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ナッキー(ケーシー高峰)さん のコメント

評価軸が複合化しすぎて「音楽をしっかり評価する」ってのが難しくなっているとは感じますが、日本が悪い方向に行っているとはそんなに思わないですね。

一番怖いのはこういう「総論で各論が隠れる(もしくは意図的に隠す)」タイプの物言いです。嵐やAKBみたいに、マルチタレント的に活動させて、その効果を音楽の売上に還元する、つまり「あらゆる評価軸を組み合わせて音楽を売る」ってのが音楽の純粋性を失わせていやしないか、というのは思いますが、それが即ち「音楽が低レベルである」という証明にはなりません。

山下達郎がジャニーズ系に楽曲提供するように、歌唱技術以外は技術の粋を集めている名曲はアイドルポップスの中に沢山あります。その弱い歌唱技術も、多くの楽曲の場合「曲の価値を落としているレベル」な訳ではありません。

そもそも歌唱技術は「楽曲が求めている分だけあればいい」というのが基本です。「マル・マル・モリ・モリ!」や「黒ネコのタンゴ」のような歌唱技術的には拙い子供ボーカルの名曲をオペラ歌手に歌わせたら、より名曲になりますか?なら世界のあらゆる楽曲は声楽系やジャズ系に多いであろう歌唱技術の高い人に歌わせたらより名曲になるのですか?「んなわけない」と多くの普通の感性の方なら思う筈です。それは上記の楽曲が「子供が歌う事で最も魅力的に表現される曲」だからです。あれだけ技術を求められる世界で生きてきたマーティ・フリードマンがすっかりJ-POPにハマったのは何故か?それは「高い技術こそが音楽の価値を高める」というのが幻想だと彼自身知っているからです。

それはマーティの様な音楽家だけではありません。大衆レベルの人でもそういった「J-POPの文脈」を理解している人は海外にも沢山います。高増さんは明確な理由も示さぬまま「嘘」と論じていますが「ファンがいる」という意味でなら嘘もへったくれもなく事実です。そんなのYOU TUBEのコメント欄を見るだけでも解る事なのに何故この人は研究者でありながら気づかないのか不思議です。

きゃりーぱみゅぱみゅなど、海外のiTunes Storeエレクトロニックアルバムチャートに「23か国」でチャートインしているのに嘘はこれいかに、彼女の評価でもう1つ言うなら、海外ツアーでは、多くの日本人アーティストは海外ツアーとは言いながらその観客の多くが「現地在住の日本人」だったする事が多くなりがちなのに、彼女の場合は「完全な地元民」が多いのです。もちろんファッションを含めた総合評価で見に来ているのもあるでしょうが、これもまた「嘘」と断じるには説得力が無さ過ぎます。AKB関連も時折やる海外イベントで「日本語でシンガロングする現地人」の映像を見れば、量は解らないにしてもAKBの楽曲に思い入れる人は確かに存在するのです。これらの事実の無視してまで「J-POPなんて海外じゃ…」というのはそれこそ評論家様の自慰行為レベルです。

高増さんは音楽をやられていたのか、そこらへんの音楽に対する評価軸が中途半端な技術至上主義に支配されてしまっている感を受けます。それこそ音楽に詳しいなら、パンクロックムーブメントに代表される「技術至上主義への反発」が音楽業界で商業的な意味でも起きた事ぐらい知っているはずなのですが…。

No.14
131ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
CDの売上減少が続き、ヒットチャートはAKBと嵐ばかり。そして、J-Popは-K-Popに負けていく──。日本のポピュラー音楽が危機的状況にあると、いろんな所で指摘されています。そこで、昨年12月に 『ポピュラー音楽の社会経済学』(ナカニシヤ出版) を上梓した高増明教授(関西大学)に、日本のポピュラー音楽の問題点について聞いてみました。 高増明 氏(関西大学教授) ──高増教授は経済学者で、以前にTPPや日中関係についてご意見を伺ったこともあるのですが、なぜ、ポピュラー音楽の本を書こうと思ったのですか? もともとロックやジャズが好きで、10数年前にインディーズのレコード会社を学生と設立しました。そこで音楽の制作・販売を経験したこともあって、8年前に経済学部から社会学部に移ったのをきっかけに、ポピュラー音楽についての講義を始めました。そこで気付いたのは「教科書がない」ということでした。そのときから、いつかは大学で使えるポピュラー音楽の教科書を書こうと考えていました。 教科書をつくる必要性を感じた理由はもうひとつあって、音楽には標準的な見解が必要だと思ったからです。ネットや雑誌などの記事を見ていると、とんでもない見方とか、間違った知識がたくさん載っていて、それを修正したいという気持ちもありました。音楽業界の人も本音では言いたいことがあるのでしょうが、最近はほとんど批判をしなくなっているということもあります。 ──本を読むと、最近の日本の音楽についての危機感が感じられます。 そうですね。90年代から始まって、特に2000年以降の日本のポピュラー音楽は世界の流れから完全に孤立して、ガラパゴス化しました。80年代までの日本の音楽って、おもしろくて水準も高かった。ロックだとFlower Travellin' Band 、サディスティックミカバンド、YMOやPlastics、LOUDNESS、ジャズでは渡辺貞夫、日野皓正、渡辺香津美、歌謡曲でも坂本九、ザ・ピーナッツ、沢田研二とか。世界に発信する力もありました。それが、AKBと嵐だけになってしまった理由を考えようと思いました。「きゃりーぱみゅぱみゅが世界的に人気」だとか「AKBは世界を制覇する」とかウソですよね。日本は、アメリカやヨーロッパとはまったく異なる状況になっています。 ──なぜそうなったのでしょう。 日本経済の停滞とそれによる社会や文化状況の引き籠り化、ガラパゴス化というのが一番大きな理由だと思います。バブルが崩壊した90年代以降、人々は不安になって、先端的なもの、ハイカルチャーと拮抗するようなサブカルチャーを楽しむ余裕がなくなってきました。企業もビジネスにならないので、切り捨てていきます。残ったのは、大衆的な嗜好に合致した音楽だけです。 それから、日本人は不安なときに他人と同じような選択をしますよね。電通は、これを「鏡衆」と呼んで、ビジネスに利用しようとしているのですが。結果として、「おたく」的なものと「ヤンキー」的なものだけが残ってしまった。このような傾向は、音楽だけではなく、アニメや政治も同じです。知性とか教養が必要な文化・思想というのは、どんどんなくなっていくというのが今の日本の状況です。「俺にはおもしろくない!」「俺は嫌いだ!」しかないわけです。簡単に判断するまえに「もっと勉強しろよ!」と思います。この点については、インターネットによってヒエラルキーが崩れたということもあるのですが、海外では客観的な評価がまだしっかり残っています。 また日本化したポピュラー音楽が90年代に大成功してしまったこともあるでしょうね。最近亡くなられた佐久間正英さんは、BOØWYやGLAYのプロデュースをされた優れたプロデューサーだったのですが、そのような試みが成功しすぎたことが、かえって日本の音楽を孤立させたこともあります。 ──今は音楽ビジネスが苦しい状況にあるということも本のなかで指摘されています 私の学生でメジャーデビューしたミュージシャンもいるのですが、音楽だけでは食えなくて、アルバイトをしています。CDの売上も下がっていますし、音楽配信もそれをカバーできていません。いま言ったように、みんな同じような大衆的な音楽を聴くようになっていますから、先端的な音楽をやっている人はますます苦しい状況になっていき、人材も集まりません。 ──音楽は人気があるのに、なぜCDの売上は下がっていて、メジャーからデビューしても食えないのでしょう? インターネットを理由にする人がいますけれど、それは間違っています。アーティストや音楽に対するリスペクト、思い入れがあればアルバムを買うはずです。高齢化も違います。50代、60代の人は、若い世代よりも音楽に影響を受けて育ってきていると思いますが、そのような世代も音楽を聴かなくなっています。それだけ「音楽に価値がある」と日本人が思わなくなっているということでしょう。AKBのように、CDは音楽ではなく、握手券として購入されているわけです。 ──どうしたら、いいのでしょうか? 「良い音楽」を創り出す人が食べていけるようにすることが一番重要だと思います。今は、YouTubeなどでとりあえず何でも聞けるわけです。今の時代の音楽は、経済学でいうところの「公共財」に近い性質をもっています。公共財とは、たとえば道路とか公園のように、誰でも無料で消費できるし、他の人が消費しても自分の消費に影響が及ばない財のことです(厳密に言うと、道路や公園も公共財には、あてはまりませんが)。このような財は、市場メカニズムではうまく取引ができないのです。基本的には、政府が生産するか、政府がお金を出して民間に生産させるしかありません。音楽もそれとほとんど同じ性質を持っているわけですから、政府が音楽税のような税を徴収して、それをアーティストに分配することを考えなければいけないと思います。アーティストを育てていく努力が必要だし、音楽は、今やそれが必要な財になってきています。 ──なぜ、音楽に補助金を出す必要があるのでしょう? そんなことは可能なのですか? それは、音楽というものが持っている多様なプラスの外部性ですね。外部性も経済学の用語で、市場の取引を経ないで他の個人や企業などにプラスの経済効果をもたらす性質のことです。文化はそのような性質を持っています。関連するビジネスに対する経済効果はもちろん、国家に対する良いイメージ、子供への教育効果、人々の生活を豊かなものにするなどの効果ですね。 フランスは文化を国家戦略のなかに位置づけていますから、文化に大きな支出をしています。韓国も、K-Popで「男性優位」的な国のイメージを変えることができましたよね。日本の文化予算は、フランスや韓国よりもGDPに対する比率でかなり低くなっています。 可能かということですが、日本にも私的録音補償金という制度があって、デジタルコピーによって損害を被った人々を救済するために、CD-RやMDを買った人からお金をとって、それを著作権者やアーティストに分配することをやっています。でも、今はMDなんて売っていないので、制度としては機能しなくなっています。本来はiPodなどからお金を取るべきなのですが、メーカーの反対があって取れなくなっています。そのような制度を再構築する必要があります。そして「良い音楽」をつくっているアーティストに補助金を出せばいいのです。といっても、実際には難しいでしょうが。日本の政治家って、橋下徹さんのように知性や教養とは遠い人が多くて、文化に対しての感覚もひどいですので。 ──日本は著作権制度は整備されていると聞いた気がしますが。それではだめなのですか? 確かに、日本は著作権料の徴収はしっかり行われている国です。お店を開いているとJASRAC(日本著作権協会)のGメンがやってきて、「音楽を使っているのだから、金を払ってください」と言うわけです。でも、日本の作詞家・作曲家に支払うためにJASRACが徴収する金額は約1000億円で、あまり多いとは言えません。しかも、そのうちテレビなどの放送が275億円、CMが170億円です。ようするに、テレビやCMで使われないとお金が入ってこないのです。たとえば、JASRACの著作権料収入の上位に「ゲバゲバ90分のテーマ」が入っているのですが、これはCMですよね。 その一方で、あまりテレビで使われない曲の印税は入ってこない。爆風スランプのファンキー末吉さんがJASRACを批判して、自分の経営する自分のライブハウスで自分の曲を自分で演奏しているのに、お金はとられるけれどお金は入ってこないと言っているのは、日本の著作権ビジネスの問題を示していると思います。 ──それに関連して、佐村河内さんの事件はどう思われますか? あれも、日本人が音楽をちゃんと聴かなくなっているということです。現代音楽なんかやっていても食っていけないわけです。ところが、テレビが取り上げて「耳が聞こえない作曲家の美談」をつくりあげると、とたんにお金が入ってくる。著作権って登録が必要なわけではなく、曲を作った時点で、自動的にその人に与えられるわけです。ですから、著作権、正確には著作者人格権は、新垣さんにあります。新垣さんは、著作者人格権を侵害されているということになります。ただし、著作権は譲渡できますから、お金の問題はまた別です。 日本人が「良い音楽」をどんどん聴かなくなっていて、政府もそれを保護したり支援したりする気もない。テレビに出ればお金が入ってくる。それが生んだ事件ですね。 ──「良い音楽」ってあるのですか?この本のなかで批判的に取り上げられているMr.ChildrenやAKBは、「良い音楽」ではないのでしょうか? 最近の日本のヒット曲は、同じようなコードパターンで作られています。Fmaj7からG7、Em7、AmをJ-Pop王道進行と名付けた方がいるのですが、そのような抒情的コードの進行に、日本人全体が洗脳されているところがあります。こういうパターンは海外では、ディスコやユーロビートの70年代の終わりから80年代はじめに流行ったのですが、日本だけそれが精緻化・日本化されて現在まで続いている。それでみんな感動しているというのは少し不気味です。日本のヒット曲が「悪い音楽」だというつもりはないのですが、みんな同じような曲になってきて、しかも世界とはかけ離れたものになっている。それはかなり問題だと思います。 AKBの「ヘビーローテーション」も「ドレミ、ドレミ」で「咲いた、咲いた、チューリップの花が」とあまり変わりませんよね。音域も1オクターブ、ハモリもなく、みんな声量がないし声も細いからユニゾンで歌う。確かにいろいろな工夫はされているのですが、音楽ってそういうものですか? なぜエイミー・ワインハウスやアデル、エミリー・サンデー、ロードは出てこないのですか? ボーカロイド(歌声合成技術)に対する過大な評価も間違っています。 ──K-Popはどうですか? 全部ではありませんが、K-Popの音の作り方は、かなりアメリカのポピュラー音楽に近いものです。聴き比べてみればわかりますが、ミックスも日本のように高音を過度に強調した「シャリシャリ」した音ではなく、中域に厚みがあります。したがって、アジア的感覚やルックスと洋楽的な音が好きな人はK-Popを聴くでしょうね。日本のポピュラー音楽はアジアのマーケットでも通用しなくなってきています。 そのことは、上海に4年前に、1年間滞在したときに痛感しました。PVを流す番組に、日本と韓国のポップスを紹介するコーナーがあるのですが、以前は日本のポップスが優勢だったのに今は圧倒的にK-Popです。中国では、中国語ということで台湾のポップスに人気がありますが、J-Popに比べればK-Popの方が聴かれています。 ──クールジャパンとして、政府はヴィジュアル系などを世界にプッシュしていく動きもあるようですが 本でも書いているのですが、ヴィジュアル系も閉鎖的になっています。押井守さんが最近のアニメを「コピーのコピーのコピー」と批判したのですが、ヴィジュアル系も次第に「コピーのコピーのコピー」になっています。海外で評価されているDIR EN GREYは、ヴィジュアル系としてではなく、ヘビーメタルのバンドとして活動しています。そもそも政府がクールと言っているものが本当にクールなわけはないですよね。 ──それでは日本のポピュラー音楽には可能性はないのですか? 日本語はモーラ言語といって、ひとつの仮名の長さが一定な言語なのですが、当然のことながら、ひとつの音符にひとつの仮名しか載せられないのですから、ポピュラー音楽にすると間延びします。したがって、音楽には向いていません。日本人の声もどんどん細くなって、太い声の人がいなくなっています。その意味では可能性は小さいですね。でも、小さい頃からみんなピアノの勉強をしていますし、音楽的な知識を持った人もたくさんいます。日本から、おもしろい音楽が出てくる可能性はあると思っています。 ──今後は、どのような方向に研究を発展させていかれるのですか? 音楽をシステム論的に、総合的にとらえるという作業は私のような学者でないとむずかしいと思います。しかし、個別のトピックについては、私より知識があって、深く考えている人はいくらでもいます。私の本を基礎にして、個別の問題をもっと掘り下げる研究をしてもらいたいと考えています。 それから、政府には音楽の中身に口出しはしなくていいから、お金を出してほしいですね。誰にどれだけ出すのかは、先ほどあげたような世界的に評価されているミュージシャンの方に決めてもらえばいいのではないですか。そのような文化政策を実現させるように努力したいと思っています。 『ポピュラー音楽の社会経済学』高増明編
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