最終回 お金になるコンテンツの作り方

◇「プラットフォーム」という言葉に振り回されてはいけない

もし、「自分は面白い<中身>を作るので、もっとも流通しやすいプラットフォームを探そう」と考える人がいたとしたら、あるいは、「ブロマガというプラットフォームに対して、いろいろと不満な点はあるけれども、ほかのサービスよりはずっとマシだと思う。自分はこの枠組みの中で良い<中身>を作っていきたい」と考える人がいたとしたら、きっと有料ブロマガで多くの購読者数を獲得することは難しいでしょう。実はこのことは、紙の書籍の執筆者にも、生主さんにも、YouTuberにもあてはまることだと思います。

今の時代、何かを発信したいと考える人がもっとも肝に銘じておくべきことは、「コンテンツ」と「プラットフォーム」という言葉に振り回されない、ということだと私は考えています。

どういうことか。

私は、ネットにおける技術上の進化が著しいこれからの時代、「プラットフォーム」と「コンテンツ」がそれぞれの強みを活かせるように、それぞれがそれぞれの持ち場で頑張るということでは足りず、お互いに影響を与え合っていかなければお客さんに満足してもらえない……といったことを言いたいわけではありません。

もちろん、こうした言説は一理あると思います。大まかな方向性としても間違っていないと思います。ただ、コンテンツ制作の現場においては、より踏み込んだ「状況認識」が必要だと考えています。

私が見る限り、コンテンツ配信者として成功している人のほとんどは、コンテンツを字義通り「内容」として、お客さんに渡したり売ったりはしていません。それが、紙の書籍であれ、ウェブ上のテキストであれ、動画であれ、渡したり売ったりしているのは、「内容」だけではない。成功者たちは、「内容」だけではなく、「内容のやり取りの仕方」まで含めた、一種のコミュニケーションそのものを販売しています。


◇マックスむらいさんの工夫

堀江貴文さんのテキストは、「疾走する堀江さんがそのアイデアを一気にまくし立てるのを聞いている」というシチュエーションを想像させるからこそ力があります。どんなに短い言葉しか書かれていなくても(堀江さんのQ&Aはときに本当に一言で返事を済ませる場合があります)、決して「報告書」や「データベース」にはなっていません。「ああ、堀江さんにアドバイスを受けるとこんな感じなんだろうな」と、読者が自分は堀江さんとコミュニケーションをしているんだと想像できるような工夫がなされています。

マックスむらいさんの動画は、「一緒にゲームで遊んでいる」というシチュエーションを絶妙なバランスで作り上げています。ゲームの攻略情報が挟み込まれることもありますが、それはむしろ「おまけ」として機能しています。あくまで、「マックスむらいさんと一緒にゲームを楽しんでいる」という感覚を読者に感じてもらうことに特化した構成を追及しています。プレースタイル(ステージをクリアするだけでなく、「見て楽しい」を重視しています)や、服装、話し方、表情の作り方まで、意識して作りこまれているのがよくわかります。

こうしたことは、読者や視聴者にとってはどうでもいいことです。あくまで「裏方の工夫」です。ですから、基本的には読者や視聴者は、テキストや動画の内容が「面白い」か「面白くない」かで、自分がお金を払ってもいいかどうかを判断している気になっています。そして、SNSなどに感想が書き込まれるときには、「おもしれー」「つまんねー」という言葉になって現れます。しかし、そこで制作者側は「内容」の話だと勘違いしてはいけません。内容よりもむしろ「内容の伝え方」に問題があると考えたほうがいいと思います。

大量の有料購読者を、有料視聴者を獲得している人は、このシチュエーション作り(「内容の伝え方」)がものすごくうまい人ばかりです。だからこそ、その「作りこまれたシチュエーション」にノレない人は、強い違和感を持つことになります。それがメルマガは「信者ビジネス」と呼ばれ、YouTuberは「あまりにもつまらない。どうしてこれを見ている人がいるのかわからない」といった話につながっていくのです。


◇踏み込むべきラインはどこに

新聞が売れなくなったのは、新聞の基礎だった「一次情報」のほとんどが、該当機関・該当企業の公式サイトに記載されていて(もちろん記者の独自取材で抽出しなければならない情報はその限りではありません)、わざわざ新聞から知る必要がなくなったことも、もちろん大きな要因となっていると思います。ただ、私の見る限り、ライフスタイルや企業文化の変化にともなって、朝食の食卓や職場で「新聞を広げていること」に対して、ポジティブな意味合いが減ってしまったことのほうが、そこに書かれている内容の問題以上に新聞購読者を減らしている要因になっていると感じます。

この数年、「プラットフォーム」と「コンテンツ」という言葉が、制作者側の頭の中で、強く意識されることで、コンテンツ制作者側が踏み込むべきラインが見えにくくなってしまっています。どこまでが「乗っかる」エリアで、どこまでが「こちらが動くべき」エリアなのかが見えにくい。もっと言えば、プラットフォームが相対的に強くなるにしたがって、だんだん「自分はこれだけやればいいんだよね」と、自分の受け持つべきエリアを少なく見積もりがちになってきています。ただ、お金になるコンテンツを作れている人は、しっかりと「自分が踏み込むべきライン」が見えています。

そうです、上記の例を眺めても分かる通り、「内容の伝え方」までは、コンテンツ制作者が踏み込むべきなのです。読者あるいは視聴者は、どのような態度で、どのようなシチュエーションで、その内容と接するべきかをプロデュースするのは、コンテンツ制作者なのです。

世の中で唯一無二の情報を持っている人しか、有料コンテンツの販売は不可能だということでは決してありません。別にどこにでも転がっている情報であっても、その「受け渡し方法」の工夫次第で、有料コンテンツとして販売することは可能です。それは「学校の先生が生徒に伝える風な」感じかもしれないし、「バリバリの経営者がボソリと本音を言う風な」感じかもしれないし、「近所のお兄さんがちょっと見てみろよという風な」感じかもしれないし、「ずっと目立たずに生きてきたけどこれだけは言わせて欲しいという風な」感じかもしれません。

ぜひとも、みなさんには、さまざまな「伝え方」の工夫を通して、世の中に「へえ」とか「ほお」とか「あはは」といった声を沸き上がらせていただきたいと思います。

1年半にわたって続けてきた本連載も、今回で最終回になります。一つの記事でも読んでくださった方、ありがとうございました。みなさんの執筆活動、コンテンツ販売活動の参考になったとしたら、幸いです。