憲法が、国民の理想をうたうものであるという意味の答弁は正しいと思います。しかし、それは立憲主義を否定することとは別次元の話です。権力にあるものが、自らの権力の行使をも縛る憲法の立憲主義の理念を否定することは、最もなしてはいけない事です。

 憲法は、「権力者は間違える」ことを前提にした仕組みです。民主主義の社会では本来、権力者は民主的な手続きで選ばれているはずですから、その人たちに任せておけばいいとも一見、思えます。ところが、一時々々の多数派が、必ずしも長い目で見たときに正しい選択をしているとは限りません。

 民主主義において正当な手続において多数を形成したというだけで全ての正統性を付与されたかと言えば、そうではありません。異なる意見への寛容、少数意見の尊重など多くの留意点があります。民主主義は、究極的価値観の多元性に基づく制度です。 

 ...立憲主義は、マグナカルタの時代のもので現在では通用しないなどという論には驚きを隠せません。多くの民主主義国家が柱としている理念であり、人類が獲得した知恵だと私は考えています。

 近代以降の立憲主義における最も重要な原理が人権主義・人権保障です。 人生の指針となるような究極的な価値観の多元性・権利と負担を公平に分かち合う考え方・・・。それらを保障する人権が保障されて初めて社会的参加の条件が整うのであって民主主義の正統性が与えられるだと考えています。

 我が国の司法制度の根幹を作ったとされる佐賀出身の司法卿江藤新平侯は、「全ての法の元は、人権にある。」と言ったそうです。政党政治の黎明期に立憲改進党や立憲民政党など政党名に「立憲」の言葉がついていたことは、これらの政党が民主主義の原理を再確認しながら基盤を築いていったことを表しているのではないかとも思います。