名前:萩原 仁(はぎはら・ひとし)
政党:民主党
選挙区:大阪2区
生年月日:1967年9月12日
血液型:A型
座右の銘:確乎不動(かっこふどう)
趣味:スポーツ、読書
好きな食べ物:ラーメン
HP:http://www.hitoshi-hagihara.jp/
─被災地へ行ったきっかけは?
テレビで漏れ聞いているのでなく現地に入って自分の目で現状把握をしたいと思っていました。震災以降、私が所属する政策グループはほぼ毎日報告会を開いており、仲良くしている斎藤議員が被災状況を報告していたので、もし力になれることがあればと思って急遽現地に行くことになりました。
─現地に入って気づいたことは?
地域によって被災状況にものすごい格差があるということに気づきました。
私が仙台に行ったのは4月4日で、オムツや食料などの救援物資を持って行きました。東京からガソリンを少しずつ補給しながら現地に向かい、高速道路を下りて海側に出ると車が何台もひっくり返っていました。子どもの靴や、書き途中の問題集が流されているのを見ていると、小学生の子供を持つ親としてやりきれない気持ちになりました。ところが逆に高速道路を隔てた内陸側には、ガソリンを入れられるところが何カ所もあり、スーパーも開店するなど通常の生活が広がっていました。
─マスコミ報道だけでは見えない世界があったということですか?
テレビだけ見ていると、東日本全土が壊滅しているかのような報じられ方をしております。私が立ち寄った避難所には宅配ピザが届けられているほどで、お金さえあれば十分食事ができる場所があることも事実です。もちろんすべての場所がそうとは言いませんが、震災から3週間以上が経過しており、被災現場をひとくくりに「被災地」と言えないように思います。被災状況が違う地域に対してどうきめ細かく対応し、限りある資源、財産を使うかがこれからのポイントだと思います。
─萩原議員は大阪出身で、阪神淡路大震災を経験されています
私は当時土建屋の社長でした。震災で仕事が大量にきたため大工が足りず、材料も足りず、本当に手が回らない状況でした。
阪神淡路大震災の被害は火災が主だったので崩れた建物をどかし、がらくたの捨て場所も確保できました。復興作業という物は、地べたさえしっかりしていればどうにでもなります。ところが今回の津波被災現場は、何メートル下ににGL(グランドライン)があるかわからず、がらくたを集めておく場所も決められていない状況です。
─復旧作業は順調に進みそうですか?
どこから手をつけるかという問題だと思います。阪神淡路大震災の時は、被災者が家を見れば自分の土地がわかりましたので建設会社と個人が契約して家を建てられますが、今回はどこからどこまでが自分の土地かわかりませんので、個人契約はできません。
まずは政治決断で、超法規的に廃棄物を集める場所を確保することです。廃棄物を宝の山と思っているようなややこしい業者がいっぱい出てきます。そうならないためにも特例を作り先手を打っていけないといけません。
津波で流されている区域には数軒の家が残っていました。これらについては民間の保険会社に「全壊」と認めさせ、住宅ローンの返済延長なども検討すべきと思います。火事の場合は梁(はり)が落ちていなければ全壊と認められおらず、今回の津波では周囲の家と同じ扱いにしてあげるなど柔軟な対応が必要です。
─地元の関西では震災の影響がありましたか?
「風評被害」の影響かもしれませんが、私の地元の関西では建築現場の資材がなくなっています。年度末は引越しで新築注文が多く、工事が遅れた現場もあります。被災されて家が流された人と比較すれば「たかが家か」と言われるかもしれませんが、関西の子どもにも影響が出ていることは問題だと思います。被災した人たちを優先してその他を放っておくことは避けなければなりません。
─今後震災に対してどう取り組んでいくべきでしょうか?
これほどの事態を一人の人間が判断していくには重すぎますが、大統領的権限を持つトップは必要だと思います。
そして阪神淡路大震災の復興には10年の歳月がかかったことを勘案すれば、今回の広大な被災面積では10年以上かかることでしょう。先ほど申したような土地など短期的視点と、数十年を見越した長期的な視点をもって取り組んでいくことが重要だと思います。