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必要な無駄。無駄の必要性。
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必要な無駄。無駄の必要性。

2013-04-19 16:05
    必要な無駄。無駄の必要性。

    今回は鹿野 司さんのブログ『くねくね科学探検日記』からご寄稿いただきました。

    ■必要な無駄。無駄の必要性。
    はがきの郵便料金は、昔から全国一律と決まっている。

    でも、これって少し不思議な感じがしないだろうか。これでは利用者は、遠いところにはがきを出すほど得で、近距離は損になる。

    そういうやり方よりも、きめ細かく距離別料金にすれば、そういう不平等がなくなり、無駄が省けて効率が上がるだろう……。

    でも、実際にはそうじゃないんだな。

    実はこのやりかたは、18世紀のイギリスの数学者で、世界ではじめて、階差機関や解析機関という名前の、プログラムで動く機械式の計算機、つまりコンピュータの原型を考案した、チャールズ・バベッジの分析にまで遡ることができる。

    かつてのイギリスの郵便は、距離別料金を徴収していたらしい。

    しかし、バベッジは、距離別に仕分けする作業コストと、全国一律料金にしたときのコストを比較して、仕分けに必要なコストが実は非常に大きく、そんな手間をかけるよりは、全国一律にしたほうがはるかに安上がりになることを数学的に証明したんだよね。こういう考え方は、後にオペレーションズ・リサーチという学問分野に発展していった。

    この洞察と分析があったから、葉書の料金は現代の日本でも全国一律になっているわけだ。

    もちろん、これって近距離に葉書を出す人は多めにお金を払い、遠距離に葉書を出す人は少なめに料金を払っているわけで、近距離の人は無駄な出費を強いられているってことでもある。

    そこで、そういう不公平は赦せない、制度改革しろってって怒りにまかせて変更したりすると、そうしてできあがる新制度は、必ず、誰にとっても割高なものになってしまうんだよね。

    無駄を省くことは原則としては正しいけれど、それを取り除くには限界があって、あるところを越えると、無駄をなくす作業そのもののコストが飛躍的に上昇する。

    その結果、全体のコストが膨れあがるという、本末転倒が起きてしまう。

    それくらいなら、無駄を省くという一見よさげな考えも、あるところで諦めるのが合理的だというのが、バベッジの洞察だったわけだ。

    機械の歯車が滑らかに回転するには、「あそび」が必要だ。

    あそびというのは、歯車と歯車がふれあわない瞬間があるということで、その時は力が伝達されないわけで、効率が悪いともいえるし、無駄があるとも言える。

    甚だしい「あそび」は、「ガタ」といって嫌われる。

    でも、あそびをまったく無くすと、歯車どうしが焼き付いて、機械が大きく壊れてしまう。

    ある立場から見ると、一見無駄なことでも、あるいは悪事にすら見えたとしても、全体システムとしてはそれを取り除くことはできない、無理に取り除こうという努力をすると、かえって全体を悪くするものってのは、なんにでもあるんだよね。

    日本の文化はとにかくきっちりやりたがる傾向が強いので、無駄というのは基本的に悪い事のように思ってしまいがちだ。しかし、実際にはその無駄=あそびが、システム全体の効率を最適にしていたり、必要不可欠だったりすることは多い。

    色々なところで、あれは無駄だ、これは無駄だという話をよく聞くけど、それは本当に取り除いてしまって大丈夫なのかってことがすごく多いと思う。

    小さな政府指向で、公務員の数をどんどん減らせみたいなことがよくいわれる。でも、そういう事に賛同している人は、公務員はなんとなくいけ好かないから、漠然と減らすことに賛成みたいなところがあるんじゃないかなあとも思うんだよね。本当に数を減らしたら、どんなことが起きるかまでイメージしていないんじゃないかなあ。

    たぶん、日本人の多くが望んでいるきめ細かなサービスとか、孤独死や虐待を未然に防ぐなんてのはマンパワーがものすごくいることなんだから、本当に人数を減らしたらそれは実現不可能になる。

    つまり、オレたちの望みは小さな政府じゃないと思うんだよね。

    まあ、大きな政府小さな政府ってのも、わりと最近の輸入概念だから、みんなの心にしっかりしたイメージができていないような気もするけど。

    そういうマンパワーを必要とするきめ細かなサービスを切り捨てるってことを、日本人の大半が望んでいることだとは、オレには到底思えないんだなあ。

    具体例として、オレが今、とりあえず本当にそんなことして良いのかって思っていることの一つが、生活保護費の引き下げだ。

    生活保護費引き下げは妥当か*1に論点が整理されている。

    *1:「生活保護費引き下げは妥当か」 最終更新日:2013年02月11日 『Yahoo!みんなの政治』
    http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/1227/

    この論点以外にも、実際の調査で、生活保護世帯のほうが最低賃金の世帯より多くお金が出ているケースはあるにはあるけど、例外的だって事がわかったはずだし、生活保護より最低賃金が安い世帯があったとしたら、低い方に揃えるのではなく、低い方を高い方に揃えるようにすべきだろうと思う。

    財政厳しきおり、国庫の支出はなるべく減らしたいという事情はあるんだろうけど、この部分は減らしたらもう後がないような部分で、もっと少なくやりくりできている人もいるのだから、今の生活保護費は無駄に払いすぎてるってやるのは、発想としてはかなり歪んでいるとオレは思う。

    この生活保護費削減の政策の道筋をつけるにあたって、少し前に不正受給が酷いという世論を喚起していたけど、結局、不正受給だって全体のコンマ5%しかいなくて、それも、たまたまイレギュラーにアルバイトができてわずかばかりの収入があったのを申告していなかったというものが大半だったりしたわけだ。

    そんなちいさな「不正」を不可能にするように、金券で支給とか、監視と罰則を強化なんてしてたら、それを実現するための費用がかさんで、全体システムとしてかえって非効率になることは確実だ。そのぶんの費用で、援助できるはずの人が、大幅に減ってしまい兼ねない。

    これは、はがきの料金が全国一律のほうがいいってはなしと、本質的に同じ事なんだよね。

    ある一部分をみれば、無駄なこと、悪い事は確かにあるんだろう。

    でも、それに対して情緒的になって、絶対にそれは取り除くべきだってやると、自分も含めた全体として社会の大きな損失になるということが、最近の日本では目だって増えてきているように思える。

    悪いところを見つけて、ネガティブな感情を換気して、その勢いでその悪いとされるものを取り除くというやり方は、どうもあまりうまくいかないんじゃないかと思うんだよね。

    まあ、これは、人生のあらゆる問題もふくめて、どんなことにでも当てはまることじゃないかなあと思うんだけどね。

    執筆: この記事は鹿野 司さんのブログ『くねくね科学探検日記』からご寄稿いただきました。

    寄稿いただいた記事は2013年04月16日時点のものです。

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