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「現場に行かないと何が起こっているのかわからないのが戦争」7年間アフリカを撮り続けた写真家・亀山亮氏にきく(後編)
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「現場に行かないと何が起こっているのかわからないのが戦争」7年間アフリカを撮り続けた写真家・亀山亮氏にきく(後編)

2012-11-15 20:30
    アデューラ・マサシビ

    アデューラ・マサシビ(カレラ精神病院にて) 撮影:亀山 亮

    ――――――――――

    2003年から2010年までの7年間、アフリカの危険地帯をカメラとともに巡り、自らの左目を失明しながらも撮影を続けた写真家・亀山亮さん。

    彼の7年間の集大成が、写真集「AFRICA WAR JOURNAL」(リトルモア刊)にまとめられ、9月25日に発売された。

    この写真集の中からさらに厳選した作品を、オープンしたばかりのドキュメンタリー写真ギャラリー「Reminders Photography Stronghold」で、現在展示が行われている(11/30まで)。

    Reminders Project & Reminders Photograpy Stronghold

    日本の商業写真界の中では最も成功しづらいテーマのひとつ、アフリカを撮り続ける亀山さんにお話を伺った。

    (ききて:中島麻美)

    ●事前調査と危ない場所で「死なない方法」

    インターネットが普及した今は、例えばコンゴでは国連の飛行機が取材目的でならただで乗れたり、しかもそれがネットで予約できたりもするのですが、確かに便利だけど、新しい体験がしにくくなった感じがしています。

    インターネットが発達する以前はとにかく現地に行って直接リサーチとか交渉をするということを当たり前にやっていたし、行ってみないとわからない部分がありました。

    現場で命を落とさないためには、怖がりでいるぐらいがちょうどいいと思います。僕自身、以前はどんどん前に出てしまうところがあったけど、それは単純に現場の肌感覚がよくつかめていなかったところもあるからだと思います。

    アフリカに行き始めた2003年のリベリア戦争の取材は本当に怖かった。道に死体が普通に転がっているし、右も左もわからなかったから。

    どこまでで引き返すのが安全なのかもよくわかってなかった。

    最近はあまり無理をしなくなりました。基本は臆病な方がいいのかなと思う。

    単に自分が7年アフリカで撮り続けているおかげで、だいぶ感覚がつかめるようになってしまったからなのかもしれませんが。

    現地で動くには、なるべく現地の人と一緒にいるようにしています。僕、アフリカだと「白人」って言われるんですよ。肌の色は、日本人にしては色黒だと思うんですけど、それでも現地の人に比べたらものすごく白い。

    肌が白いと日光で光るんですよ。だから200メートル先の人たちが、光っている肌の僕をじっと見ている。向こうの人達ってものすごく視力がいいし。

    コンゴは部族語が4~500位あるんです。そういう意味でも英語がわりと通じて、かつ幾つかの部族語を話せる現地の人と動く必要があります。

    ●放射能は撮るのが難しい

    年の半分は撮影のために外国に行っていますが、日本にいる間は普段はカメラを持ち歩かないです。

    最近は撮影より魚突きに一生懸命になっているかも。

    八丈島の自宅からほど近い浜辺に出て、海がなぎの時は今日は水に入れそうだと思うとすぐモリを持って潜り、魚を獲っています。

    魚は御飯のおかずになるしね。

    写真より魚のほうが食べられるし、いいですよね。

    僕の写真はおいしくないかもね。買って帰って家に飾りたいって思うような写真じゃないし。ここに展示している写真も、そのうちゴミになるんじゃない(笑)。

    今回の写真集と展覧会を通して、自分が撮影したアフリカの写真は、改めてつぶさに見ることができました。写真って見るたびに新しい発見があると思うのですが、もう発見はないだろうというぐらい何度も繰り返し見た。

    次は、アフリカから撮影地を移そうと思っています。

    2011年の春からは外国には行っていません。日本で東日本大震災が起こったのがきっかけで帰国してなんとなく今まで日本にいてしまった。

    地震があった時はメキシコにいました。

    2機目の原発が爆発したのをテレビで見て帰国を決心して、戻ってきてすぐ中古のスーパーカブを買って福島に向かいました。

    僕が福島に到着した時はまだ、福島が今以上に混乱していました。

    警戒区域が指定されて20キロ圏内が封鎖された2011年4月21日の前日まで撮影を続け、いろんな人にお会いしました。

    震災直後は現場が動いているので写真に写りやすいけれども、震災後時間がたつにつれ

    とくに福島は写真で放射能の被害を視覚化するのが本当に難しいと思います。

    今取り組もうと思っているのは、メキシコ麻薬戦争の取材です。

    中でも、メキシコの刑務所に興味があって、昨年は昔からの友人のジャーナリストに協力してもらい刑務所の撮影をしていました。

    ところが、そのジャーナリストの友人が帰国してすぐに捕まってしまった。

    刑務所を一緒に撮影していたのに、今度はその友人が、僕と一緒に撮影していた同じ刑務所に収監される側になってしまった。

    為替法違反という罪だそうですが実際のところは不透明なところの多い逮捕収監でした。

    友人の刑期は7年だそうです。友人に会いに行きたいし、そろそろ撮影を再開したいと思っています。

    【お知らせ】

    11月17日、 Reminders Photograpy Strongholdで、「ポートレイト」というテーマで、2011年木村伊兵衛賞を受賞した写真家田附勝さんのトークイベントが行われます。

    詳細はこちらよりご覧ください。

    言葉なき対話
    第1回 『ポートレイト | Tatsuki vs. Arbus』

    亀山 亮 (かめやま りょう) 写真家 
    1976年千葉県生まれ。1996年よりサパティスタ民族解放軍(先住民の権利獲得運動)など中南米の紛争地の撮影を始める。
    現在はアフリカの紛争地を集中的に撮影。
    パレスチナの写真で03年さがみはら写真新人賞、コニカフォトプレミオ特別賞。
    著書に『Palestine:Intifada』『Re:WAR』『Documentary写真』『アフリカ 忘れ去られた戦争』などがある。

    ききて:

    中島麻美(なかしまあさみ) 編集者・記者・作家
    1977年生まれ埼玉県育ち。出版社の編集者であり記者。2011年4月10日、福島第一原発正門前に立ってから福島県の取材を続けており、自分自身が見てきた福島県について執筆中。写真とあわせて出版予定。ガジェット通信では「レシピ+お話」という形式の連載やインタビュー記事を執筆。2011年、日本ねじ工業協会「ねじエッセイ・小論文コンテスト」で、B部門最優秀賞を受賞。NHK「視点・論点」に「ねじ」というテーマで出演する。http://goo.gl/K8m5Y
    著書に「ガムテープでつくるバッグの本」があり「ガムテバッグの人」としてもメディアに登場している。
    Twitter https://twitter.com/aknmssm
    Facebook http://www.facebook.com/nakashimaasami


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