批評家の濱野智史さんによる新連載「リハビリテーション・ジャーナル」です。指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」にかかり、人工股関節を入れる手術を受けるため、約1ヶ月間の入院生活を送ることとなった濱野さん。人生初の経験となる長期にわたる入院生活、そしてその後のリハビリ生活の中で見えてきたノウハウやメソッドを紹介しながら、「健康」と「身体」を見つめ直していきます。第3回目は前回に引き続き、入院生活に欠かせないIT&デジタル環境の必須リストを紹介してくれました。
リハビリテーション・ジャーナル──入院編:入院生活に欠かせないIT&デジタル環境の必須リスト(後編)|濱野智史
アプリ編
・動画配信サービスアプリ(Netflixなど):これは各個人が普段からサブスク利用しているもので全く問題ないのだが、重要なのは上の「病室ガチャ問題」(携帯電波が繋がらない可能性)に備えて、あらかじめ視聴したいコンテンツを端末にダウンロードしておくべし、ということだ。
ちなみに私は上で書いたとおり事前にその懸念が大いにあったので、最悪ベッドでは電波が繋がらないことも想定し、あらかじめ見たいコンテンツはNetflix, Amazon Prime Video, U-NEXTなどでダウンロードしておいた(ただしU-NEXTだけは1ヶ月間トライアル無料期間だけを狙って、入院前日にトライアルを開始してダウンロードしておき、退院前に解約してしまったが)。
ふだんNetflixなどで「あ、これ見たいと思っていた映画/アニメだ」と思ってマイリストには入れたものの、まとまって観る時間や意欲がなく、いわゆる「積読」ならぬ「積視」したまま溜まっている動画は誰しもいくらかはあるはずだ。入院生活はそれを一気に消費する格好の機会である。また、ここでは動画視聴アプリを前提に書いたが、電子書籍アプリ(Kindleなど)やゲームなどについても、タブレット端末へのダウンロード/最新版へのアップデートだけは忘れずにやっておこう。
・NHKプラス:私は今回の入院中、ベッドの横にあるテレビの電源を一回もつけなかった(そもそも私はこの10年ほど、自室でテレビを見る習慣をなくしており、入院中も観る必要性は感じなかった)。それはよいのだが、これには特筆すべき理由がある。なんと私が入院した病院では、テレビの利用代として1日500円も徴収していたのだ。数日ならまだしも、私の場合は1ヶ月近い入院なので、もしうっかりテレビ代を徴収されていたら15000円近い出費になっていたわけだ(Netflixが何ヶ月も契約できてしまう!)。
もちろんこんな恐ろしい無駄金を払うわけにはいかないので、私は入院時に「テレビは一切利用しない」と受付に伝え、テレビ利用料は払わずに済むようにしていた。最近はテレビを観ない患者も多いのだろう。入院時の提出書類には、テレビを使うかどうかの設問項目がわざわざ用意されていた。ただし病院によってはこのあたりは事情が異なると思われるので、テレビを観ない人は必ず事前にチェックしたほうがいい。
とはいえ、入院時はただでさえ外界と物理的に切り離されてしまい、もはや外の気温が暑いのか寒いのかといった基本的情報すらも感覚的に得られなくなる(晴れているか、雨が降っているかは窓から見ればわかるが、肝心の外気温が全く分からない)。そのため、天気情報だけでもいいから、なんらかの世俗的世界との接点(インターフェイス)は持っていたほうがよい。
そこでちょうどよい媒体となるのが、「NHKプラス」アプリである。特に登録などしなくても利用可能だが、NHK・Eテレをアプリでリアルタイム視聴できるので、いわゆる「朝8時のニュース」などを観るために使う。ちなみにNHK受信料を払っていれば「見逃し配信」などを使えるアカウント登録も可能だが、その機能は使わなくても問題はない)。
私の場合は、主に朝食・昼食・夕食などの食事中に、BGM代わりにNHKニュースをながら見するのが日課となっていたが、これは入院生活中のリズム的にもおすすめである。また、もちろんこれはradikoなどでラジオ番組を視聴するのでも代替可能だろう。私は普段ラジオを聞く習慣がないので使わなかったが、同室内ではラジオを聞いている患者さんもそれなりにいた。
・「ジャーナル」(日記アプリ):私は今回の入院を期に、はじめて「ジャーナル」アプリ(2023年からiPhoneに標準でインストールされるようになった日記アプリ)を使って、入院生活のちょっとしたことを記録するようにした。これは入院生活中にとてもおすすめできる習慣である。とはいえ手段はなんでもいい。本アプリは要するに「自分だけが執筆・閲覧できる日記アプリ」に過ぎないので、それこそ文章・メモが書けるアプリであればなんでもよい(標準のメモでも、EvernoteでもGoogle KeepでもNotionでもその他ToDo管理アプリでもなんでもOK)。もちろん、手書き派は手帳か日記帳を持ち込むのでもよいだろう。
さて何を日記に書くのかという話だが、私の場合はそれこそ映画やドラマの感想を書いたり、配膳される入院食の写真を撮って記録したり、歩行リハビリの内容・進捗や筋トレの方法などを日記に書いていた。SNSと違って自分しか読まないので、文章の可読性をそこまで意識する必要はないし、誤字脱字も特に気にしなくて良い。もちろん写真の映えも気にしなくていいし、いいねやメンション・リポストといったリアクションも一切気にする必要もない。むしろそのほうが、のびのびと「言語」を通じて自分と向き合えることに気づくだろう。私のように、すでにSNS(X, Instagram, Facebookなど)を普段はやっていない/やめてしまった人には特におすすめしたいし、SNSをやっている人にもおすすめしたい。
入院中に日記を書くメリットは大きい。とかく入院中は変化に乏しいので、少しでもポジティブなことがあれば日記に言語化をしておくとよい。たとえば私の場合、読み返すと、「久しぶりのシャワーがとんでもなく気持ちよかった。ありがたかった」「久しぶりに飲んだコーラがたまらなく美味しかった」「マーガリンの油分と塩味が美味すぎてやばかった(実際、入院中に一番美味しかったのがこのマーガリンだった。病院食は味付けが簡素なので、マーガリンに限らず、”外部”の味がそのままする調味料をとにかく美味に感じやすいのである)」といった些細なことを大量に書き残している。これによって、ちょっとした院内生活での幸せを確認できて感謝の気持ちが生まれるし、「自分はこんなことでも幸福を感じるのだな」という気付きにも繋がる(そしてそこでの気付きが、退院後の生活改善にも繋がっていく)。
事実、私は退院後もジャーナルアプリでの日記付けを習慣的に続けており、特にプール・ウォーキングをしたあとには、そのとき歩きながら考えたり思いついた内容などをメモするようにしている(実はその内容が、この原稿を執筆する際にも大いに活かされている)。日記を書くという行為が、なにかとメンタルヘルスや知的活動に良いことは広く知られているが(私も若い頃は紙の日記を大量につけていたのだが、いつしか加齢とともにその習慣を失っていた)、今回の入院をきっかけにその習慣を取り戻せたのはとても良かったと考えている。
余談:「アーキテクチャよりもコンテンツ」への転向(態度変更)
ちなみに余談だが、今回の入院生活で私は「入院時にはゲームよりも映画のほうが有意義である」という転向(態度変更)を迫られることになった。これはなぜかというと、「自己の人生を振り返る/反省する/感情移入する」といった感情作用を得ようとすると、こればかりは映画やドラマなどのコンテンツのほうがてっとり早いことに気づいたからだ(あまり好きな言葉ではないが、そのほうが「タイパがよい」のである)。
といっても、なぜこんな当たり前の話をわざわざしているのかわからない読者も多いと思うので補足しておく。かつて私は評論家としてデビューした20代後半のとき、(情報環境が台頭してきた昨今、批評的に重要なのは)「コンテンツよりもアーキテクチャ(=物語よりもゲーム)」というスタンスを取っていた。実際、私は人生の娯楽体験の大半をもっぱらゲームに費やしてきたし、それで良いと思って生きてきたのである。なので今回の入院でも、もっぱらゲームをするつもりで入院した。実際、ゲームにはプレイヤーを飽きさせずに継続的にプレイさせるための最適なアーキテクチャ(環境)とユーザー体験(UX)がふんだんに用意されており、実際に人気のあるゲームであれば、必ずそのための仕掛けが巧妙に組み込まれている。このゲームのメディア特性じたいは変わらないし、暇つぶし・時間消費の観点では非常に効率的なメディアである。だからこそ入院中もゲームが最強だと私は疑っていなかった。
ということで私は入院中、普段からやっている中華製ソシャゲRPGの「原神」「崩壊:スターレイル」を日課として続けるのはもちろん(当然、入院中にガチャも回している)、それだけでは時間が持たないので「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」のアプリ版を購入してプレイした。しかし、(もともとあまり好きなナンバリングではなかったが)ドラクエ8をプレイしてもなんの「感動」もないことに愕然とした(そもそもドラクエにその体験を期待するほうが間違っているのではあるが)。
それよりも、Netflixで観る「三体」や「ドライブ・マイ・カー」といった動画作品のほうが、はるかにわかりやすく直接的に感動体験をもたらしてくれる。具体的には、感情移入のしやすい登場人物(たとえば私と同じように難病を抱えるキャラクターや、同年代・同性の「中年の危機」を抱えたキャラクターなど)が登場し、それらに対し容易に自己を投影して物語を享受し、喜怒哀楽といった感情に身も心も委ねることができる。そこにはややこしいチュートリアルも操作もレベル上げも聖遺物厳選も必要ない。要するに動画コンテンツのほうが、アリストテレスのいう「ミメーシス(感化・感染)」と「カタルシス(浄化)」のコスパ/タイパが圧倒的に良いのである。今回の入院は、そんな当たり前の事実に改めて気付かせてくれた。