今回はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠』からご寄稿いただきました。
■アニメ愛好家として「好き/嫌い」「凄い/凄くない」を区別できるか否か
新作アニメ『惡の華』を巡って、アニメ界隈が「ひとこと言いたくて仕方がない雰囲気」になっていて、現時点では作品そのもの以上に興味深い。ともあれ、話題沸騰なのはいいことだと思った。
その騒々しい風景を眺めているうちに、昔、ある人から教わったフレーズを思い出した。
「愛好家たるもの、自分自身の「好き/嫌い」の次元と「こいつは凄い/凄くない」の次元をきちんと区別できなきゃいけない。」
アニメに限らず、料理や音楽にしたってそうだ。
たとえば、自称料理愛好家が「俺はハンバーガーが好きだ。だからハンバーガーはどれも凄い」と言っていたら、そいつの舌はたいしたことがなさそうである。素人の出したハンバーガーを「凄い」と褒めちぎり、嫌いな食材の入った料理とみるや問答無用で「こいつはダメだね」の一点張りでは、“ただのハンバーガー厨”と言わざるを得ない。グルメじゃなさすぎる。
おなじく、自称アニメ愛好家が「俺は萌えアニメが好きだ。だから萌えアニメはどれもクールジャパン!」と言っていたら、そいつはたぶん、ただの萌え豚だろう。「あなたの大好きな萌えアニメにも、しようもないやつもあれば、精巧に磨き上げられたやつもあるんじゃないですか?」と問わざるを得ない。萌えアニメ以外の凄い作品も挙げてくださいよ、と訊いてみたくもなる。
個人的な好悪に振り回されるばかりで、「ちっとも凄くないけれども俺の好み」「こいつはとんでもない代物だけど、自分としてはまっぴら御免」あたりが意識できないようでは、そのジャンルを追いかけているとは言いがたい。「好き/嫌い」と「こいつは凄い/凄くない」を混同したまま、どうして個々の作品を整理し座標づけることができよう? 個人的な好き嫌いと、その作品の意図・実装・文脈 etc...を、あるていど区別して評価できなければ、いつまでたっても感覚が磨かれそうにない。ブロイラーとして肥え太っていく覚悟ができているならそれでいいのかもしれないが……。
逆に、そうした「好き/嫌い」「凄い/凄くない」を区別して評価するよう常から意識していれば、おのずとアニメの鑑賞眼を磨けるんじゃないか、と信じたいところではある。
●「凄い/凄くない」を意識し過ぎて「好き/嫌い」を忘れてしまう罠
その際、たぶん注意しなければならないのは、「凄い/凄くない」を意識しすぎて、自分自身の「好き/嫌い」を忘れてしまうこと。
「俺は凄いアニメを知っているんだぞ」的な功名心がはやるあまり、自分自身の「好き/嫌い」をほったらかしにし、傑作といわれる作品を必死に追いかける人をみかけることがある。もちろん、そういう時期もあっていいとは思うけれど、やり過ぎは危険だ。自分の「好き/嫌い」の感覚がだんだんうすらボケてきて、巡り巡って「凄い/凄くない」がかえってわからなくなってしまうかもしれない。
もし、サブカル雑誌や業界人の一挙手一投足にビクンビクン反応してしまうような、風見鶏みたいな人間になってしまったら、それはもう、アニメ愛好家としては死骸に等しい。できあがるのは“アニメがわかっている自分自身愛好家”とでも言うべき、アンデッドモンスターである。熱血の通わないアニメライフや、偉い人の劣化コピーに成り果てるアニメライフに、愛好家という言葉はふさわしくない。
だから、「凄い/凄くない」をできるだけ見極めるように努めながらも、好きな作風の作品はちゃんと愛でるようなアニメライフのほうが、遠回りのようで正解なんじゃないかと私は思う。アニメを観るときの心構えとして「昆虫のように観察し、豚のように萌えろ」を座右の銘にしているのも、そのためだ。
『惡の華』をはじめ、今期の深夜アニメは本当に色んなタイプの作品がそろい踏みなので、すごく楽しみ。大豊作を、祈るばかり。
執筆: この記事はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年04月16日時点のものです。
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