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外資に勤めるということ
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外資に勤めるということ

2013-01-07 14:01
    外資に勤めるということ

    今回は及川卓也さんのブログ『Nothing ventured, nothing gained.』からご寄稿いただきました。

    ■外資に勤めるということ
    「兄ちゃんはアメリカが好きなんか?」

    筋骨隆々の作業員の人にそう言われ、軟弱大学生だった僕は「いや、そういうわけじゃないんですけどね」とえへらえへら笑うだけだった。

    大学4年の夏休み、僕は大学の研究室から派遣され、九州で地熱探査の調査にあたっていた。勉強の一環でありながら、バイト代も出るという美味しい体験。

    熊本空港から入り、阿蘇山を越えた辺りの九重地域に調査隊はベース基地を設けていた。この調査はMT法と呼ばれる地熱探査の実用化を調べるもので、ベースキャンプに残る一隊とそこから50km、100kmと直線距離で離れた地域まで調査車で出向き、比抵抗を計測する隊とに別れて行動していた*1。

    利用する光ケーブルはそこそこ重く、それを運ぶための作業員の方は地元で雇われた方々だった*2。冒頭の質問はその作業員からのものだ。

    九州に発つ前、僕はようやく内定をもらっていた。

    バブル期のため、よほど贅沢を言わなければ就職先には困らなかったにもかかわらず、内定をなかなか取れずにいた。焦り始めたころに受けていた某石油開発会社と某テレビ局、そして外資系コンピューターメーカーの3社のうち、外資系コンピューターメーカーが内定を出してくれたのだ。それが僕の最初の会社である日本DECだ。ボストンに本社を置くアメリカ企業だ。

    そのことを九州で作業の合間に話したところ、作業員の一人から「兄ちゃんはアメリカが好きなんか?」と聞かれたのだ。

    モラトリアム期間を満喫しまくっていた大学4年の僕は、日本企業とかアメリカ企業とかは意識していなかったので、なんと回答して良いか言葉に詰まった。

    それ以来、日本人でありながら、米国(ここからは米国と記する)資本の会社に勤めることについてたびたび考える。

    米国資本ということは、米国経済の片棒を担いでいるということなのか。

    日本と同盟関係にあると言っても、当たり前だが別の国だ。

    僕が社会人になったころにはだいぶ収まりつつあったが、日米経済摩擦もまだ二国間には横たわっていた。また、コンピューター業界には、IBM産業スパイ事件の影響などもあり、日本対米国という構図もあった。

    社会人として働き始めてから、いろいろなことを経験した。

    外資系ベンダーだからということで言われもない差別を受けたこともあった。

    多くの誤解もあった。都市伝説的というか、なんというか。

    良く言われること。

    外資系だから給料が良いでしょう。

    外資系だから実力主義なのでしょう。

    外資系だから年功序列はないのでしょう。

    外資系だから…

    正しいと言えば正しいし、正しくないと言えば正しくない。外資系と言っても、その業種によって異なるし、会社によってさらにぜんぜん違う。

    だが、外資系に勤める人の多くで共通していることがある。それは常に日本を意識することだ。

    以前、日経ビジネスに「外資系に勤めるとなぜ“右傾化”するのか」という記事が掲載されたことがあり、激しく首肯した。この記事の中では、外資系企業に勤務した人間が持つ3つの愛国心のあり方が紹介されている。

    いわゆる「外資系IT企業」に勤めていた方が愛国心を発露する時の姿勢には大きく3通りあるように思う。1つは「このままでは日本はダメになる。もっとしっかりしてくれ」と前向きに主張することである。

    外資系IT企業で働いた人が愛国心を表現するもう1つのあり方は、「自分は欧米と日本の長所短所を知っている。両国の間に入り、欧米と日本を結びつける仕事をして、日本の役に立ちたい」というものである。

    3つ目の愛国心の発露は後ろ向きなもので、欧米嫌いと呼ぶべきかもしれない。欧米本社の幹部と長年やり合っているうちに疲れてしまい、「白人は嫌いだ」などとつぶやくようになる。

    僕は幸運にも会社と組織と上司にも恵まれ、3つ目のような感情を抱くような経験をしたことはない。主に、抱くのは最初の2つの感情だ。

    外資系には日本撤退というのが常に控えている。会社ごと撤退というのはそうそうあるものではないが、ある事業の撤退は当たり前にありうる。さらに言うと、日本の顧客には見えないかもしれないが、社内でのプロジェクトのキャンセルやオーナーシップの移管(日本からほか拠点へ)は頻繁にある。本社とのレビューの結果などで、そう判断されるのだ。こう書くと、一方的に支配されているように感じるかもしれないが、それは会社による。トップダウン型でなかったとしても、会社内の基準でプロジェクトが淘汰され、同じ基準が日本にも適用される。

    日本よりも開発コストの低い拠点で担当することになったプロジェクトや日本市場に魅力が無くなったために閉鎖することになった研究施設などの例はそれこそ枚挙に暇がない。

    このような外資系で働き続けるためには、常に日本の価値を高めていないといけないのだ。

    日本市場が営業先として魅力的でなければ、日本に直販の部隊を置く必要はない。日本に労働市場としての魅力が無ければ、日本で採用を進めることはできず、結果、日本オフィスの拡大は挑めない。アジア諸国と労働コストで比較される場合には、労働コストにおける不利を覆すほどの理由を日本人を日本で採用するために持たなければいけない。日本市場の特殊性を指摘されたら、それが日本市場だけでしか通用しないものなのか、他国に将来的に展開できるものかを考え、後者である場合にはそれを証明しなければいけない。

    日本企業が日本で事業を続けるのとはまた違った厳しさがあり、それは常に、大げさに言えば、日本を背負ったものとなる。

    「黒船でも良いと思うんですよ」

    外資系に勤めていることについて話すとき、時折このように言うことがある。黒船という言葉は植民地化を目的とした幕末の黒船到来を指すことが多いため、必ずしも適切ではない。だが、言いたいのは、日本を少し外から見て感じることを正直に伝えることは、日本企業の人にとっても役立つのではないかということだ。

    「そういえば、日本は外圧じゃないと動かないこと多いですよね」と知人は言った。そこまでのことは思わないが、外部からのある種不快な意見が日本を揺さぶり、そして気づきを与える。傲慢と言われかねないことを覚悟して言うと、そのように考えることも多い。

    日本の常識は世界の非常識。世界の常識は日本では非常識。日本の数年後をやっと追いかける世界。世界とは異なる路線を歩み続ける日本。いろいろと言われる。すべて正しいし、すべて間違っている。勝ったものがすべての世界なので、結果的に日本が世界で通用し続ければ良い。

    外資系にいると、日本企業や日本製品の海外での競争力というのが嫌でも見えてくる。日本企業の競争力低下はそのまま外資系企業の日本法人の社内における力関係にも影響することがある。特に、パートナー企業とのエコシステムを構築するような企業の場合はそうだ。その意味で、日本にいる外資系企業で日本企業の成功を願わない企業などはごくわずかだ*3。

    日本で働く仲の良い米国人が僕に言った。

    「日本人には言えないような失礼なことを言っているかもしれない。でも、日本人にはしがらみがあって言えないことでも、これが正しいと思うんだ。みんなそれがわかっていても言えないんだ。だから僕が代わりに言っている。もし、問題になったら同僚にはこう言ってもらっている。『礼儀を知らない失礼なアメリカ人が変なことを言っていて、申し訳ない』と。それが原因で僕が嫌われても構わない」

    外資系で働く僕も同じような気持を持っている。

    愛の形は人それぞれ。日本が好きでも日本企業に勤めない。

    「兄ちゃんはアメリカが好きなんか?」

    「いや、僕は日本が好きだ。だから外資系企業に勤めている」

    そんな日本人もいる。

    外資系3社目ですでに6年が過ぎた年末。

    執筆: この記事は及川卓也さんのブログ『Nothing ventured, nothing gained.』からご寄稿いただきました。

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