《映像更新日:2010年6月4日》
名前:喜納昌吉(きな・しょうきち)
政党:民主党
選挙区:全国比例区
生年月日:1948年6月10日
血液型:O型
座右の銘:すべての武器を楽器に すべての基地を花園に 戦争よりも祭りを すべての人の心に花を
趣味:囲碁
好きな食べ物:天ざるそば
お気に入りの店:ライブハウス「チャクラ」
ホームページ:http://www.kina-okinawa.com/
─政治家になってかわったことはありますか?
政治家になり、「わからないこと」をたくさんわかってしまいました。見たこともないような難しい資料を見て、一時は登校拒否ならぬ登"会"拒否になりました。ちょうど僕の子どもも登校拒否していたので、初めて親子の気持ちが一致しました。国会議員4年目でようやく呼吸ができるようになりました。
─幼少時代はどんな子でしたか?
みんなと遊ぶと楽しくていつも私が一番最後まで残っていました。そうすると草むらに寝て星空を見て、「宇宙には何があるんだろう、果てがあるんだろうか、その先は...」と考えるような子でした。
─勉強嫌いな学生だったのでしょうか?
中学校のときの成績は9科目中(5段階評価の)"3"が1つありました。ちなみに"2"が4つ、"1"が4つで、その中に音楽と国語がありました。今一番必要とするものが一番低い評価でした。
進路を決めるとき、自分の好きな女性と同じ学校に入りたいと思っていました。その女性は沖縄で3本の指に入る高校を志望していましたが、僕の学力が足りず担任の先生に志望校を変えるように言われていました。それでも行きたかったので問題集を開いて解いていくと、どんどん答えが頭の中に入り、合格しました。それから1、2年間も勉強が好きで、2年の時点でトップになりました。しかし1番になったとたんに勉強に飽きてしまいました。競争したい学生だったんだと思います。
─その後音楽家として活躍していきますが、始めたきっかけは?
父のもとに毎日大勢の弟子たちが集まって演奏していました。ずっと猫を抱いてその光景を見ていました。不思議なことにみんなが帰るとその空間に実存的な静寂が残るんです。そこで楽器を手にとって、演奏の真似をしていました。13歳の頃に一つの作品が生まれ、ヒットしました。人から学ばずに身についたものでした。
─政治家になる前から音楽家として積極的に活動していた
よく考えてみると、仲間たちがいたおかげです。人ができなかったことをよくやってきたなと思います。終戦50周年の1995年、沖縄の与那国から広島・長崎まで舟を漕いで海を渡りました。小泉政権で日本が自衛隊をアフガニスタン・イラクに派遣した時、これはまずいと思いイラクへブレーキをかけに行きました。「すべての武器を楽器に」をキャッチフレーズに掲げてライブを開催しました。いつもすぐ意識がヒートして、後戻りできないんです。
─その頃から政治家を意識するようになったのでしょうか?
小泉政権の頃に「許せない」という感情がありました。僕が政治の世界に入って、変えるしかないと思いました。
僕は音楽で平和を求めていました。沖縄に平和をつくるために沖縄がきっと僕に才能を与えたのでしょう。今は沖縄の歴史の精神に応えるために政治をやっています。
─政権交代後、普天間基地移設問題をめぐり意見が錯綜しています
一つ言えることは、日本の政治において沖縄の問題は常に後回しでした。今回は沖縄の問題が先頭に立っています。これはすごいことです。
─党と喜納氏の考え方に隔たりがあるように感じます
我々は沖縄の抱える諸問題を解決するために民主党から出馬して当選しました。民主党を応援して勝たせました。そして今からやろう...という時に民主党が自公政権と同じようなことをやろうとしたら私たちはどこに生きたらいいと思いますか。
政権交代の時に「県外・国外」を約束しました。政権をとったら急にマニフェストには書かれていなかったと言ってしまうのは白々しいですよ。「沖縄ビジョン」にも書いているんですから。
岡田外相は「サンデープロジェクト」の番組中、「民主党政権は普天間基地の辺野古移設に反対しましたよね」という質問に対して「いや、それは沖縄県連だけです」と言いました。岡田外相は沖縄に来たときには「県外・国外」と確かに言っていました。
もし問題解決にあたって本当に困っているならば、民主党と一緒にたたかって政権交代を成し遂げた僕たちとしっかり話し合ってもいいのではないでしょうか。ワーキングチームを米国で作ったりしていますけど、民主党の沖縄出身の議員は参加していません。だから変に我々が怒るのでしょう。
─7月には参院選ですが、今後のご自身の方向性は?
7月の参院選は出ます。他党だけでなく民主党内でもケンカしているから結果はどうなるかわかりません。閣僚の方からは腫れ物に触るように扱われています。だからこそみなさんの応援をどうぞよろしくお願いします。