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人の心で取材しつづけ、社会を動かした事件記者
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人の心で取材しつづけ、社会を動かした事件記者

2012-10-22 10:46
    by泉美木蘭
    /


     
    私のメールボックスには、毎朝、朝日新聞デジタルからその日のニュースヘッドラインが届きます。
    今朝はそのなかに
    「〈売れてる本〉ゴーマニズム宣言SPECIAL脱原発論」
    という紹介がありました。
    先週の生放送「よしりんに、きいてみよっ!」では、「ゴーマニズム宣言」が産経新聞と朝日新聞に取り上げられてきた歴史と、イデオロギーと思想の違いについて先生からすこしお話しをいただいたところでした。
    今週の金曜日、21時からの放送では、この書評がテキストになります。
    さらにくわしく、深く、でもわかりやすく、たのしい番組を展開したいと思っています。


    ******

    読書の話をひとつ…。
    私にとって、「人の心で取材しつづけ、社会を動かした事件記者」という強い印象のある著者の一冊です。
     
     
    「桶川ストーカー殺人事件 ― 遺言」 清水潔 著
     
    1999年10月26日白昼、埼玉県のJR桶川駅前で当時21歳の女子大生が、元交際相手の男性から執拗なストーカー行為にあった末に刺殺された事件です。
    被害者は中傷ビラを大量にまかれたり、家族が恐喝されたりし、何度も警察署にかけこんで「このままでは殺されてしまう」と助けをもとめたものの、まったくとりあってもらえませんでした。
    さらに、被害者は生前、犯人の氏名ほかすべてを記した告訴状を提出していましたが、これを受け取った埼玉県警上尾署は、「事件が多くて面倒だから」という理由で、告訴状を「被害届」と改竄してしまうという前代未聞の不正を行いました。
    告訴状なら刑事罰を与える目的があるので、警察は捜査する義務がうまれます。
    しかし、被害届は単なる被害の報告なので、捜査するかどうかは警察が決められるのです。
    そして被害者の女子大生は、捜査をしてもらうことができなくなり、誰の助けも得られぬ絶望のまま、殺されてしまいました。
    これは大きな社会問題となって、上尾署では大量の処分者が出る事態となり、そして、のちに、「ストーカー規制法」が制定されるきっかけとなりました
     
     
    この事件では、当時写真週刊誌「FOCUS」の一事件記者だった、著者の清水潔氏が、被害者からくりかえし相談を受けていた友人らから
     
    「彼女は、犯人と警察に殺されたんです」
    「もし私が殺されたら、犯人は○○。これをメモしておいてくれと言われていました」
    「警察はとりあってくれない、自分たちも殺されるかもしれない」

    と、わらをもすがる悲痛な情報提供を受けたことがきっかけで、一心不乱に執念の取材へと飛び込むことになります。
    そして、「100人体制で捜査を行っている」と豪語しながら怠慢な捜査をしていた埼玉県警よりも先に、犯人を見つけ出しました。
    当時の埼玉県警上尾署は、多くの証拠物件を押収していましたし、生前の被害者が事件のあらましすべてを記した書類・・・告訴状も存在していましたが、それを改竄するという不正があったため、捜査をなかなか進めようとしませんでした。
     
    清水氏は、犯人を追いながら、こういった上尾署の職務怠慢、不正(いや、犯罪)をひたすら暴きつづけました。やがてムーブメントが起き、FOCUSの記事が国会でとりあげられ、警察の体制について糾弾されることとなったのです。
    これが翌2000年に施行された「ストーカー規制法」につながりました。
    こういった一連の取材記録をまとめ、事件のいまだ解明ならぬ部分、その後も隠されている「体制」の不可思議な点を問題提議しているのが、「桶川ストーカー殺人事件 ― 遺言」です。
     
    ***

    この本に興味を持ったのは、事件の起きた1999年当時、私が被害者と同い年の女子大生だったために、報道そのものを強烈に覚えていること、また、一人暮らしをはじめてまもなくて、両親が心配をして何度となく電話をしてくれたという記憶があるからなのですが・・・・

    当時、私の母はこんな風に話していました。
     
    「桶川のストーカー殺人って、怖いなあ。
    でも、テレビや新聞見てると、殺された子は、
    グッチの時計に、プラダのバッグに、厚底ブーツでけっこう派手
    やってなあ。
    ブランドが好きやったらしいよ。風俗嬢のバイトもしてたんやって
    かわいそうやけど、やっぱり、ああいう世界は怖いな」
     
    母も私も、この事件は「そういう世界の人のこと」として、自分の日常とは切り離して考えていました。
    でもこれ、とてもおかしな解釈です。だってつまり、「ブランド好きで派手めな風俗嬢なら、殺されるような目にあっても仕方がない」で、納得しているわけですから。偏見なのです。
    母にしてみれば、心配のあまり、「うちの娘は、ちがうから、安全」と思いたかったとおもいます。

    しかし、「犯人はこういう奴だった」という話ならともかく、殺された被害者の人物像が、なぜこうも親子の話題にのぼるほど報道されたのか?

    実はこれは、ワイドショーなどが下衆に暴いたものでもなんでもなく、
    埼玉県警上尾署による、公式発表だったのです。
    すでに不祥事を抱えていた上尾署は、被害者について、「グッチの時計」「プラダのバッグ」「黒のミニスカート」「厚底ブーツ」など、わざわざブランド名をあげつらい、派手な服装を連想させ、アルバイト歴などを公表して、あたかも“鼻もちならないふるまいをしていたイマドキの女子大生像”をつくり出しました。
    記者クラブに加盟している大きな報道機関は、これをそのままセンセーショナルに報道し、話題が沸騰。
    そして、世間は、
    「解決求ム」から、「あれは、起きてもしょうがない事件」という、偏見を利用したお茶の間の話題へと、悪劣極まりない印象操作にはまっていったのです。


    この警察発表が、おかしい、と気づいていた清水氏は、取材をつづけ、被害者の正確な人物像をどんどん明らかにしてゆきます。

    被害者は、好き好んでブランド品を身に着けていた派手な女性ではありませんでした。
    しかし、犯人から一方的に高額なプレゼントを贈られ続けたため、こわくなって断ると、
    「なんで俺の好意が受け取れないんだ! おまえは俺の言う通りにしてニコニコしてろ!」
    「言う通りにしないなら、お前に天罰を下す。おまえは2000年を迎えられない」
    などと激昂され、くりかえし脅迫されていました。
    また、私の母が「
    風俗嬢」と表現したような、一般的に連想する「性風俗店」で働いた経歴はなく、たまたま友人に頼まれて、酒を出す飲食店ですこしバイトをしたことがある程度でした。
    両親が好きで、弟たちが好きで、飼い犬を大切にしているごく普通のお嬢さんだったのです。

    報道が渦中のときは、私は警察発表の不自然さなど考えもしなかったし、
    当時のほとんどの報道機関は、「警察がそう発表したから」という理由があるにせよ、深く考えることなく、被害者に対する冒涜に加担しただけでした。


    ストーカー規制法ができた今でも、似たような事件がなくなるわけではないし、被害者が生き返るわけでもありません。
    けれど、この本を読みなおすたびに、被害者の無念を背負って、人の心を見失うことなく取材をつづけ記事を書くことに驀進しつづけたひとりの記者の姿が思い浮かび、
    それが、当初は大手メディアの報道に左右されていた社会をも動かすことにつながったと思うと、
    情報にどんな尾ひれがついても、
    発信元にどんな権力や巨大さがあっても、
    どんな物事も、心でまっすぐとらえ続けること、
    これは、かたちは違えど、いまの世の中にもそのまま通ずるように、私はおもえるのです。
     
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