小飼弾です。ブロマガをお届けいたします。今回はお詫び兼CMから。
前号にて「いつもより間をおかずお届けする予定です」とあったにも関わらず、発行がハロウィンになってしまった原因の一つがこちら。
「はじめに」
本書は、私の「失言」に端を発します。
「今回はまだ書かれていない本について書く事にする。あればベストセラー間違いなし、柳の下にどじょうが何匹どころか入れ食い状態というそういう本なのだが、なぜかまだどこも出していない。それは、失言集」
月刊宝島の連載で私がこうのたまったところ、待っていたのは次の反響でした。
「だったら、おまえ書け!」
それに対する答えは、「だったら書いてやる!」。
本文で改めてふれますが、これ、失言雪崩の黄金パターン。
失言を糊塗するために言を重ねるうちに、また失言…
本書の成り立ち自体が、「失言リスクの拡大」のケーススタディーのようです。
それでも火中の栗を拾うに至ったのは、その栗を私自身がどうしても味わってみたかったから。 読者のみなさんとともに。 かつて失言とは、著名人の特権でした。「失」言というからには、失うべきものがあるということで、読んで字のごとく、それはそれまで培ってきた名「声」。声なき民にはそれがない以上、失言もまたありえない…
ところが、今の我々は、「声ありき民」なのです。有名人でなくともブログは炎上し、SNS上の過去発言は、発言者本人が忘れた頃に発掘されまとめられリツイートされる時代。声を持つ誰もが、失言リスクと隣り合わせに生きているのです。
敵を知り己を知れば、百言危うからず。
本書が敵と己を知るきっかけとなれば、幸いです。
200 Any Questions OK
それでは、今回の質問。
Q. 小飼さんはお金持ちになりたいと思ったことはありますか?
あるいは現在も思っていますか?
僕は漠然とお金があるほうが良いとは思うのですが、人生を賭けるほどお金が欲しいとあまり思えません。かと言ってお金より大事なものがあるのかも分からないんですが。
A. よく考えよう、お金はなんで大事なのか
この質問に答えるためには、まず「お金持ち」とは何なのかを決めておかねばなりません。
巷間でいうところの「富裕層」は、英語の millionaire つまり純資産100万米ドル以上を所持する者だそうですが、この定義であれば私はすでにお金持ちだということになります。その意味で言えば、私はすでにお金持ちになりたいと思う必要はないわけです。今の私は、思うまでもなくお金持ちなのですから。
それではお金持ちではなかったかつての私は、お金持ちになりたいと思っていたのでしょうか?
お金が欲しかったのは確かです。
大学に行きたいから学費が欲しい。現在の妻と同棲をはじめたので、もっと広いところに引っ越すための費用が欲しい。インターネット専用線(当時月30万円以上しました)を引くための法人と運転資金が欲しい…
しかしその頃の私は、具体的に何が欲しかったかがはっきりしていました。お金はあくまでそれを入手するための通過点ではあっても、最終目標ではなかったのです。
その点に着目すると、私が欲しかったのは「お金持ちである自分」ではないのは確かでしょう。もし私が欲しかったものが、お金なしでも手に入ったのであればわざわざ一旦お金を手に入れるなどという回り道をしなくてもよかったはずなのですから。
しかし、もしこれらをお金を介さずに手に入れようとしたらどうなっていたでしょうか?
大学は私が作ったものではありません。住宅も私が作ったものでありません。もちろんインターネットも。そしてこれらはいずれも「元々あったもの」ではありません。誰かが誰かのために作ったものです。もし私が私のためだけにそれだけのものを作ろうとしたならば、一生費やしても作れないのは確かです。
ところがお金を通しただけで、20代のうちに手に入ってしまった。
そんな私にとって、「ただより高いものはなかった」どころか「お金より安いものはなかった」のです。
そして歴史をひもとけば、そのお金ですら、「元々あったもの」ではなかったのです。自分が持っているものと他人が持っているものを交換する物々交換ですらかなりの発明なのに、それを一旦「お金」というただの「数字」に置き換えるというのは、ただ発明しただけではだめで、誰もが受け入れてはじめて成立するのです。それが「お金」ではなく「ただの数字」だと皆が思い込んでしまえば、お金というtreat(恩恵)はただのtrick(幻想)になってしまう…
なぜお金が大事なのか。それはあなたも私も大事にしているから。
お金よりも大事なもの、それは「お金よりも大事なもの」とは何かを問われてほとんどの人が即答できなくなるほど、お金が大事にされる世の中であり、お金を大事にするあなたやわたしではないでしょうか。
A. プロレタリアートの定義
お金とは、欲しいものを手に入れる過程で手に入れる中間産物。
しかしこの定義を正解だと思っている人は、実はお金持ちではありません。