今回はメカAGさんのブログからご寄稿頂きました。
■人はいつからいきなり「馬鹿」と言い始めたか
某プロブロガーに「いきなり面と向かって馬鹿とはいわないでしょ」と言われた。ネットではいきなり馬鹿という人が多いという話の中で。
この「いきなり」が俺の頭の中で、引っかかった。多くの人は初対面の人間にいきなり「馬鹿」と言われるのは容認しがたいが、それなりの付き合いができた後なら、さほど意外ではないということなのだろう。まあ学生時代の友人同士なら、馬鹿だアホだと言い合うだろう。
では初対面と友人ではなにが違うのか?相手に関する情報をどれだけ持っているかかもしれない。こいつはこういうやつで、こういう場合に「馬鹿」という・・・とか情報があればいいわけだ。逆に初対面の人間は、自分の事をろくに知らないはずなのに、なんでそんな奴に馬鹿と言われなきゃならないんだ、と思うのだろう。
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しかし自分に取って相手は初対面でよく知らない人間の場合でも、相手は自分をよく知っているケースはある。たとえば遠縁の叔父とか、叔父の方は子供の頃から俺を知っているが、俺の方はそんなの忘れてしまっていたりすると、馴れ馴れしく話しかけられて戸惑うことがある。「この人、誰だっけ?」と。つまり保持している情報は非対称なのだ。
芸能人やマンガ家が、ときどきこぼす。すごく馴れ馴れしい文体で手紙を書いてくるファンがいる、と。ファンにしてみればその芸能人やマンガ家は、テレビで見たり、週刊誌で私生活を報道されたり、マンガ家な作品や作者近況などで、いろいろ情報を知っているわけだ。一方、芸能人やマンガ家にとっては、そのファンは初対面の人間でしかない。
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こういうケースはむかしからあったと思うのだよね。ネットなんてない時代でも。ただネット以前はファンレターを出すぐらいしかファンから芸能人への伝達手段がなかったので、さほど問題にならず、「ちょっと気持ち悪いファン」程度で処理されていたのだろう。
マンガ家もときどきこぼしているように思う。作品について「こうした方がいい」と、すごく偉そうに意見をいうファン。編集者気取りのファン。アニメでも監督がしばしばファン(というかオタク)を疎ましく思うの同様。
人間は自分がよく知っていることは、何かとあれこれ語りたがるものなのだ。たた有名人とファンでは、互いに相手に関する持っている情報量が違うので、それが有名人にとっては当惑の原因になる。
ネット時代になって、ファンも芸能人などと対等に公の場で発言できるようになった。なので目立つようになった。
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そもそも仲間内で、あの芸能人の言動はどうだ、あれはダメだろう、こうすべきだろう、とか偉そうに酒の肴として語ることはむかしからあったと思う。それが目立つ場所でおおなわれるようになっただけだろう。
ある意味冷蔵庫コンビニ店員と同じ。いままでもあの程度の悪ふざけは仲間内で行われていたのだろう。ただそれが人々の目に触れなかっただけのこと。
「安倍総理は馬鹿」とか批判しているジャーナリストも、みんな安倍総理と面識があるとは思えない。面識もない相手に馬鹿というのは失礼な気がする。あまり問題にならないのは、ある程度以上の立場の人間は、そういう批判がされるのは仕方ないと割り切っていたのだろう(いわゆる有名税ですな)。最近は堪え性のない人が増えたのかもしれない。
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となると問題を突き詰めれば、自分の知らないところで「馬鹿」と言われるか、自分の目に触れるところであからさまに「馬鹿」と言われるかの違いということになる。いままでも有名人は自分の知らないところで「馬鹿」と言われていたのだ。
ネットで「馬鹿」ということを禁止した場合、また目に触れないところで「馬鹿」と言われる状態に戻るだけ。どうなのかねぇ。それで社会は良くなったといえるのだろうか。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年09月04日時点のものです。
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