いつもニャンとも言えない加藤一二三伝説をご愛読頂き、誠に有難うございます!

《目次》
1.丸田祐三九段
2.ベン・ハー

《本文》
1.丸田祐三九段
  昭和35年3月、A級順位戦最終局を丸田祐三八段と指し勝利して、通算6勝2敗となった私は、翌年度の名人戦挑戦者となりました。丸田八段は実力者であったので、その人に勝てた私には自信が生まれました。
  丸田八段は大山康晴15世名人と仲が良いことで知られていました。大山名人と私は4月から名人戦を闘い、1勝4敗した私は名人位獲得とはなりませんでした。
  その後、共同通信社主催の「日本一杯争奪戦」で勝ち続けた私は、その年の10月には丸田八段と決勝の3番勝負を闘いました。第3局は矢倉で丸田八段が優れた作戦を用いました。それは後年、私が昭和59年配に高橋道雄王位に用いた作戦と同一のものでした。
  私は後手で4四歩と突きましたが丸田八段は4四銀と積極的に出ています。丸田八段には完敗しましたが、高橋王位には同じ作戦で勝つことができました。これは「作戦が優れている」ということになります。