「降臨10本勝負の最後でゼウスを撃破したのを見て驚いて。『この人は神だ!』くらいに思って。で、その次の日にすぐ履歴書を書いてAppBank Store 新宿の募集に送ったんです」
 この前、番組の準備中にくらっしーと話していてAppBank入社の経緯を聞いた。2014年2月21日にニコファーレで行われたパズドラ2周年の生放送を見て入社したいと思ったらしい。で、今はまんまとイベントチームにいるのだから大したものだ。
 あれが2年以上前の出来事なんですね。思い出に浸ると老けるのであまり昔話は好きじゃないんですが、あれほどのシチュエーションは向こう10年は整わないでしょう。ある種の偶然が絡まないとあのレベルの弾みは生まれません。でも皆さん、思いませんか? あの舞台で行われたことはスマホゲームです。何らかのギネス記録に挑戦したわけでもなければ、世界に貢献する実験結果の論文発表が行われたわけでもありません。掌サイズに収められたゲームの結果の行方にあれほど熱狂するというのは、本来ならばおかしなことなのです。



 突然ですが、皆さんの人生経験の中でおおよそ成功と呼べる出来事ってあるでしょうか。早い人だと例えば小学生ぐらいから授業で強制参加させられる書道や絵画が学区内でのコンクールで賞をとったり。運動系だとスーパーキッズと呼ばれる才能が早くに見出されたり、甲子園に出場したり。僕は書道は筆圧が強すぎて毛筆がまるで使えなかったし、絵の方はと言えば「27歳 ホールスタッフ勤務」が限界なわけです。運動も苦手で、50m走は11秒台に辛うじてかからない程度の10秒台でした。そういった賞レース?等とは程遠いところにあった人生で、例えば芸人の「永野」もブレイクまで21年かかったし、成功体験を得るまで時間がかかったり運が必要だったり、誰もが恵まれるとは限らないわけです。

3c8c9f4984ebf73773ab5dd95b0a123a22e22fde
(賞レースとは無縁な中條Dの画力 9/3/2015)

 そうした成功体験は滅多に得られることはなく、殆どの人が成功体験に飢えることになります。そうした中、その飢えをある程度癒やしてくれるのがゲームです。ゲームは進めていく中で細かな難易度の上昇があり、途中で進行が詰まる場面に出くわし、その後ゲーム内のヒントやアイテムなどで難関を突破したりします。これはつまり小さな成功体験を与えられている状態です。このフローはゲーミフィケーションという言葉が生まれるくらい、不自然さを感じさせずプレイヤーを満足させます。だからみんな夢中になります。だけどそんな中、ふと思います。なんで俺はこんなにゲームばかりやってるんだろう。ゲームばかりやっていても、何にもならないはずなのに。ゲームから与えられていた成功体験だと思っていたものが、実は仮想世界の物だと気付いてしまう瞬間を迎えます。要は、ゲームの中でどんなにモンスターを倒しても自分は強くならないし、どんなにゴールドを溜めても自分の貯金額は増えないし、どんなに強力なアイテムを手に入れても自分の着ている服はTシャツのままなのです。「ゲームばかりやっているとロクな大人にならないわよ!」という母親の言葉が身に沁みるようになります。