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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき〈リニューアル配信〉第三章 オープンワールドと汎用人工知能(1)

    2020-08-07 07:00
    550pt
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    (ほぼ)毎週金曜日は、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんが日本的想像力に基づく新しい人工知能のあり方を展望した人気連載『オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき』を改訂・リニューアル配信しています。今朝は第三章「オープンワールドと汎用人工知能(1)」をお届けします。
    東洋的な思想を通じて「存在としての人工知能」について論じた前回を踏まえて、今回はビッグデータやアルファ碁を例に取りながら、高度化していく人工知能の現状と未来について考察します。

    (1)果てのない世界のための人工知能

     前章までは、人工知能の内部構造について、東洋的知見に基づいて議論を展開してきました。要点としては、西洋的な問題特化型が機能的な性質の実現を目指すことに対して、存在としての根を持とうとする人工知能を、東洋的な人工知性という言葉によって表現したい、ということでした。この章では、その議論を踏まえつつ、方向を変えて、世界に人工知能を展開していくことを考えてみましょう。
     2010年代前半から始まる、第三次人工知能ブームの特徴は、インターネットを通じて蓄積された膨大なデータ、ビックデータと呼ばれる集積されたデータを使って人工知能を学習させることで、人工知能のクオリティを向上させることです。しかし、それでも、人工知能はフレーム問題が解決されたわけではありません。フレームとは人工知能が物事を考える設定のことであり、たとえば将棋のような要素とルールからなります。しかし、人工知能は自らがフレームを作り出すことはできず、拡大して行く人工知能の活躍の場に際しても、問題ごとに一つの人工知能を割り当てているのが現状です。
     現在のビックデータの解析においても、大変なのはビックデータ解析そのものよりも、ビックデータとしてデータをきれいに整備する、いわゆる「洗浄」(前処理)という操作です。解析そのものはアルゴリズムですから、いったん開始すれば人間は待つしかありません。知的な解析と解釈をアルゴリズムが実行してくれるという意味で、特にビックデータ解析は人工知能に向いた分野と言われるわけですが、しかし、その人工知能に与えるデータは、その人工知能がきちんと解析できるように、余計なデータを省いたり、データを簡単な関数で変換したり、結合したり、スケールを変えたりする必要がある場合が多くあります。最終的には、そういった操作自体も、解析プログラムの中で仕込んでしまえば良いのですが、そのデータが作られた「人間的な事情」があり、それを加味してデータを整備することもあります。たとえば、あるデータはその日、8分間の停電があったため、時刻が飛んだデータになってしまったとします。せっかくナンバリングしているファイル名も変える必要があり、そのように時刻が飛んだデータを解析することによる影響がどのくらいあるか、といったことはそのアルゴリズムを実行する人工知能ではなく、アルゴリズムの性質を知る人間にしか判断できないという問題があります。そうやって純粋なアルゴリズムの周囲に、アルゴリズムをうまく動かすための「工夫」を積み重ねていくときに担当者が感じるのは「世話がやけるなあ」ということです(図3.1)。

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    ▲図3.1 人間、人工知能、人間という処理の順番

     かつて画像処理のアルゴリズムは、画像の特徴に応じてさまざまな手法を人間が組み合わせて探求する分野でした。色々な前処理、アルゴリズム、後処理などです。ディープラーニングは、そのような画像の特徴を自動的に抽出する「折り畳みニューラルネットワーク」という技術が織り込んであるために、自動的に特徴を抽出する機能を持っています。ここではニューラルネットが画像や映像の特徴を自動的に、マルチスケールで抽出してくれます。これを行動決定に使うと、画像処理のプログラムから人工知能のプログラムになります(図3.2)。

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    ▲図3.2 画像処理から人工知能

     このように、人間が、世話をする部分が減り、人工知能の担当する部分が増えると便利になります。世話をするのは人工知能の実行前だけでなく、人工知能の実行後の部分も同様です。前の部分に対しては、人間は「準備が面倒だな」と思いますし、後の部分に関しては「ここまでやってくれたらなあ」と思うわけです。お掃除ロボットのために、最初にロボットが掃除をしやすいように家具を片付け、掃除の後に家具を元の位置に戻したりしながら、そう思われた方も多いかと思います。つまり、人工知能はできることが決まっており、また行う領域も決まっており、その舞台は人間が整えなければなりません。人工知能を運用するには、人間がした方がよい領域と、人工知能がした方がよい領域をよく知って運用する必要があります。そして、人工知能技術の発展はその境界を変化させます(図3.3)。

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    ▲図3.3 人間、人工知能の住み分け、そしてその拡大

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  • 読書のつづき[二〇二〇年五月第一週]| 大見崇晴

    2020-08-06 07:00
    550pt
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    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
    緊急事態宣言が延長され、例年繰り返してきた読書生活のリズムにも狂いが生じる大型連休。ステイホームで部屋掃除ばかりが捗る中で、往年のテレビバラエティの旗手らの変調や世間の「カモ」たちの動向を横目に、歴史なるものの功に思いを馳せます。

    読書のつづき 大見崇晴

    五月一日

     部屋片付け。カルペンティエール『方法異説』[1]、チェスタトン[2]『チョーサー』[3]が見つかる。独裁者もの[4]が読みたくなっていた昨今だから、ちょうど良かった。

     長谷川宏[5]訳のヘーゲル『美学講義』[6]を落札。

    「全力!脱力タイムズ」がテレワークを前提としたコントを放送。この手のものではいち早い。

     注文しておいた以下の書籍が届く。

    ・デイヴィッド・ロッジ[7]『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』
    ・ロバート・ブレイク『英国保守党史』
    ・ジャン・クリストフ・アグニュー『市場と劇場』

     ロッジとブレイクの本は、第二次世界大戦前、カズオ・イシグロが描いた過去のイギリスが描かれているようなもの。イギリスという国は二つの大戦を経て、植民地を手放し、連合王国の栄光を失った。世界の覇権というものがあるならば、第一次世界大戦が終戦したあたりでイギリスからアメリカ合衆国に、それは移行している。そうだとしても、当時のイギリスは依然として植民地を多く抱えた宗主国に変わりなかった。

     パンク・ロックを代表するボーカリストであるジョン・ライドン[8]はザ・キンクス[9]のファンとして知られている──このこと自体が英国の複雑さを物語っている。ジョン・ライドンは家系をたどればアイルランド移民であり、差別の対象だったわけであるから──が、キンクスには『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』という名盤がある。このアルバムは、イギリスの絶頂期にあたるヴィクトリア女王の時代が過ぎ去り、オーストラリアに移住する家族の物語をコンセプトに作られた。発売されたのは一九六九年だが、ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』[10]を発売したのが一九六七年だから、それから二年遅れてのことになる。ロック史、というよりは商業音楽史の重要なエポック・メイキングのことなので、さも常識のように『サージェント・ペパーズ』と略されるビートルズのアルバムは、レコードアルバムが楽曲を集めたコンピレーションというものから、コンセプトに沿って録音された芸術であると、多くの聴衆の理解(受容意識)を変えた作品だった。

     ある意味においてはへんてこなことである。イギリスのロックシーンは世界を席巻しているのである。しかしキンクスは「大英帝国の衰退」を歌わなくてはいけなかった。このへんてこさは当時のイギリスを考えると理解ができる。ビートルズは一九六五年にエリザベス女王から勲章を受章したが、これはイギリスがビートルズのレコードで外貨を多く獲得できたからというものだ。それほどまでに商業音楽というものは巨大化していたわけだが、イギリスはすでにして工業において他国に遅れを取り始めていた。だからこそビートルズの輝きは、より鮮明に思われたわけである。産業革命が起こった国であるイギリスは、脱工業化のまっただなかにあった。工業と貿易で世界に覇を唱えたイギリスは国のつくり自体を大きく変えなくてはいけなかった。それゆえの「衰退」であり、オーストラリア行きである。そのオーストラリアは、形式的にはイギリス国王を君主としているからイギリスみたいなものだが、二〇世紀には実質的には独立国家になっている。イギリス本国にとって、領土の開墾という意味よりも、富の源泉である国民が流出しているという意味のほうが大きくなっている。

     連合王国であるイギリスの悩みというものを、小説や演劇などよりも、ポップ・ミュージックであるロックがわかりやすく、かつ芸術的に成立したものとして表現してしまうのが、第二次世界大戦のイギリスである。レコードを中心とした音楽産業はイギリスを抜きにして語ることが難しいだろう。しかし、大戦後の小説をイギリス抜きでも語れてしまいそうなぐらいには、目立たなくなっていく。その理由はいったい何なのだろう。

    [1]『方法異説』 キューバの作家アレホ・カルペンティエールが一九七四年に発表した長編小説。小説は水声社から寺尾隆吉の訳で二〇一六年に刊行された。「啓蒙的暴君」である架空の独裁者を描く。

    [2]G・K・チェスタトン ギルバート・キース・チェスタトン。イギリスの作家、評論家。一八七四年生、一九三六年没。熱心なカトリック信者としても著名。推理小説の古典となっている「ブラウン神父」シリーズは彼の手によって生まれた。一九〇九年に発表した『正統とは何か』はキリスト教擁護論の古典であり、多くの保守主義者が参照する一冊となっている。

    [3]ジェフリー・チョーサー イギリスの詩人、外交官。一三四三年ごろに生まれ、一四〇〇年没する。ボッカチオの物語集『デカメロン』の影響を受け、『カンタベリー物語』を執筆した。未完となったが『カンタベリー物語』はイギリスを代表する文学作品として評価されている。

    [4]独裁者もの(独裁者小説) 第二次世界大戦後、植民地だった地域はそれ以前から引き続き次々と独立したが「開発独裁」と呼ばれる軍事力を背景にした独裁政権が多かった。ラテンアメリカも多分にもれず独裁国家が多かったため、一九七〇年代に体制を皮肉った文学が流行を見せた。代表的な作品はカルペンティエール『方法異説』(一九七四)、アウグスト・ロア=バストス『至高の存在たる余は』(一九七四)、ガブリエル・ガルシア=マルケス『族長の秋』(一九七五)など。

    [5]長谷川宏 日本の在野研究者。一九四〇年生。一九六八年東京大学大学院哲学科博士課程を終了。学生運動に参加したこともあり、大学に就職しなかった。一九九〇年代から読書会の成果であるドイツ哲学者ヘーゲルの翻訳を続けて刊行する。訳書はヘーゲル『哲学史講義』(一九九二~一九九三)、『歴史哲学講義』(一九九四)、『美学講義』(一九九五~一九九六)、『精神現象学』(一九九八)など。

    [6]『美学講義』 ヘーゲルがベルリン大学で開いていた美学の講義を、受講していた学生のノートを元に書籍化したもの。一般的には聴講生だったホトーのノートに依拠したものが広まっている。近年シュナイダーという速記者が残したノートを元にした講義録も出版されている。

    [7]デイヴィッド・ロッジ イギリスの作家、英文学者。一九三五年生。一九九八年に長年にわたる功績から大英帝国勲章が授けられた。大学の研究者を題材にとった『交換教授』などで知られることになったが、近年はヘンリー・ジェイムズやH・G・ウェルズの伝記小説を著している。

    [8]ジョン・ライドン イギリスのミュージシャン。一九五六年生。ニックネームは「ジョニー・ロットン」で、この名前で呼ばれていた時期にセックス・ピストルズに参加。一躍パンク・ロックの代名詞的存在となる。アイルランド系移民の子供で、幼少期に差別を受ける。七歳で髄膜炎を患って昏睡状態に陥るなど弱者の立場を経験していた。衰退にあるイギリスで体制(現状)を皮肉った「アナーキー・イン・ザ・UK」、「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」、「プリティ・ヴェカント」などの作詞を手掛ける。過激な詞が原因で保守派の暴漢からナイフで襲われた。セックス・ピストルズ脱退時に「ロックは死んだ」と発言し、このことは広く知られることになった。脱退後は、クラウト・ロックと呼ばれた西ドイツの実験的なロックや、ジャマイカで生まれイギリスでも独自に発展していたダブを愛好していた友人らとP.I.L.(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成。一九九三年と二〇〇七年にセックス・ピストルズを再結成したが、そのたびに「金のためだ」と取材に応えた。二十一世紀に入るとリアリティーショーに多く出演し、テレビタレントとしてを活動の領域に加えた。女性ミュージシャンへのリスペクトが多いことでも知られ、スリッツやレインコーツ(のちにソニック・ユースのメンバーとなるキム・ゴードンが所属)を評価し、後押しをした。

    [9]ザ・キンクス イギリスのロックバンド。一九六四年にレイとデイヴのデイヴィス兄弟によって結成された。オアシスがデビューする以前は兄弟仲の悪いバンドの代名詞のように必ず名前が挙がっていた。デビュー年のシングルである「ユー・レアリー・ガット・ミー」はヴァン・ヘイレンによってカバーされた名曲。ディストーションサウンドを広めた楽曲として知られる。「ウォータールー・サンセット」は男女の恋愛風景を描いた名曲として知られる。七〇年にヒットした「ローラ」は自分を誘惑した美女が実は男性だったことを歌ったもので、ミュージカル「キンキー・ブーツ」に影響を及ぼした。

    [10]『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 ザ・ビートルズのアルバム。一九六七年に発売され、グラミー賞では「最優秀アルバム賞」、「最優秀コンテンポラリー・パフォーマンス賞(ロック部門)」、「最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞」、「最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)」、「最優秀アルバム・ジャケット賞(グラフィック・アート部門)」を受賞した。架空のブラスバンド「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のショウを収録したレコードというコンセプトをとっており、バンドの自己紹介からアンコール曲で締めくくられる構成となっている。

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  • 序章 デジタルネイチャーからマタギドライヴへ|落合陽一

    2020-08-05 07:00
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    『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』刊行から2年余。いよいよメディアアーティスト・工学者である落合陽一さんの連載がスタートします。
    ユビキタス化した情報テクノロジーが世界を再魔術化していく原理を読み解いた初の単著『魔法の世紀』、その力がもうひとつの「自然」となって社会を変えていく未来像を描いた『デジタルネイチャー』につづく本連載では、そこで生きていくための新たな人間像やクリエイティビティの在り方を模索します。
    序章では、第3のコンセプト「マタギドライヴ」に至る道筋について語ります。

    落合陽一 マタギドライブ
    序章 デジタルネイチャーからマタギドライヴへ

    「魔法の世紀」に汎化してゆく「デジタルネイチャー」

     新しい連載を始めるにあたって、私の最初の本である『魔法の世紀』以来の議論を振り返っておきたいと思います。
     同書のコアにある考え方、その着想のヒントは、自分のメディアアート表現にありました。映像のようであって物質であるもの、あるいは物質のようで映像であるものというように、両者のはざまにある、どちらともつかないものについての思考です。おそらくそこから、バーチャルとリアルの垣根を越えた表現や、次世代志向のコンピューティングが見つかっていくだろうと、博士課程のころからずっと考えていました。
     その裏側には、計算機というテクノロジーが、全貌を理解不可能なブラックボックスとして現実世界に浸透しているという状況があります。つまり、計算機が生成するCGのような物質を伴わない映像が実世界指向のインターフェースで物質のように扱えるようになったとき、もはやそれは魔法のような奇跡に近いものとして多くの人々に経験されることになる。VRの開祖アイヴァン・サザランドも世界初のヘッドマウントディスプレイに関する論文の中で、アリスの世界のように物質を操れる部屋のような概念を究極のディスプレイと表現していますし、アーサー・C・クラークの有名な法則「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」とも言われていることもあります。しかし、その裏側にはブラックボックスによる世界の再魔術化があり、虚構と現実の区別がつかない(人の感覚器の意味でも、フェイクニュース的な意味でも、仕組み自体という意味でも)魔術の中に身を置くことになる、という議論をはじめました。
     そこから、第二次世界大戦を契機に生まれたコンピュータ技術の歴史をひも解きながら、映画やテレビジョン放送といった映像技術が近代国民国家の統合装置として機能した「映像の世紀」たる20世紀の世界が、いかに技術と芸術の交錯を通じて再魔術化されて塗り替えられてきたのか。そうした21世紀という時代の変化を、「魔法の世紀」と名付けました。

     この『魔法の世紀』という本の最後に出てくるのが、「デジタルネイチャー」という考え方です。
     それは、映像と魔法を対峙させたこの本において、映像と物質の垣根を越えた先に生まれる新たな自然観を考えたものです。映像というものが質量のない自然の写し絵だとすれば、いま計算機の力が現出させているのは、質量をもつ元来の自然そのものに近づく何かになります。現実に出てくることもあれば、引っ込むこともある。触ろうとした瞬間に消えてしまうこともあれば、実際に物質的な価値を持っていたりすることもある。質量のある自然と質量のない自然の二つの自然が横たわり、双方の姿を変えようとしている。
     実際のコンピュータ技術としては、例えばユビキタスコンピューティングやIoT、サイバーフィジカルシステム、あるいはアイヴァン・サザランドが提起したアルティメットディスプレイなどを通じて、それは具現化されています。つまりは、コンピューター上でどのように理想の世界を再現するかという試みと、この世界をどのように大量のコンピューターで覆っていくかという試みが合流したところに、元来の自然とは異なる新しい自然が生まれているのではないか。このビジョンを本格的に展開したのが、前著『デジタルネイチャー』でした。

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     こうした考え方に基づいて、筑波大学で2015年からデジタルネイチャー研究室を主宰していたのですが、その後2017年から大学としてデジタルネイチャー推進戦略研究基盤が発足し、2020年にはデジタルネイチャー開発研究センターが設立されました。
     ここにきてデジタルネイチャーの像はより明確化していて、ユビキタスコンピューティングおよびIoT、サイバーフィジカルシステムの基盤となる計算機技術によって、音や光などあらゆる波動現象をコントロールする技術により、実物と見まがう映像を空中に浮遊させることができたり、さらに自然物と区別しがたい人工物が生まれつつあります。つまり、計算機技術が生み出した人工物と自然物の相互作用によって再構築された新たな環境として、デジタルネイチャーは具体化しつつあります。つまり、「デジタル/ネイチャー」ではなく、「デジタルネイチャー」というべき「新しい自然」の姿が明確になってきました。
     より具体的なレベルでは、狭い範囲では3DプリンターやAR/VRなどの要素技術を用いて構築されていて、人工生成物を自然環境との相互作用で再びデータ化し、さらに関連するフィードバックループによって進化させていくような自律系として考えていくことができます。あるいはロボティクスとして表現されることもあれば、CGとして表現されることもある。そのような新たな自然の形成方法を工学的に研究しながら、文化・芸術の実践も行っていこうというのが、新たに発足する研究センターの概要です。

     また、もうひとつデジタルネイチャーの新展開としては、日本科学未来館の常設展示として2019年から「計算機と自然、計算機の自然」を公開しています。ここでは、現実世界と計算機上で再現された世界の区別がつかなくなるときに、我々の自然観そのものが更新されるのではないかということを人々に問いかける取り組みを行っています。
     つまり、いまや我々が作り出した計算機はこの世界にあふれ、それが作り出す世界の解像度や処理能力が、わたしたちの持つ知覚や知能の限界を超えつつある。近い将来、元来の自然と計算機の作り出した自然の違いはますます薄れていき、その違いが意識されない、新しい大きな自然として統合されていく在り方を想像しようということが、この展示のテーマです。現実の蝶々と見まがうデジタルの蝶や砂粒のような人工部品など、ミクロ的なものからマクロ的な世界像までを体感できる展示空間が実現しました。

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    ▲日本科学未来館「計算機と自然、計算機の自然」©Yoichi Ochiai

     このように、デジタルネイチャーというコンセプトは、私の本を読んだ人以外にも、徐々に世の中に浸透つつあります。計算機を主軸においた自然環境を含める大きな自然生態系に関するビジョンは、新しい自然観として議論されつつあります。例えば、ガイア仮説のジェームズ・ラヴロックは最近、「人新世」ののちに「ノヴァセン」という計算機や機械による新たなる地質年代を想定する考え方を表明しています。
     なぜこうした新しい自然が出現するかの本質を社会的・経済的な条件に即して言えば、未来学者ジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』などで言われている通り、情報テクノロジーの利活用にまつわる限界費用が限りなくゼロに近づいていくからです。このように限界費用が下がった環境で、いま通信網を通じてオープンソフトウェアやハードウェアにアクセスしたり、GitHubなどのプラットフォームを共有したりしながらものづくりを行い、SNSでそれが拡散して新しいテクノロジーを生み出していくといった流れが促進され、それがまた新たな環境を更新していく。
     また、自然に含まれる計算プロセスを利用しようという考え方も、「ナチュラルコンピューテーション」、「ナチュラルコンピューティング」などと呼ばれており、自然を演算装置としてみる考え方と、自然から演算機に入力し、自然に再出力するような考え方は相互乗り入れしています。そこには計算機の生態系の一部としての計算機自然(デジタルネイチャー)があり、元来の自然の多様性に基づき、地産地消の進化を遂げていることもあります。
     地産地消のテクノロジーについては、一時期メイカーズムーブメントがもてはやされたりしましたが、今後はもっと自然な流れでわれわれの生活に土着していくことになります。このようにデジタル環境が新しい価値を生み出していくプロセスは、発酵のプロセスに似ているかもしれません。たとえば、微生物が作物を発酵させる作用を利用して酒や醤油を醸造したりするように、限界費用の低下したデジタル技術を利用して、様々なプロダクトやカルチャーが生み出されていく。限界費用の低い自然に根差した文化的な意味と、地産地消のナチュラルコンピューテーションというテクニカルな意味の両方を含んでいます。そうした「デジタル発酵」の現象を伴いながら、この社会にいま新たな自然が築かれているのだと見立てることができるわけです。これは2019年のSXSWの基調講演で発表し、近著『2030年の世界地図帳』の中でも解説している考え方です。
     限界費用の低いテクノロジーの上に生み出されたデジタルネイチャー上には、現実とほぼ区別がつかないような人工物を作られていくのかもしれないし、逆に人間の側が新たな人工環境のシステムに慣熟して適応していくことになるのかもしれない。前著『デジタルネイチャー』には、人間がデジタルで飲み会を行うようになるということを書きましたが、まさにCOVID-19のパンデミックを機にオンライン飲み会が浸透していくなど、人々の行動変容にも顕れているわけです。目下、自然観としては、人工と自然の区別のつかない新しい自然と新しい日常や新しい行動へと変容しつつあります。


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