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20:00〜放送 PLANETS批評座談会〈成瀬は天下を取りにいく〉

ご視聴はこちら→https://live.nicovideo.jp/watch/lv344727629
毎月話題作を取り上げて語り合う「PLANETS批評座談会」。今回の作品は、『成瀬は天下を取りにいく』です。
宮島未奈のデビュー作にして、2024年本屋大賞を受賞したの衝撃作。この異例のヒットが現代の文学界に何をもたらすか、本屋大賞発表を踏まえて語り合います!

▼出演者
宇野常寛(評論家・PLANETS編集長) 三宅香帆(書評家)
柳瀬博一(編集者、作家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)

  • 会員無料

    放送予定 10/02 20:00 - 

    タイムシフト予約 7

    毎月話題作を取り上げて語り合う「PLANETS批評座談会」。今回扱う作品は、『虎に翼』です。 日本初の女性弁護士・三淵嘉子の実話を元に描かれる物語は、令和社会に何を問いかけているのか。完結直後にじっくりと語り合います。 ▼出演者 宇野常寛(評論家・PLANE...

  • 会員無料

    放送予定 10/09 20:00 - 

    タイムシフト予約 11

    毎月話題作を取り上げて語り合う「PLANETS批評座談会」。今回扱う作品は、『呪術廻戦』です。 2024年9月30日発売の「週刊少年ジャンプ」44号で最終回を迎える本作。完結直後にじっくりと語り合います。 ▼出演者 石岡良治(批評家・早稲田大学准教授) 宇野常寛...

メルマガ

  • 『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の達成 アイドルの成熟から大ガールズバンド時代へ|徳田四

    本日のメルマガは、ライター/編集者の徳田四による寄稿文をお届けします。 近年のアニメシーンで話題の「ガールズバンドアニメ」。〈日常系〉の臨界点としての、かつての『けいおん!』と2010年代のアイドルブームからの転換は何を意味しているのか。昨年のヒットから話題の絶えない『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の達成を中心に考察します。 『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の達成 アイドルの成熟から大ガールズバンド時代へ 『ぼっち・ざ・ろっく!』『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』『ガールズバンドクライ』――2022年から毎年立て続けにヒットしている「ガールズバンド」アニメが、アニメ業界を震撼させている。2010年代以降のアイドルブームからの大転換、かつての『けいおん!』(2009)をはじめとする〈日常系〉の再解釈、「百合もの」の勃興、ロックンロール神話の再興、声優陣によるリアルライブと「2.5次元」、アニソンのグローバル化、3DCGアニメーションの現在地……ざっと思いつく限りでもこれだけの論点が提示される。いま「ガールズバンド」をどう語るべきか。アニメ視聴者にとっての最優先事項である。 表面的には「音楽アニメ」の主流が「アイ...

    2024-09-03

  • 中心をもたない、現象としてのゲームについて 第41回 第5章-7ハブとしての循環概念を評価する|井上明人

    ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う『中心をもたない、現象としてのゲームについて』。   「遊び-ゲーム」の分節を説明できる理論はいかにして可能なのか。「インタラクション」「学習」「循環」といった概念でそれを記述する困難を確認しつつ、改めて「遊び-ゲーム」を分節化すること自体の意義を問い直します。 井上明人 中心をもたない、現象としてのゲームについて 第41回 第5章-7 ハブとしての循環概念を評価する 5.7 ハブとしての循環概念を評価する 5.7.1 包含関係によるハブ概念としての循環概念  前回、「遊び-ゲーム」に関わる現象を観察する4つの観察モデルが、さまざまな遊び-ゲームを捉える説明(学習説や非日常説)の多くに適用可能なものであることを示してきた。  これは、いわば複数の要素間の循環のような現象がゲームを説明する鍵を握っているのではないかということを示すものだった。こうした複数の重要概念が、この4つの観察モデルを通して並列させてみることができるとは一体どういうことなのかを考えてみたい。  「遊び-ゲーム」にとって中心的な概...

    2024-08-28

  • 勇者シリーズ(7)「勇者警察ジェイデッカー」|池田明季哉(後編)

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載 『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』 。 今回は『勇者警察ジェイデッカー』について分析します。女性性の強いキャラクターデザインの主人公・勇太のビジュアルを引き合いに、戦後ロボットアニメが提示してきた「父性」「母性」のあり方を本作がどのように更新したのか考察しました。 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(7)「勇者警察ジェイデッカー」 母なる勇太、父たるレジーナ ファイヤージェイデッカー誕生は、次のような展開を通じて行われる。 かつてデッカードを倒したチーフテンは、紆余曲折を経て再びブレイブポリスの前に立ちはだかる。もともとは相棒を失ったことを悲しむ心を持っていたチーフテンは、しかし創造主たるビクティムが「強い者が全てを手にする」という「悪の心」を徹底させたことで、片方が片方を殺害し、そのパーツを吸収するかたちで一種の「グレート合体」を果たす。 これに対抗するためにデッカードとデュークもまた合体しようとする。しかしここで、合体してしまうとどちらか一方の人格が消えてしまうという問題が...

    2024-08-27

  • 世界文学のアーキテクチャ 終章 時間――ニヒリズムを超えて|福嶋亮大

    1、近代小説に随伴するニヒリズム 一八八〇年代に書かれた遺稿のなかで、ニーチェは「ニヒリズムが戸口に立っている。このすべての訪客のうちでもっとも不気味な客は、どこからわれわれのところへ来たのであろうか」と書き記した。ニーチェによれば「神が死んだ」後、人間の基準になるのはもはや人間だけである。しかし、神の死によって生じたのは、神のみならずあらゆる価値を崩落させ、意味の探究をことごとく幻滅に導く「不気味」な傾向であった。ニヒリズムとはこの「無意味さの支配」を指している。 ハイデッガーの解釈によれば、ニーチェの哲学において「意味」は「価値」や「目的」とほぼ等しい。つまり、意味は「何のために」とか「何ゆえに」という問いと不可分である。意味を抹消するニヒリズムが支配的になるとき、世界の「目的」や「存在」や「真理」のような諸価値もすべて抜き取られる。ニーチェが示すのは「諸価値を容れる《位置》そのものが消滅」したということである。われわれは世界に価値や意味を嵌め込んできたが、今やそれを進んで抜き取っている――このようなニヒリズムの浸透は、世界に「無価値の相」を与える[1]。目的をもたなくなった...

    2024-08-27

  • 世界文学のアーキテクチャ 第一四章 不確実性――小説的思考の核心|福嶋亮大

    1、不確実性を思考する 本連載もそろそろ終わりに近づいている。私はここまで、世界文学の中心を占める小説を、広義の人類学的対象として捉えてきた。人類の諸文化がそれぞれ世界理解の型をもつように、小説もいわば特異な人工知能として、世界を思考し、解釈し、再構成する力をもつ。人類と小説はドン・キホーテとロシナンテのように、異質な隣人として共生関係を結んだ。人間は小説を利用して、世界を了解し直す。その一方、小説は人間の利用を利用して、その流通の版図をグローバルに拡大してきたのである。 小説とは、隣人である読者=人間の心を巻き込みながら、思考を引き延ばす装置である。それは人間の心そのものではないが、人間の心の諸機能(知覚、想像、情動、想起、予測……)を擬態する能力をもつ。私は小説を、人間の心の動きを言語的なレベルに翻訳した《心のシミュラークル》と考えたい。この心の似姿は、ときにかえって本物の心以上に複雑怪奇な多面体として現れるだろう。心と言語を結合させた小説が、ウイルスのように流行し、人間の思考の不可欠の隣人になったのは、それ自体が人類学的現象として注目に値する。 心のシミュラークルとして...

    2024-08-27

  • 21世紀のジャポニズム 陰影「礼賛」から陰影「退散」へ(ニューヨークのイノベーションシーンについて 後編#2)|橘宏樹

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「 現役官僚のニューヨーク駐在日記 」。 今回はニューヨークで活躍する日本人のイノベーターとして、増田セバスチャンさんの近年のプロジェクトについて紹介します。「いま最もホットなレストラン」として現地で話題を集めている「Sushidelich」の「kawaii」コンセプトはどのような影響力を持っているのでしょうか。 橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記 第13回 21世紀のジャポニズム 陰影「礼賛」から陰影「退散」へ(ニューヨークのイノベーションシーンについて 後編#2) こんにちは。橘宏樹です。本稿では、 前々回 に引き続き、ニューヨークにイノベーションをもたらしている日本人をご紹介したいと思います。 ▲「 ニューヨークのイノベーションシーンについて(後編)#1 」で紹介した「Sakura Collection in NY」は、今年は、NYの最高級ホテルのひとつ「ピエール・ホテル」で開催されました。多数のセレブも来場するなか大好評を博し、 ForbesやFoxをはじめ極めて影響力のある雑誌でも取り...

    2024-08-27

  • 中心をもたない、現象としてのゲームについて 第40回 第5章-5.4 遊び-ゲームにおけるルールを循環モデルとして再記述する|井上明人

    ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う『中心をもたない、現象としてのゲームについて』。   ビデオゲームに内在するプログラム構造に対して、大会のレギュレーションなどの可塑的なルールといった「二層構造」の「ルール」があると言えるゲームについて、その構造をモデルとして抽象化し、遊び/ゲームの体験性の本質に迫ります。 井上明人 中心をもたない、現象としてのゲームについて 5.5.4 遊び-ゲームにおけるルールを循環モデルとして再記述する  一見すると構造が固定されているようなルールやゴールについても、循環モデルで記述しなおすことができる。  構造として固定されているものを、ルールやゴール、ソースコードといったゲームのメカニクス部分だと考えたとき、そこからその都度、算出されるのは一回ごとの試合などのゲームプレイにあたる部分になるだろう。  ビデオゲームのハードウェアやソースコードの改造が難しいような形で提供されているクラウド型のオンラインゲームのようなものでは、ゲームプレイを通じて固定された構造を変化させることは難しい[6]。ビデオ...

    2024-08-27

  • 中心をもたない、現象としてのゲームについて 第39回 第5章-5 ゲームを循環として再記述する|井上明人

    ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う『中心をもたない、現象としてのゲームについて』。   ゲームに「飽き」ることや「上達」「特殊プレイ」開始の過程、あるいは対戦/協力プレイヤー同士のコミュニケーション、それらに共通する構造をモデル化し、ゲーム/遊びの体験の普遍性に迫ります。 井上明人 中心をもたない、現象としてのゲームについて 5.5 ゲームを循環として再記述する  さて、 「循環」の概念を捉えるための道具立てとして四つの観察モデルが整った ところで、ようやく「循環」の概念がなぜゲーム全体を統合的に捉えるキー概念なのかを示したい。  一言で言えば、ゲームを遊ぶというプロセスは、多様な循環プロセスであると言えるからだ。それゆえ、これまでの各章で議論してきた内容の多くを、循環プロセスとして再記述することが可能だという性質をもっている。  ここまで示してきた四つの観察モデルを用いて、ゲームの循環プロセスが実際にどのような形であてはまるのかを示したいと思う。この作業を通して、遊び-ゲームに関わる様々な概念が相互にどのように関係して...

    2024-08-27

  • 第十三章 人間――悪・可塑性・人種|福嶋亮大(後編)

    6、可塑性を利用する芸術家――オーウェルの『一九八四年』 架空の全体主義国家オセアニアを舞台とする『一九八四年』では、戦時下の党を率いるビッグ・ブラザーが、テレスクリーンを用いて社会の全体をくまなく監視している。真理省記録局に勤務するウィンストン・スミスは、過去の文書の改竄に従事しているが、やがて魅力的な女性ジュリアと出会ったことをきっかけに党の禁を破る。彼女との性的関係だけが、この息苦しい社会での唯一の避難所となるのだ。しかし、それは本人があらかじめ予想していたように、破局を迎える。逮捕されたウィンストンは、オブライエンの狡猾な拷問によって、心から党への愛を誓う人間に作り変えられてゆく。 もとより、このような常時監視システムにどれほどリアリティがあるかは、検討の余地がある。例えば、アンソニー・バージェスはオーウェルを批評した『一九八五年』のなかで、アメリカがベトナム戦争を遂行しながら、同時にそれを娯楽的なテレビ番組として国民に消費させたことを皮肉っぽく指摘し、オーウェルの社会像の限界を言い当てている[16]。実際、物質的窮乏を国民に強いる架空のオセアニアと異なり、戦後の現実の先...

    2024-05-28

  • 第十三章 人間――悪・可塑性・人種|福嶋亮大(前編)

    1、悪の発明――ラス・カサス的問題 文学にとって世界とは何か。私は歴史的な見地から、その問いを初期グローバリゼーションと紐づけた。世界とはたんに空間的な広さを指す概念ではなく、異質なものとの接近遭遇がたえず起こる場である。異なる歴史、異なる習俗、異なる人間との関係の集合体としての〈世界〉――その成立に欠かせなかったのが、アメリカ大陸へのヨーロッパ人の進出であり、「万物の商品化」を加速させる資本主義のプログラムであった。「世界文学とは新世界文学である」(第七章)という私のテーゼは、異質なものとの関係の無尽蔵の発生を、その根拠としている。 その一方、グローバリゼーションの発端にはおぞましい暴力がある。一六世紀スペインの神学者ラス・カサスの『インディオの破壊についての簡潔な報告』は、まさにその暴力を告発した文書である。先住民――ヨーロッパ人の誤認のせいで「インディオ」と呼ばれた――の虐殺のカタログと呼ぶべきその記録は、ヨーロッパの発明した「世界」が、他者との対話や競合ではなく、搾取と破壊から始まったことを証言している。 ラス・カサスによれば、コロンブスがアメリカ大陸に到着した一五世紀末に...

    2024-05-24