今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
■普通のことを普通にする(1) 学校
学校は勉強、スポーツ、芸術を通じて子どもを立派にするところですから、学校に来たら勉強し、スポーツし、芸術を学ばなければ意味がありません。それを通じて人格を形成していきます。それ以外の教育方法もありますが、それはまたの機会にして、ここでは学校では勉強、スポーツ、芸術などを学ぶとします。
そして、子どもによって当然、得意な分野とか能力が違うのですから、その子どもに合わせた目標を作り、それに基づいて教えて行く必要がありますが、一律の合格点にしたり、目標を高くあるいは低く置いたりすることがあります。
日本の場合、国民のレベルが比較的均質なので、できるだけあるレベルに到達させることが本人のためになりますから、やや強制的が良いと思います。
また義務教育ではない高等学校、大学では自分のレベルにあった所に行き、そこで勉強やスポーツができるし、特に大学では講義を選択できるので、自分のやりたいことを勉強して、単位を取り、卒業すれば良いだけのことです。
ところが、勉強しない学生をどうするかとか、文科省が何%までしか留年させてはいけないという無意味な制限を作ったりしますので、「当然のことが当然にできない」ということが起こっているのです。少なくとも高校では、「静かに授業を受けない」とか、大学では「試験に合格しなければ単位が取れない」や、「卒論をほとんどやらない」学生は落第させることができるシステムが必要でしょう。
現在のように「講義に出ず、講義を聴かなくても、卒論をせずに4年の時には遊んでばかり」でも大学を卒業できるようなことを止めなければならないと思います。
つまり、義務教育のうちはその子どものレベルに合わせてとにかく9年間の教育をして、高等学校、大学、大学院は個人の希望と能力に合わせた学校にいくのが「普通」です。もちろん大学は試験がシッカリしていれば、入学試験は不要です。
また、大学がどの高等学校をでても入試に差別をしないように、会社も社員を採用するときに、できる限り学歴によらずに人物を見る力を人事部が訓練する事が大切です。
今、体罰やイジメの問題がありますが、それは学校全体が、文科省や日教組にあれこれと食い物にされ、素朴に「子どもを教育する」ことができなくなっていることによります。
日本人の誰もが「そりゃ、学校はそうしないと」と思うことをすれば学校は良くなると思います。もちろん、社会常識を守り、学校に出せる子どもを教育するのは家庭です。そのためには教育基本法の改正や、文科省の廃止など大きな変革が必要ですが、日本社会がそこまで力があるかやや疑問です。
執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
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