原発2年02 安全の論理(間接)(中部大学教授 武田邦彦)

今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

■原発2年02 安全の論理(間接)(中部大学教授 武田邦彦)
原発の安全を守る主要な論理の内、間接的なものとして、
4)事故処理システム
5)核廃棄物処理
6)被曝と健康
の3つがあります。

●「安全」というととかく「原発が爆発したり事故を起こしたりしないこと」と思いがちですが、どんなものでも「安全を守る」というのは、付随的なことも完璧になっていなければなりません。

たとえば、石油コンビナートには必ず専属消防隊がいます。もちろん石油コンビナートは安全に万全を期し、事故が起こらないようになっていますが、それでも火災などが起きます。その時に市営消防では手に負えない化学物質の火災があるので専属の消防隊が必要です。

そんなことはあまりにも当たり前で、「事故が起こったときどうするか、事故を起こしたものをどのように処理するか」が決まっていないで「安全だ」と言っても笑われてしまいます。

でも、今の日本の原発の安全議論は石油コンビナートで言えば「消防車や救急車は要らない。燃えたらそのままにしておいて良い。火傷をした市民は知らない」という状態です。つまり福島原発が爆発した時、巨大な施設にほとんど「事故を抑える消防や防御」がなく、「事故後の原発をどうするのか」もわからず、「汚染水は流しっぱなし」になっています。

●核廃棄物の処理は「安全以前」と言えます。つまりどんな工業でも「そこからでる環境汚染物質をどのように安全にするのか決まっていないで操業が許可される」ということはないからです。

環境省という役所は本当にどうにもならない役所で、相手が弱いとなると「ゴミはかたづけろ!排水は自分で処理しろ!」と言うのに、相手が東電となると、「良いですよ。原発からでる核廃棄物は環境省とは関係がありません」と知らぬ顔で来たのです。国民を環境汚染から守るために税金をもらってきたのに、「例外」が多いのです。

私がテレビで「安全な原発推進派」と言ったら「核廃棄物の処理が決まっていないのに、なぜ安全なのか」という読者からのお叱りがありましたが、読者の方も日本社会の歪みの影響を受けてしまったようです。

核廃棄物の処理が原発の安全にかかわることは当然ですから、「核廃棄物の処理と処理するところが決まっていて始めて「システムとして安全」になる」からです。

●最後にもっとも大きな問題は「被曝と健康」の問題がハッキリしていないことです。日本は長く「原爆反対運動」を続けてきました。その理由は「単なる爆弾では無く、その後、被爆によって原爆症で苦しむ人がいるから」というのが主たる理由でした。つまり「被曝と健康」の問題を世界に訴え続けてきたのです。

そして、原発の基準として、1)平時は1年1ミリ以内、2)きわめて希に起こる(国際的には10万年に一度程度)事故では1年5ミリまで、3)土壌汚染は1平方メートル4万ベクレル以下、4)クリアランスレベル(自由に取り扱って良い)は1年0.01ミリシーベルト、などと決めてきたのです。

しかし、福島の事故ではこれまで日本国が自ら決めてきた基準を簡単に放棄し、ICRPという外国のNPO(任意団体)が言ったという数値や個人の医師が自らの経験に基づいて「大丈夫」という値を採用してきました。

法治国家でなぜこのような事が起こったのかというと、被曝と健康の問題が広島長崎の原爆以来、まだ「学問的な結論」がでていないからです。

このような間接的な問題についても、固有安全性、多重防御、耐震性という3つの直接的な安全概念とともに、ハッキリと決めておかないと原発の安全指針を決定することはできない。

執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年04月02日時点のものです。

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