妨害の始まり
2009年8月の衆院選を約1カ月半後に控えた同年7月19日。民主党公認候補(当時)の玉城デニーの応援演説をするため、沖縄市民会館で登壇した党代表・鳩山由紀夫(当時)は、ホールを埋め尽くした聴衆を前に、県民の大きな期待を感じていた。熱気と高揚感が会場を包んでいた。米軍普天間飛行場の返還・移設問題について触れた。
 「県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」。さらりと出た言葉だったが、県民の心をつかむには十分だった。
 民主党が勢いを増す象徴的な場面だった。同党は衆院選で県内4選挙区中、玉城を含む公認2候補を当選させる。普天間移設の「最低でも県外」は、多くの国民から事実上の公約として捉えられた。

 鳩山の発言から約1カ月後。衆院選を10日後に控えた8月20日早朝の米首都ワシントン。古典的なドーム型建築が特徴的な国会議事堂周辺レストランに、米民主、共和両党の議員秘書ら約10人が集まった。在米日本大使館の職員が呼び掛けた説明会に出席するためだ。米政府にも影響力がある民主党の著名なベテラン議員秘書らの顔が見える。秘書の中でも上級の「チーフ」も参加している。
 大使館職員2人のうち「後輩」が、衆院選を前にした日本国内の政治情勢について一般的な説明を始めた。
 政権を担っている自民党と野党の議席数、自民党のそれまでの政策、来る衆院選に関する国内メディアの世論調査状況と民主党勝利の予測、選挙後の与野党の議席見通しなどについて述べた。
 秘書らは食事を取りながら聞き入った。今度は大使館の「先輩」が説明を代わった。
 その内容は次期政権を担う民主党のマニフェスト(政権公約)に対する批判だった。
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