今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■インターネット・ジェネレーション・ギャップ
俺にも若い頃はあって、よく「若いね」と言われて、ムカついていた。ようするに「考えが浅はかだね、でも若いんだからしょうがないね、年をとればわかるよ」という意味なわけで。
で、「俺の考えのどこがおかしいんですか(どこが未熟なんですか)」と食い下がるのだが、リアル社会では哲学的な議論を延々とする機会はあまりない。「そんなくだらないこと言ってないで、さっさと仕事しろ」と打ち切られてしまう。
学生の頃は仲間内でそういう議論に明け暮れたけれど、リアル社会では居酒屋とかでしか機会がないし、それとて延々とそんな話ばかりしているわけにも行かない。
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パソコン通信が普及しはじめて、そういう議論をいくらでも気のすむまでできる場が登場した。もう俺は狂喜乱舞したね。当時は週末にしかログインしない人も多かったから、会話が一往復するのに2週間かかったりした。今と比較すると船便で文通していようなものだ。技術の進歩は凄まじい。
でもリアル社会で議論する機会がない哲学的な話題を、いくらでも議論できるのは嬉しかった。そこでわかったのは、予想されたことだが、やっぱ「若いね」で片付けられていた事には、深淵な背景があること。いくら突っ込んでも底が見えない。掘れば掘るだけ自分が知らない情報が出てくる。
楽しかったし嬉しかったね。食べきれないお菓子の山に囲まれているよう。「これは夢か?」と。
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俺達の世代と、物心ついたときにすでにお菓子の山(インターネット)に囲まれている世代は、情報に対する認識が違うのかもしれない。狂喜したお菓子の山は、インターネット世代にとっては、うんざりするだけのものなのかも。なにしろそこら中に転がっているのだから、ありがたみがない(苦笑)。むしろ邪魔だと感じるのかもしれない。
俺の親の世代は戦争経験世代だ。よく戦争中は食べ物がなくてひもじかったという話をしていた。だから食べ物を大切にしなさい、食べ物に不自由しない今の世界を大切にしなさい、と繰り返し繰り返し…。でも理屈としては理解できても、結局俺は実感としては理解できなかったと思う。
戦争もさらに一つ上の祖父母の世代になるとちょっと違う。祖父母が語るのは、自分の子供(俺の親)に満足に食べ物を与えられなかった無念さが中心となる。それも俺の世代は永遠に理解できないのだろう。
食べ物を粗末にすると烈火のごとく怒られた。だから一応食べ物の重要さはわかっているが、そういう間接的なことでしか、理解していない。理解できないことを喜ぶべきなのかもしれない。
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ネットがない時代、情報交換する手段って、たとえばパソコンなら、どこかのパソコンクラブに入って会報とかを読むしかなかったんだよね。あとはパソコン雑誌。だから雑誌に乗ってないような「貴重な」情報を手に入れるのに苦労した。もってる知人を拝み倒して会報とかをコピーさせてもらったり。中にはもったいぶってなかなかくれない、嫌な奴も中にはいる。でも情報がほしいので卑屈に拝み倒したり(苦笑)。
大学の期末の過去の試験問題とか、何世代も学生の間で(紙の)コピーが受け継がれていた。コピーにコピーを重ねているので、コピー機の性能の限界というか、文字がもう点々になって判読できなかったり。一体何世代コピーを繰り返せばこうなるのか、と(笑)。少しでも安いコピー屋を探しまわったり。
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それに比べるとググれば、たいていの情報が手に入る今の時代って、夢のようだ。まあ情報がありすぎて、食傷気味になるという別な悩みがあるが。
だから情報を制限しろ、不健全な情報はネットから追い出せとかいう人達を見ると、とんでもないことだと思ってしまう。情報が満足に得られず、入手するのに偉い苦労した時代に戻りたいのか、と。
食べ物の貴重さにいまいち実感が感じられない俺たちの世代を、親や祖父母たちは、こんな気持で見ていたのかなと思うと、まあ、物事は順番に進んでいくのだな、今度は俺の世代の番なのだな、と。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年10月01日時点のものです。
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