「小飼弾の論弾」で進行を務める、編集者の山路達也です。
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今回は、2023年10月31日(火)配信のテキストをお届けします。
次回は、2023年11月28日(火)20:00の配信です。
お楽しみに!
2023/11/14配信のハイライト
- 人間の知能と遺伝の影響
- 人類の品種改良?
- 学力の遺伝と学校教育
- 家庭環境の知能への影響はざっくり30パーセントぐらい
- 自分で自分の遺伝子の姿を見ることはできない
- 遺伝的な格差と社会的な格差
人間の知能と遺伝の影響
山路:今日は、いつもとは趣向を変えまして、ゲストに行動遺伝学者の安藤寿康先生をお迎えしております。
安藤:はい、こんにちは。いつもと趣向違うんですか?
山路:いつもは2人でダラダラ話してるだけなんで(笑)、
小飼:ゲストがいらっしゃるのは本当に久しぶりなんで、
安藤:お招きいただきましてありがとうございます。
小飼:本当に大変お待たせいたしました。
山路:すいません、ちょっと機材トラブルがありまして。
小飼:はい、いつもよりもちょっと機材が複雑な構成になっておりまして。
山路:カメラがいつもより2台多い、
安藤:今まで一つだけだった、
小飼:そうそう、(3分割で表示しているディスプレイを示しながら)これができるようになったので、
山路:大変複雑なセッティングになっておりまして(笑)。で、先週予告した通り、今日安藤先生と対談させていただくんですけれども、この近刊、
小飼:すごいタイトルですよね。
山路:煽りマックス。売らんかなの、この煽りマックス感。
安藤:NHKがこんなことやっていいのかって感じですけどね(笑)。
山路:こちらのNHK出版新書、作家の橘玲さんと安藤先生の対談本になって、私もちょっと編集のほうでお手伝いをさせていただきました。けっこう売れてるみたいですよね。Amazonで、本の総合で30位ぐらいまで行ってたんで。
安藤:そうですね、
山路:ラノベや漫画を上回る(笑)、
小飼:売れ行きは遺伝する(笑)、
安藤:誰に(笑)、
山路:誰に、ですよね(笑)。
安藤:もう重版が決まってるっていうのもすごいなと思って。
山路:すでにコメントの中では、読了されたという方もいらっしゃるんですけれども、簡単にちょっと行動遺伝学のほうを、どういうことっていうのを、先にお伝えしたほうがいいですかね。対談とか入る前に。どんな研究なのか、簡単に行動遺伝学の説明というのをしていただけると。
安藤:文字通り、人間の行動は遺伝の影響を受けているよ、というしごく当たり前のことなんですけれども。それが学力も行動だ、学力にも遺伝の差があるとか、行動といわれているもの全てに遺伝の影響があって、その違いというのはただ単に環境とか学習とかだけで説明できない部分というのが実はかなりあるということをもう、これはもう、かれこれ1960年、80年くらい前からずっと地道に出してきていて、何も新しいことは言ってない(笑)。
ただ、最近劇的に新しくなったことがあります。
今までは、双子の研究法というのを使って、一卵性双生児―――遺伝子が全く同じ人たち―――がどの程度似ているかを調べていました。能力には遺伝の影響もあるだろう、だけど同じ環境で育ってるからその影響だってあるじゃんと。だから、そこのところが遺伝だよってことを言うために、同じ環境で育っている二卵性の双子さん―――普通の兄弟と同じ50パーセントの遺伝子しか共有していない人たち―――と比べた時に、一卵性がどれだけ似てるかっていうのを示す。そうしていくとどの程度遺伝の影響があるかってことっていうのがざっくり見られる。例えば知能なんかは50パーセント、うちの研究では遺伝率が80パーセントでやべえとかって思ったんですけど(笑)。でも私が言ってるんじゃなくて、データが言ってるんだからということで、ちゃんと論文に書きました。
小飼:ただ、ここでその対象とされる知能というのは、きちっと定義されてるんでしょうかね。
安藤:はい。そこもとてもつまらない、禁欲的な定義をしていて、基本的には知能検査で測られるものというふうにしています。
小飼:その知能検査がきちっと知能を測定するように設計されているのかどうか?
安藤:その場合、「きちっと知能」と呼ぶ時に何を指しているかっていう。「あんな知能検査で人のこんなにすごい知能っていうものを測ったことになってねえだろ」っていう批判的な人たちがたくさんいらっしゃる。これも心理学の歴史の中ではずっと繰り返されてきていることで、そこに突っ込み始めると……でも、そこ突っ込んでも面白いかもしれないけど、
小飼:僕、なんでそこに突っ込むかって言いますと、僕はいちおうプログラマーでもあるんですけども、プログラマーというのは、自分が書いたプログラムもやっぱりテストします。それでいちおうちゃんとテスト項目を書いておいて、そのテストをパスしないと新しいやつリリースできないんですよ。でも、それでもバグが出るんです。なんでバグが出るかっていうと、テストカバレッジって言うんですけども、十分にテストしてないと。
例えば、だから単純な掛け算をやったとしましょう、単純な掛け算をやった場合、オーバーフローするケースを考えてないとか、しょっちゅうなんですよ。そんなのが。だから、ある特定の部分っていうのが、この子は足し算はよくできるけれども、割り算になったらつまずくっていうのも、わりとよくあることじゃないですか。
安藤:そういう細かいところに関しては、尺の細かさの問題で、(知能検査では)そんなところまでは見てないです。
小飼:そこまでは見てない。
安藤:もともと、アルフレッド・ビネーさん―――20世紀の初めぐらいに生きていたフランスの児童精神医学者ですけれども―――が、学校に適応できない子とできる子っていうのを、ただ単に「こいつダメそうだな」って言ってたんじゃ、あまりにも非科学的で主観が入っちゃうから、そこのところでもうちょっと客観的なテストを作ろうよって言って。その時代、今もそうですけど、常識的に「まぁまぁ頭がいい子」っていうのは解ける問題、「頭がよくないなと思われている子」は解けない問題というのをたくさん選び出してきて、それをアソートして作ったというもので、極めて便宜的なものです。ですから、「本物の知能とは何か」というようなことを突き詰めたものではない。ただ、それで作られた数値っていうのは、そこそこ、
小飼:そう、しょせん人間のやることだからね、
安藤:そうなんです。だから、そこそこ学力も予測できるし、収入とも相関が0.5くらいあるし、健康度とか幸福度とかっていうのもちょっとずつ相関があって、なかなか実用性には富んでいたっていうこと。
それからもう一つ心理学者として言わせてもらうと、「いや、あれは知能を全部調べてるわけじゃない」っていうことで、そのあといろんな研究が出てきているんですが、知能検査を基準にして見ていくので、その結果として知能検査の研究っていうのが最も多くなってるんですよ。そうなってくると、どこまでは測れてるけど、どこから先は測れてないということまで一番情報を集約できてるのも知能検査っていう。
小飼:それでも、測るべき対象が1万あるうちの100しか見てないという可能性が十分ありますよね、
安藤:十分あります。
小飼:組み合わせ爆発ってあるじゃないですか。(プログラムの)テストがなんで難しいかって言ったら、実はそれなんですよ。例えばある演算のテストをしたいという場合、64ビット整数と64ビット整数を取って、64ビットを返すっていう演算、これは足し算でも掛け算でも、足してかけるでも、平方根を取るでも、何でもいいわけですけども、全部の組み合わせ、2の64乗かける2の64乗の組み合わせを全部試してみれば、理論的にはテスト可能ですよね。でも、実際にそれだけの演算をする計算力どころか、そのテストの正しい正解を書いておくメモリーすら我々にはないわけですよ。たかだか64ビットです(笑)。
僕が書いたライブラリの一つは、無限精度、要するに2のビット数のかける2のビット数っていうのをやるライブラリっていうのを書きました。だからもう理論的にこういうのはテスト不可能なわけです。
要するに、例えばある時には128ビットの精度が必要なのでっていうのに答えるために書いたもの、だから全部テストするっていうのは不可能なわけだよ。本当にコーナーケースだけテストしてるわけですよね。
山路:それってしかし、今回の知能テストのことで言うんだったら、人間がよく見るシチュエーションというのをピックアップしているわけですよね、
小飼:(コメントを見ながら)読者の皆さんすごいな、エピジェネティックスが出てきたよ(笑)、そうです、
安藤:(視聴者のコメントは)とても追いかけてられないけど。ジェネティックスだったら、エピジェネティックスは触れないわけにはいかないわけですけれども。
逃げるようですけど(笑)、それぐらい不完全だからこそ、隙間産業ってのがいくらでもできるってことですよ。測れてない能力を持っている人っていうのが、知能検査に限らず、入学試験―――あれだってもっと限られていますけど―――でも今の社会ってのは、入学試験でいい偏差値の大学へ行くと、相対的には生涯賃金高くなるし、社会的にも高い地位につくっていう、かなり大きな格差の原因になっている。中学受験であれだけ頑張ってSAPIX行ったのに、結局御三家入れなかったんじゃないか、みたいなっていうのが出てくるけど。
でも、そのテストでいい成績が取れなかったからといって、その子たちが無能な社会の役立たずかって言ったら、そうはならなくて。いろいろな人がいると思いますけれども、いろんなところで自分の道っていうのを見つけられるっていうのは、まさに測ってない能力っていうのがこの社会の中でいっぱい、どっかで使われているからだっていうところに僕はある意味で期待をして、楽観的にいつもいられるわけなんですけど。
そう言いながら、本当にそうかと自分でも思っているところもある。むしろ外から突っ込んでいただけたほうがいいなと。
小飼:そもそも義務教育の歴史っていうのがまだ200年もないわけじゃないですか。だから、そういった学校教育に向いている遺伝子と、それ以前に親の職業を子が継ぐのが当然だった時代に向いてた遺伝子っていうのは、けっこう違うと思うんですよね。
安藤:そうでしょうね。
小飼:結局、遺伝子が役に立つかどうかというのは、その遺伝子が役に立ちそうな環境あってのことじゃないですか。
安藤:その通りです。
小飼:だから、藤井聡太が八冠なのは、藤井聡太がすごいんじゃなくて、将棋という競技があること自体がすごいわけですよね。
安藤:だから能力っていうのは、その時代とかその文化の文脈っていうことを抜きに論じることっていうのはできない。
これも当たり前な、だから、能力なんてのは基本的に社会的構成概念に過ぎないよっていう話も、この前出したブルーバックスの書籍でもゴタゴタ書いたら、カスタマーレビューで、「あぁ文系の遺伝学者だな」とかって書いてるやつがいて。そうだよ、文系だよ(笑)。
小飼:いや、そもそも文系理系っていうのも、こうじゃないですか、教育を施すほうの都合だったわけですよね、
安藤:都合です、
小飼:要はSTEM教育を100パーセント施すほどのリソースがないので、ある程度足切りしちゃえっていうのが文系理系の始まり始まり、ですよね、
安藤:それはちょっとな、
小飼:いや、まぁでも、
安藤:理系の言う、文系と理系の区別(笑)、
小飼:いや、僕がそれを支持してるんじゃなくて、それを文句言うのであれば文部省に対して、文科省になる前の文部省がそれを決めたことなので。でもこれはべつに日本だけではなくて、本当にSTEMって基本、ものすごいお金がかかるんです。たぶん、でも逆に一番お金がかからないのが数学だったりするんですけど(笑)。でも数学以外の理科、それも化学にしろ物理にしろ、実験あってのものじゃないですか、
安藤:ナマモノ扱うやつはそうですよね、
小飼:実験のほうはどれもすごいリソースを組むんですよね。最初、僕の専攻って化学だったんですけども、あまりに不器用でもう器具をぶっ壊す、ぶっ壊すわで、半分手作りしてるんですよね、化学研究室とか、
安藤:実験に合わせてそれを作らなきゃいけないんですよね、
小飼:ちゃんと学校にそれを作る工房とかあって、本当、泣きを入れられたぐらい不器用だったんですよ。何でしたっけ、冷却管とか、すごいガラスの中にさらに細いガラスチューブが入ってたりして、すごい作るの大変なんだけど、ああいうの簡単に……なんでお前ぶっ壊れる、
山路:何をすると壊れるんですか? 実験中にぎゅっと押しちゃうんですか(笑)、
小飼:でも、僕が行ってたのは公立だったんで、それでお金の余計を取られるっていうことはなかったんですよね。
安藤:山中伸弥さんも、臨床医だった時には「邪魔中(じゃまなか)」って言われてたって有名な話があって。
山路:さっきの話で言えば、知能テストで測っていない能力はいっぱいある。だけど、今の世の中は知能テストで上位の人が有利になるように社会制度が構築されちゃったから、そうなっているとも言える?
安藤:無駄と言っちゃやってる人がかわいそうだけれども、さっきも言ったように中学受験で頑張ってSAPIX行くとか、東大行かなければ親が認めてくれないとかいうような価値観の家に生まれちゃったりとか。私の大学もそうですけど、なまじ偏差値が高いと偏差値だけで(大学を選んで)来る、はっきり言ってどこの学部でもいいから慶応に来たいとかってのもたくさんいる。こうした状況は歴史的にも極々最近のことで、1970年代にはまだそこまでなかったぐらいなのだけど。(そうした状況を)いつの間にか作り出してしまったのは国の制度でもなければ、大学の大学人が作ったわけでもなく、なんかみんながそういうものを作り出していった、これ日本だけじゃなくて、東アジアが全般的にそういうような方向に行く、
山路:高い知能に対する崇敬というか、畏れ、
安藤:そうですね、崇敬っていうよりは、そのほうがいい生活ができるかなって、
山路:高い知能の人を上に立てて、その人の言うことを聞く社会制度のほうが気持ちいいっていう?
安藤:(ほとんどの人は)そんなこと考えてないんじゃないか。それこそ小飼さんがどういうふうに考えるかってのは聞きたいところですけども。社会全般を見て、そこの能力配分みたいなことまでちゃんと考えた上で「よし」と思ってトップを狙っている人は狙っている、MARCHぐらいでいいとか、どこでもいいとかっていうことを考えているわけではないと思います。
そういう社会がわりと最近いつの間にか出来上がってしまっていて、結果として、多くの人が学校教育を通過するから、そういう雰囲気の中でどうしてもリアルに考える。
要するに、学校に行ったらば点を取ることが学習することであり、その結果として、いい進学先を見つける。それができなかったら、諦めてこの程度にするとか、学校に行くんじゃなくてパティシエになろうとかするみたいな。まず学校の序列というのが国民全体にバーンと来てしまうので、よっぽど藤井聡太みたいな才能があれば、もう高校なんか行かなくていいという選択肢も取れますけれども、ほとんどの人はそれができていない状況を作り出しちゃった。
さっきから言ってるように、(学校で点を取るのは)極めて限られた能力、だって皆さん、いい大学出た人だってそれ、社会に出たら使ってないって、
山路:ないですね(笑)。
安藤:みんなわかってるのに、なんでずっとこれやってるんでしょうねっていうことですよ。そう言ってる僕もやってきたわけだけれど(笑)。
小飼:その意味では、教科の数というのがぜんぜん足りてないというのはありますよね。将棋学校ってないんですよね。師弟制なんですよね。将棋に集中するためには学校なんか通ってられないわけですよ。
安藤:そうそうそう、
小飼:だけれども、そこまで熱を入れられるというのは将棋という競技が、そこに入れたのであれば十分以上のイールド、稼ぎを得られる競技であればこそ、ですよね。これがたとえばゲートボールとかだとダメなわけですよね。ゴルフとかだとよくなるけど。
安藤:eスポーツがどこに行くのかっていうのは、これからってことだと思いますけど(笑)。そういう意味ではオーセンティックな領域、ある程度確立した社会的な評価があって、だからそこでいい成績をあげればお金も、歌舞伎とかなんかって極めて少数の人たちしかパフォーマンスしていないけど、好きな人がいるとか、国があれは素晴らしい日本の文化だとかっていうことになると、
小飼:いや、でもあれって全部AIアクターに置き換わったりしないのかな、というのを(笑)、人ごとながら心配してるんですよね。
安藤:AIがどこまでやってくれるかってのは、それはもう作曲とか演奏とか、みんなそれはある意味楽しみですね。たぶんすごいAIが出てくると、人はさらにそれを乗り越えるなんかをたぶん工夫するんだろう。藤井くんが(AIで将棋の研究をやっているように)しそうな気はするけど、
小飼:羽生の時代と、藤井聡太の時代の一番の違いっていうのは、藤井聡太は人間では将棋一番強いかもしれないけれども、コンピューターまで含めて、最も将棋の強い存在ではないかも、なんですよね。そこの部分っていうのは決定的に違いますね。
安藤:たとえば重量上げなら、それはもう重機を使ったら絶対勝てるけど、それを対等に勝負する競技なんてのはないのと同じように、人は人でやってればいいわけじゃないですか。競技だったとすれば。
でも、将棋とかチェスの場合っていうのはそれプラス、本当に頭の良さそのものっていうのはそこに発揮されていると思うので。相手がまさに重機に当たるような、超人的なものだったとしても、それと人と比較して「いや、まだ人はそれに負けない」っていうことを示したいっていう。そういう願望っていうのがあるから、単純に重量上げと重機と(の関係とは)対等にはならないんですね(笑)。
人類の品種改良?
小飼:ただ、人も普通に生物で、少なくとも他の生物というのは、かなり血統をいじってきたわけですよね。オオカミをイヌにして、イノシシをブタにして、セキショクヤケイをニワトリにしてっていうことをやってきたわけですけれども、逆説的に、なんで人類社会はそっちのほうにはいかなかったのか、
山路:ヒトがヒトを品種改良する方向にってこと?
小飼:そうそうそう、もちろんヒトは自分自身を家畜化している、セルフドメスティケイトしているという意見はあるんですけれども、生ぬるいですよね。ヒトがオオカミをイヌにしたのに比べると、ヒトはあんまりヒトをいじってないですよね。いじったケースというのもあるんですけど、どっちかとしては失敗談として語られることが多いですよね。ハプスブルク家の顎ですとか。あと血友病ですとか、
安藤:徳川家の顔もずいぶん長くなっちゃってますね。
小飼:でもそっちの方向に進むという可能性はけっこうあったと思うんですけど、なんでそっちに行かなかったんでしょうね。