今回はザウルスさんのブログ『ザウルスでござる』からご寄稿いただきました。
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※この記事は2013年02月03日に書かれたものです。
■キャパの「崩れ落ちる兵士」 "NHKのヤラセ"か
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●キャパの「崩れ落ちる兵士」 NHKの明らかな思考操作
洗濯機と並ぶ怠惰な国民の必需品は“洗脳機”、つまりテレビであるとわたしは思っている。先日家内が見ていたNHKドキュメンタリー「沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚 ~"戦場"写真 最大の謎に挑む~」をパソコンの仕事をしながら、ちらちらとつい最後まで観てしまった。
話は、キャパのあまりにも有名なあのスペイン内戦で撮ったという「崩れ落ちる兵士」の真実を求めて沢木耕太郎という作家がスペインの現地に足を運び、ついにその真実をつかむという内容である。NHKの解説によると、「ネガは勿論、オリジナルプリントもキャプションも失われており、キャパ自身も詳細について確かなことは何も語らず、いったい誰が、いつ、どこで撃たれたのか全く不明なのだ。キャパに魅せられた沢木耕太郎氏は、20年近くこの謎を追い続け、今意外な「真実」にたどり着こうとしている。」
結論は、この兵士は撃たれても、死んでもおらず、兵士が足を滑らせたところをたまたま撮っただけであるというものだ。これをこの写真と同日に撮られた何十枚かの写真と現地の地形との比較検証などによって明らかにしていくのだ。1936年当時のこの日にはその場所では記録上戦闘はなく、他の写真もこれが実戦ではなく、のどかな演習風景の一部であることを裏付けている。なんだか、これだけですでに”やらせ”である疑いは十分ではないだろうか。
NHKのテレビカメラは沢木耕太郎が現地住民やスペインの軍関係者に通訳を使ってインタビューをしている様子を映す。彼は現地の地形写真や当日の他の写真を使って日本の専門家にカメラと人物との位置関係をCGで再現させる。そして、やはりあの伝説の写真に写っている兵士が実際は撃たれても死んでもいないことを”実証”していくのである。
見終わって、なるほど、また現代史の神話の一つが暴かれたのかと思った。しかし、どうも引っかかるものがあって、"Capa, falling soldier, fake" のキーワードでグーグル検索してみると、出てくる、出てくる。何のことはない、40年ほど前から欧米の写真家のあいだではキャパの "The Falling Soldier" は fake(やらせ) であることが常識になっているではないか。そして単なる言いがかりではなく、証拠も山ほど積まれているのである(そのほとんどは英語であるが)。最近新しく同日に撮られた写真がまた出てきたということだが、そんなものが無くてもすでに十分に”クロ”だったのである。要するに、お恥ずかしいことだが、わたしが無知だっただけである。
問題は、このNHKドキュメンタリーでは沢木耕太郎がまるで世界で初めてキャパの「崩れ落ちる兵士」が“やらせ”であることを突き止めたかのような構成になっている点である。まるで沢木耕太郎の手柄であるようなドキュメンタリーである。この番組を観たわたしのような無知な日本人がそう思い込むように作られている。わたしはこの沢木耕太郎という作家のものは今まで何一つ読んだことはないし、この作家に対して何一つ先入観は持っていないつもりだ。この人物は調べてみると作家であり写真家でもある。そしてキャパについて書かれた英語の本の翻訳も何冊かしている。つまり、彼は“やらせ”説が昔からすでにあって十分な証拠があることも十分知っているのである。最近になってNHKと一緒になって真実を突き止めたというのではないのだ。しかし、日本の大衆にあまり知られていない”真実”を、あたかも一人の日本人が“現地調査”によって、ついに解き明かしたかのような、いかにも日本の視聴者が喜びそうなドキュメンタリーに仕立てている。しかし、その“真実”が海外の数多くの人々によってすでにほとんど明らかにされているという事実を伏せているのは恩知らずで不誠実ではないだろうか。恥ずかしくないのだろうか。それらをさんざん利用していながら、日本の一般の視聴者の無知に付け込んで自分一人で解明した顔をしている。世間ではこれを“パクリ”と言う。
沢木耕太郎は、キャパが弱冠22歳のときに発表した“やらせ”の「崩れ落ちる兵士」によって時代の寵児になり、その後その「崩れ落ちる兵士」について語ろうとしなかったことについて番組の中で非常に同情的に語る。何のことはない、沢木耕太郎自身、海外の“やらせ”説のパクリをしていながら、番組ではそのことには一言も触れないのである。たしかに、同情的にに語るはずだ。NHKの解説はこう語る。「番組は、沢木さんの新事実発掘と思索の旅に同行、さらに最先端のCG技術を駆使し、「崩れ落ちる兵士」がどのような状況で、そして誰の手によってカメラに収められたのか、世紀の謎に迫っていく。」“世紀の謎”が彼によって解き明かされたわけである。“やらせ”というウソを、海外の諸説の“パクリ”というウソによって、自分が独力で実証したフリをしているのである。なるほど、キャパに共感したくなる気持ちもよく理解できる。同類ではあるが、キャパは22歳の若造だったが、沢木耕太郎は、調べたら何と66歳ではないか。しかし、どうして”写真家”という人種はこうも”ウソ”について無感覚なのであろうか。おそらく写真でいくらでもひとを騙せることに味をしめてしまうと感覚がマヒしてくるのだろう。これはテレビという映像でも同じだ。
“ヤラセ”というより“パクリ”だという話は以上にして、今度は沢木耕太郎の名誉のためにも、沢木耕太郎のオリジナルの説にも目を向けるべきだろう。それが公平な評価というものだ。彼は、「崩れ落ちる兵士」は撃たれたのではなく、兵士がたまたま足を滑らせたところをたまたま撮影したと番組の中で結論している。しかし、わたしがネット上で見つけた以下の写真を見ていただきたい。これはフランスの雑誌に1936年9月に掲載されたものだ。ほとんど同じ場所で別の兵士にも撃たれたところを演出して撮影しているのである。2つの写真のうち左のほうが“出来”がよかったので、こちらが有名になっただけである。そもそも兵士が撃たれた瞬間をカメラに収めるというのはそれだけで奇跡に近い神業である。ところがこの2枚の写真は2人の兵士がほとんど同じ場所で別々に撃たれたのをそれぞれ撮影したかのようである。“やらせ無し”だとしたら、もはや奇跡を超えていると言えよう。
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二人ともなかなかの名演技である
しかし、沢木耕太郎の説のように「崩れ落ちる兵士」が“偶然”足を滑らせたのを撮影したものだとしても、右の写真のように別の兵士がもう一回足を滑らせた瞬間を“やらせ無し”でカメラに収めているのだとしたら、これはこれで大変な“偶然”であって、これも十分奇跡を超えているのではなかろうか。撃たれるのも転ぶのも予期しない一瞬の出来事である点では被写体としては変わらない。それでも沢木耕太郎は言い張るのであろうか、「兵士がたまたま足を滑らせたところをたまたま撮影したのだ」と、「そしてそれが2回起きたのだ」と。一般論として、同じ日の写真についてこう言えないであろうか。「ありそうにない写真が似た設定で別の被写体で2枚 眼の前にあったら、それらはインチキである」と。「たまたま」ではないと、偶然ではないと。
1936年8月のある日、スペインのエスペホの丘にキャパは人民戦線の兵士たちといた。「それじゃ、今度はあなたにお願いします。さっきの方と同じように、撃たれたようにして倒れてください。あ、そうそう、今度は撃たれて苦痛な表情をしてもらえませんか?」キャパはおそらくこんなふうに言って頼んだのであろう。そして2人の義勇兵は人民戦線のためにはるばるパリからやってきた若いカメラマンの求めに応じたのであろう。自分たちを応援しにきてくれた”同志”の求めを拒否する理由がどこにあろう。
わたしがネットでいとも簡単に見つけてきたこのセット写真の重要性はわたしが言うまでもなく明らかであると思う。いかがであろうか。しかし、NHKの沢木耕太郎の番組ではこの写真は一切出てこない。なぜだとあなたは思うか。はっきり言おう!これを出してしまったら、全然 “推理”ドキュメントにならないからだ。推理の余地がなくなってしまうからだ。すでにそこに“答え”が存在していることが誰の目にも明らかだからだ。
さらに言えば、沢木耕太郎が主張する、この写真の撮影者が恋人のゲルダ・タローだという“新説”も吹っ飛ぶだろう。なぜなら、彼の説では恋人がたまたま義勇兵が足を滑らせたところ撮ったという前提だが、このセット写真はその前提が馬鹿げていることを示している。なぜそんな無理な前提を立てるのか?お教えしよう。女性をからめたほうが話としては“俗受け”して売れるからである。そして、彼の本が売れるからである。事実をねじ曲げても“売れる話”を作るのである。それをさも“最先端のCG技術”で解明された“事実”であるかのようにして“技術信仰”の日本人が飛びつきそうな触れ込みで、おそらく何十万人もの大衆を騙しているのである。(追記:この記事へのアクセスだけでも2万5千は超えているのだから、100万人は超えるだろう)
もう1つ言っておこう。沢木耕太郎は、キャパの恋人、ゲルダ・タローのカメラのフレームは正方形に近かったと言っているが、それは研究者の間でも通説である。しかし、彼はこの「崩れ落ちる兵士」は実は恋人が撮ったのだが、それを自分の作品ということにするためにプリントの上下を切って自分のカメラのフレームと同じ横長にしたかのような珍妙な説を展開している。あらためて以下の2枚の写真を見ていただきたい。彼の説通りで元の写真が正方形であったらどんな構図になっていたかを冷静に推定してもらいたい。ほとんど空と草地を撮ったような写真だったことになるだろう。それも2枚である。しかも左は足を滑らせた瞬間というかなり苦しい前提である。左はまあいいことにしよう、それでは、右の写真は何なんだ!?わたしは写真やカメラはまったくの素人だが、以上の推論はふつうの常識で十分である。百歩譲って、ゲルダ・タローが撮ったとしてもいい。そうした場合、ゲルダ・タローがヤラセ写真を2枚撮ったということだろう。それだけのことだ。“キャパ”という写真家はキャパ本人とゲルダ・タローの二人の合作の虚構の存在なのだそうだ。つまり、二人で一緒にヤラセを演出したということにすぎない。それをタローの作品をキャパが横取りしたような話はドラマ的な面白さをねらっているのだろう。しかし待てよ、“横取り”ってことは“パクリ”ってことじゃないか!それじゃ、“パクリ”に始まり、“パクリ”に・・・? テレビは視聴者にじっくり考えるヒマを与えないので、ふつうのひとは引きずりまわされたまま騙されている。
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自分たちの手柄であるように見せることによって、沢木耕太郎もNHKもこの番組で自分たちに大きな利益を誘導することができる。好評価を得て名前を売り、視聴率や本の売り上げのUPにつなげることができるというわけだ。先人たちの地道な調査や研究の表面に自分たちの“メッキ仕事”で見栄えを良くしながら地金を隠す。そしてそれを自分たちのオリジナルであるかのようにして“売っている”。
わたしの以上の“辛口”の批評を快く思わないひともいることだろう。真実はしばしば不快である。なんでそんなにほじくり返すんだと思うひともいる。自分が騙されていたことを知っても自分の自尊心を守るために「別に問題ない」と言うひともいる。この作家のファンであれば、この作家についてのわたしの無知をいくらでもあげつらうことができるだろう。しかし、わたしはあくまでも一つの番組を論じているのである。
冒頭にも書いたが、これは“洗脳機”としてのテレビの宿命というか本質でもある。テレビ番組はすべて編集されている。編集とは操作であり、受け手である視聴者の無知に乗じた思考誘導であり、送り手にとっての利益誘導である。“真実”をエサにして自分たちのトロール網にイワシの群れを誘導しているのである。網に飛び込むイワシもいれば、飛びこまないイワシもいるというだけである。
●<追記>
このキャパの写真展が横浜美術館で開催中だそうである。NHKのこのドキュメンタリーとまったく無関係ということはないだろう。すると、相当数の関係者が潜在的にいるはずである。そうした“インサイダー達”がこの記事を読んで“不快”に思うことは優に考えられる。そして「わたしは全然そういった関係者ではないが・・・」と言いながら、イチャモンをつけてくるかもしれない。大歓迎である。
執筆: この記事はザウルスさんのブログ『ザウルスでござる』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年02月20日時点のものです。
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