たった今、相倉久人氏の密葬から帰って参りました。
現在ワタシは、「レクイエムの名人」というタイトルで、今まで書いたり喋ったりした追悼文集を一冊の本にまとめる。というけしからん事をしています。他人様が亡くなった。それに手向けの言葉と音楽を添える。それは良いとして、それをまとめて金をとって売る。天罰が下るでしょう。いやもう、とっくに下っているのではないだろうか。
実のところ、ちょうど先日が完全脱稿、あとはまえ&あとがきとゲラ校正。という状況でした。
今まで書いた本の中でも、執筆が最も辛く、スリリングな本でした。ためいきをひとつ。小雨がちょいと。
「七夕か、祈る事も何も無いが、好物の、求肥の入った鮎でも喰うか」と思い、近所の和菓子屋に入るとメールが着信し「プーさんが死んだ」と、これが第一報でした。
<プーさんこと菊地雅章氏の名盤「ススト」から、DCPRG(当時)は「サークル/ライン」を完コピした>
これで、何も間違っている訳ではありません。しかし、昔からのご贔屓筋には、事がこんなに薄っぺらい事ではない事は御存知頂けている筈です。
DCPRG(当時)の結成理由は「レコーディングはされ、レコ発ツアーまで行われながら、とうとう一度も完奏されたことがないこの曲を完奏し、しかも7拍子のダンスミュージックとしてフロアに投下する」というのが50%、あとは「モダンポリリズムのダンスビート化を、エレクトリックマイルスのサウンドでフロアに投下する」ことで、つまり、結成理由の半分を占めており、活動休止期間も含めた15年間で、「サークル/ライン」が演奏されなかったライブは一度もありません。
「うっわ。とうとう(氏の闘病生活が既に5年以上に渡っていたのはジャズファンですら知っていた事ですので)プーさん逝ったか」と、やや狼狽しながら、いくつかの和菓子を甲斐、コンビニの緑茶で飲んで、いろいろな事を思い出しながらラストスパートをかけていた所、相倉先生の訃報が入りました。
主観的には、1日経っていません。
そして、相倉先生の危篤の報が入ったのは、脱稿したのとほぼ同時、本当に申し合わせたかの様にぴたりと。ワタシが思い出したのは大著「M/D」を書き終え、まえがきを書いている最中に、テオ・マセロの訃報が入って来た事です。
ためいきを、もうひとつ。短冊に特に祈る事も無し。そもそも短冊が無し。
そして、さきほど、生まれて二度目に骨を拾いました。一度目は「止まらない汽車」の、あの、母方の叔母です。
「レクイエムの名人」は、一番最後がDEV LAGE氏へのもので終わる予定でした。
大変なオレオレだったプーさんと相倉先生の滑り込み、横入り。いやこれはしかし、「そうじゃねえだろオマエ」「いくら50過ぎてラッパーに成ったとぬかしても、最後はジャズで締めないとダメなんじゃねえのか?」という叱咤を頂いたと解釈しています。
今夜オンエアの「粋な夜電波」の冒頭でもちょいと触れさせて頂いております。ご興味御座います方はそちらもどうぞ。
という訳で完全脱稿は数日伸びました。お二人への追悼文をこれからゆっくりとしたためさせて頂きます。ワタシの手元には、相倉先生の亡骸の目の前で書かれた、山下洋輔氏の追悼文があります。氏は今日、演奏旅行のため、密葬に来れず、この文章が読み上げられましたが、相倉先生の編集者の方が、帰り際にワタシにこっそり渡して下さったのです。
という訳で、決定事項を二つばかり。「レクイエムの名手」の留めは、菊地雅章氏と、相倉久人先生にさせて頂き(つまり、ネットでは読めません)。来週から開始されるdCprGのツアーは「サークル/ライン」の作曲者であり、このバンド立ち上げの根拠となったプーさんに捧げようと思います(つまり、ネットでは聴けません)。
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