大崎麻子(おおさき・あさこ)/ジェンダー・開発政策専門家大学院在学中に長男を出産。国連開発計画(UNDP)NY本部開発政策局で、ジェンダーと女性のエンパワーメントを担当し、世界各地で多くのプロジェクトに携わる。在職中に長女を出産。産休明けには娘をおぶって5カ国に出張。退職、帰国後はフリーの専門家として、国際機関、NGOで活動中。関西学院大と聖心女子大で「ジェンダー論」を教えている。「サンデーモーニング」(TBS系)など、報道番組のコメンテーターも務める。著書に『女の子の幸福論~もっと輝く、明日からの生き方』(講談社)。公式サイト>>
■あきらめていた自分を救ってくれた「Why not?」
妊娠がわかったのは、大学院入学まであと2カ月に迫ったときだった。「もうダメだな」。23歳の大崎さんはかなり落ち込んだという。
「将来は英語を使ってメディアで働きたい」。そのために決めたコロンビア大学大学院での勉強だった。親の反対もあったが、大学卒業後すぐにニューヨーク在住の日本人と結婚していた。しかしそれは「すぐに子どもがほしい」ということではなかった。
「大学の友だちは働き始めていましたし、私自身も大学院に行きながら働くつもりでした。私のキャリアはこうやって終わってしまうのかと思ってましたね」
失意のまま大学院の事務局に行き「入学を辞退しようと思う」と話した。ところがそこで帰ってきたのは女性スタッフの意外すぎる反応だった。
「Why not?(どうしてダメなの?)」
聞けば、子育てと勉強を両立している女性は大学院にはけっこういて、忙しいメディア専攻が無理なら、ほかの専攻に変更することもできるという。日本の"常識"では考えられない話だった。
そして専攻を「国際人権・人道問題プログラム」に変更した。「正直ピンとこないところがあった」分野だったが、出産を終え復学するころには目の色が変わっていた。
「自分自身が出産を経験したことで、1人ひとりの人間が可能性と尊厳を持ってこの世に生まれてくること、そしてその子どもが伸びていく力を抑えつける権利は誰にもないのだと身をもって感じたのです」
■UNDPの職場に子どもを連れていくこともあった
国連本部の人権センターでのインターンシップを経験したり、日本人の先輩に相談したりする中で、「人権」への興味はやがて「開発」へと移っていくようになった。
「人権侵害が起こる背景の1つには、貧困の問題や資源の分配の問題があります。そこに働きかけるのが開発の仕事。開発の仕事には人権侵害を予防するという側面があることに魅力を感じるようになりました」
大学院を卒業すると国連開発計画(UNDP)で働くようになった。アシスタントを経て国連開発局のジェンダー部門へ。いよいよ「女性支援」の道が始まった。
長男はまだ2歳で手がかかったが、職場には子育て経験のある職員が多く、理解があったという。
「子育てと仕事の両立は、精神的にはそれほど大変じゃありませんでした。母親が働いているのは当然という空気がニューヨークにはありましたし、子どもが熱を出したときには周りから『すぐに帰りなさい』と声がかかる。子どもの預け先がないときには職場に連れていくこともありましたが、みんなよく遊んでくれましたよ」
■母親であることはキャリアに大きな強みだ
ジェンダー部門に入って5年目には2人目の子ども(長女)を出産した。6カ月後に職場に復帰すると「子連れ出張」もよくしたそうだ。国連では2歳未満の子どもを出張に同行させる場合に、子どもの飛行機代と日当を出してくれていたという。
「子どもを連れていくと、途上国のお母さんたちとも気持ちがすぐに通じ合うんです。子育て中というだけで、その大変さを共有できますから。それに、自分自身の実体験からさまざまな想像力を働かせることができました。ジェンダーに関わる仕事をしていく上では子育て中であることは強みでしたね」
外務省が行った面接で「結婚して、子どもがいらっしゃるんですよね......」と切り出されたときにもこう答えたという。
「はい、だからこそユニセフ(国連児童基金)がやっている事業をよく理解しています。ほかの誰よりも皮膚感覚でわかっていますから」
そして大崎さんはこうも考えている。「ワーキングマザーは、子育てと仕事を苦労しながら両立させています。だからこそ、危機管理能力やタイムマネージメント能力、マルチタスク能力がとても高い。そのことにもっと自信を持ってほしいですね」
【後編へ続く】
(取材・文/金子えみ)