れるだけのことを端折って走りきる、その絞り具合からくるものかもしれない。
*
別な言い方をすれば、この映画はまるで、ひとつの大きな物語を途中から見始めたような映画である、ということができる。『プリキュア』に限らずTVシリーズの劇場版には多かれ少なかれそうした側面があるが、本作のそれはとりわけ際立っている。だからたとえば、なんとなく時間をもてあましてふらりと映画館に入った『プリキュア』を一度も見たことのない観客――そんな観客がいるとして――にとっては、画面で起こっていることは理解できても、彼女たち、とりわけ新人ふたり以外のプリキュアたちに感情移入することはむつかしいだろう。彼女たちに思い入れるための前段はこの映画のなかにではなく、2004年いらい積み重ねられてきたシリーズの記憶のなかにあるからだ。
ラスト近く、プリキュアたちは世界を救うか、ながく苦楽をともにした妖精たちと二度と会えなくなるかの二者択一を迫られる。彼女たちは涙ながらに「気持ちが繋がっていれば、離れていてもいつも一緒」だと、妖精たちとの別れを決意するのだが、それを見る観客の目に熱いものがこみあげるとき、その感情のたかまりを担保しているのは、映画が始まる前に積み重ねられてきた物語の記憶である。この映画のなかで起こっていることは、それらの記憶を共有するのでなければ、ほとんど約束事のなかのできごとにしか映らないだろう。そしてそのことは本作の価値を、いささかも損ねるものではない。この映画は誰かと初めて出会うためにではなく、かつてTVに向かって応援した彼女たちと〈再会〉するためにあるからだ。
『映画 プリキュア オールスターズDX3 未来にとどけ! 世界をつなぐ★虹色の花』は、かつてTVシリーズで主役を張った顔なじみのヒロインたちと再会するための映画である。TVシリーズの劇場版、という形式のなかには、つねにいくぶんか、この〈再会〉の要素が含まれている。そのことがこの形式の映画を、独立した作品として評価することをさまたげている側面も、あるのではないだろうか。『DX3』は、TVシリーズの劇場版という形式の魅力を、これ以上ないほど明快なかたちで抽出してみせる。知らずに劇場に入ったひとは、同窓会に闖入した部外者のように、居心地の悪い思いをすることになるかもしれない。だがそのことは、同窓会の価値を否定するものではないことは言うまでもないだろう。出会いの意味は、初対面にだけあるのではないのだから。